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数字は嘘を吐かない? 人は数字でいくらでも嘘を吐く。  作者:


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2/5

新たな伯爵夫人の始まり、そして終わりを告げる封蝋

 豪華な調度品が惜し気もなく飾られた大広間には、ワインの甘い香りが満ちていた。

 座り心地の良いソファに身を預けたセレーネは、上質なガウンの裾を揺らしながら、ゆっくりと赤を満たしたグラスをくゆらせている。


(ここまで上手くいくなんてね)


 口角が自然と吊り上がった。


 両親の紹介の下、ガレスと初めて顔を合わせた時に抱いた感想は『つまらない』だった。茶色の髪に琥珀の瞳と地味な色合いに、顔立ちも平凡そのもの。正直気が乗らなかったが、彼の方は乗り気だったらしく、こまめにプレゼントや花束、手紙を送ってセレーネを繋ぎとめようと必死だった。


 あの姿ときたら実に滑稽だったと、グラスで隠した口元が歪む。


 だから思った。


 手の平で転がすのに、丁度良い存在だと。


 利用するだけ利用し尽くし、用済みになったら容赦なく捨ててやろう、と企んだ胸中を隠し、分厚い猫を被りながら結婚。

 しばらくは貞淑な妻を演じてやろうと思っていた矢先に突き付けられたのは、所謂『白い結婚』。初夜を共にするどころか、セレーネに指一本触れることもなく、式の翌日から執務に明け暮れるようになった。


 その時、胸中を埋め尽くしたのは激しい怒りと屈辱。


 つまらないお前如きに、このわたくしが嫁いでやったのを有難く思うどころか、粗末に扱うなんて許される筈がない。

 それなら手助けをしてやろうと、帳簿付けを願い出たり、領地改革案を出してやっても。


『そのようなことをする必要はないよ』


 と、素っ気なく返されるだけ。

 どこまで馬鹿にしているのか、とふつふつと怒りを内心で滾らせつつ、届いた夜会の招待状へ導かれるままに会場へ。


 そこで出会ったのは……。


「もっと揉めるかと思ったが、あっさりしていたな」


 向かい側のソファで同じくワイングラスを傾けながら笑う、エリアス・ブランシェ伯爵。

 プラチナブロンドに青い切れ長の瞳。彫像のように整った顔立ちは、見る度に、ほう、と息を零させるほどに美しい。


『お一人ですか?』


 礼服に身を包んだ彼がそう声をかけてくれた時のことは、今でも昨日のことのように思い出せる。

 それがきっかけで逢瀬を重ねるようになり、ガレスとの結婚に不満があるだけではなく、『白い結婚』を強いられていることを零せば、エリアスは頷いてこう言った。


『それなら、協力するよ』


 その甘い誘いに、乗らない筈はなかった。


 そしてブランシェ家が上流にあることを利用し、ガレスが手掛けているという治水工事に介入し、混乱させる。大量の書類の提出を必要とさせることで、離縁届を容易に混ぜることが出来た。


 あとはほとぼりが冷めてから貴族院に提出すれば、驚く程簡単に離縁が成立した。受理証明書を突きつけた時の唖然とした顔は見ものだったとセレーネは嗤う。


「何もかも、貴方のおかげですわ、エリアス」


 甘ったるく囁くように言えば、エリアスはくつくつと笑った。


「君は貴族学院で才女と名高い上に、生家で領地経営に携わっていたと聞いている。我が家のために、その力を存分に発揮してほしい」


 ああ、ようやくわたくしにふさわしい相手、そして場所が整った。

 セレーネは頷き、優雅に微笑んでみせる。


「ええ、貴方のお力になれるよう、精一杯励みますわ」

「頼もしいな。式は落ち着いたら挙げることにしよう」

「ああ……楽しみですわ」


 エリアスの笑みに、うっとりとセレーネの目元が染まった。


 すると。


 コンコン!


 無粋なノックの音に、2人は僅かに眉を顰めた。


「入れ」


 エリアスがそう許可を出すと、ドアが開き、使用人が慌てた様子で口を開く。


「奥様。……裁判所から使者がいらっしゃっております」


 セレーネの顔色が変わった。ソファから立ち上がり、よろよろとした足取りでドアへと向かう。

 廊下の向こうにいたのは、黒い外套を纏った男だった。胸元には王冠を戴く天秤の紋章が鈍く光っている。


「セレーネ・ブラックウッド様ですね」


 男は全ての感情がそぎ落とされたような表情で、そう尋ねた。


「はい、わたくしですが……」


 震えそうになる声を叱咤してそう答えると、男は封筒を差し出す。


「王都裁判所より、出廷命令書をお届けに参りました」


 赤い封蝋には、男の胸元にある紋章と同じものが刻印されている。


「出廷、命令書……」


 ぽつり、と呟きながらセレーネはそっと封筒を受け取った。

 それを確認し、男は口を開く。


「紙面にも書かれておりますが、念のためお伝えしておきます。被告側には出廷義務が発生します。よって書かれている指定日に欠席した場合、不利な判決が下される可能性がありますのでくれぐれもご注意ください」


 失礼いたします、と男は深々と礼をして立ち去った。翻る外瘻をぼんやりと見つめていたセレーネだったが、はっと我に返る。

 封蝋を剥がし、中に入っていた紙を震える指先でそっと広げてみれば。


『原告:ガレス・ハワード』


 目に飛び込んで来た名前に、顔が強張るのが分かった。

 そして。


『被告:セレーネ・ブラックウッド、エリアス・ブランシェ』


 指先に力が加わり、くしゃり、と微かな音をたてた。


『罪状 一、離縁届に関する文書偽造及び虚偽申告

    一、不貞行為による家門名誉毀損

    一、ハワード家財産横領及び資産不正換金

                       

 被疑事実 被告セレーネ・ブラックウッドは、原告ガレス・ハワードとの婚姻中に被告エリアス・ブランシェと不貞関係にあった。また、被告セレーネはハワード家所有の宝飾品、現金を無断で持ち出し、一部を換金した疑いがある。さらに原告の同意なき離縁届提出について、詐欺及び文書偽造の嫌疑が認められる。』


 そして出廷日時と場所が無機質に記載され、最後にガレスの署名、その下には受理担当の上級審問官の署名と朱印が押されていた。


(そんな、まさか……上手くいっていた筈なのに)


 動揺が収まった後、胸中を満たすのは激しい怒り。


(どこまでわたくしを苛だたせれば気が済むの!?)


 凡愚な伯爵ふぜいが! とセレーネはぎり、と唇を噛みしめる。


「大丈夫さ、セレーネ」


 そんな彼女の肩を、エリアスが優しく抱き寄せる。


「エリアス……」


 見上げると、エリアスは優しい笑みを浮かべながら口を開いた。


「なに、心配はいらないさ。大げさに言っているだけだよ」


 震える肩を抱き寄せる手に、そっと力が込められる。


「名誉棄損や横領なんて、あの男に証明できる筈がないだろう?」

「それは……」


 そうかもしれないと、セレーネはやっと安堵の笑みを浮かべる。

 エリアスもまた目を細め、優しくその髪を撫でた。


「それに、離婚は成立している。今更蒸し返したところで、君は応じる気はないのだろう?」

「……ええ、もちろんよ」


 セレーネは微笑んで両腕を広げ、エリアスに抱き着いた。


「愛しいセレーネ。私がついている」

「頼もしいわ」


 そうだった。

 あのような取るに足らない存在の男、脅威でも何でもない。


(逆に叩き潰してあげるわ。覚悟しなさい)


 エリアスの腕の中で、セレーネは唇を歪めて嗤った。

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