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数字は嘘を吐かない? 人は数字でいくらでも嘘を吐く。  作者:


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1/5

突き付けられた離縁

 揺れる馬車の中。

 ガレス・ハワード伯爵は疲れた顔をしていたが、心中は達成感に満ちていた。

 様々な事情により遅々として進んでいなかった治水工事が、ようやく完成の兆しを見せたからだ。


(これでやっと……)


 ガレスは少しだけ頬を緩ませた。

 やがて馬車は屋敷へと到着する。扉が開かれるのに合わせて降り、開かれた門を通り抜けて扉の前へ。静かに開けられた扉の中へ入れば、妻のセレーネが佇んでいた。


「ああ、セレーネ。今戻ったよ」

「さようでございますか」


 セレーネの声は素っ気なく、こちらを見据える青い瞳は冷たい。

 よくよく見てみれば、その身に纏っているのは外出用のドレス。足元には旅行用の大きな鞄がある。

 何処かに出かけるのか、と問おうとするより先に、セレーネが口を開いた。


「貴方との離縁が成立しました」


 一瞬、思考が停止した。

 が、ガレスは何とか立ち直り、とん、とん、とこめかみを人差し指で叩いた。


「離縁は正式な書面の下、双方のサインが無いと成立しない筈だが」

「貴方のサインはとっくに頂きましたわ。本日その書類を貴族院に提出し、受理されましたの」


 こちらが受理証明書ですわ、と差し出された書類を、反射的に受け取る。

 サイン? 何時の間に?

 ぐるぐると考えるガレスに構うことなく、セレーネは冷たい眼差しのまま口を開く。


「財産分与も慰謝料も結構です。失礼いたします」


 最後に丁寧なカーテシーを披露し、セレーネは旅行鞄を持って出て行ってしまった。

 呆然とする余りその後を追いかける気にもなれなかったガレスだが、すぐに思考を切り替える。


「セレーネの生家、ブラックウッド邸に使いを。それから、財務官の手配を頼む」


 忠実な家令は「かしこまりました」と頭を下げた。



 まずは執務室。

 机上には『未処理』『処理済』、と書かれた木箱。手紙や書類を仕分けるためのものだ。

 ガレスは『処理済』の木箱の中を改め、ぱらぱらと捲った。


(手口は見当がついている。他の書類に混ぜ、緊急性を煽ることでサインをさせた)


 だが書類は確認した上でサインをするように心がけている。何故このような『ミス』が起こったのか。


(兆しはあった。だが決定的だったのは……そうだ、あの時だ)


 順調かと思われていた治水工事。しかし一度破綻しかけていた。

 原因は上流に位置する有力貴族ブランシェ家による介入。工事が進む中、ブランシェ家は資材供給と人夫の流れを止め、さらに王都へ異議を申し立てて、一部の工事区域の停止を取り付けた。これにより堤防の要所が未完成のまま放置されることとなり、放置していては増水期に耐えられない状態となった。


 もちろんガレスはそれを黙って見ていた訳ではない。増水期が来る前に必要な書類や資料を取り揃え、ただちに王都への裁定を取り付けた。そしてブランシェ家の単独介入を排除することに成功し、工事は無事再開。計画は分流型の治水へと修正されて完成し、増水期までに解決出来たことに胸を撫でおろしていたのだが……。


(膨大な資料の整理や、書類を用意するのに精一杯だった。よって確認が疎かになっていたという自覚はある)


 だが決定的な証拠に欠ける。誰かの目撃証言でもあれば……。

 コンコン

 ノックの音にガレスは我に返った。


「はい」


 書類を揃えて箱に戻しながら答えれば、「失礼いたします」とドアが静かに開いてメイドが一礼した。


「このような時ですが、お食事はいかがなさいますか?」


 静かな声だが、労わりの響きが感じられるそれに、ガレスは反射的に腹を撫でた。そういえば介入による一件以来、食事を簡単なもので済ましていたことに気が付く。


「ああ、ありがとう。頂くよ」


 そう言うと、メイドはどこか安堵したような表情を浮かべ、「準備は出来ております」と一礼した。



 そうして腹を満たしたおかげで頭が回ったガレスは。


「全員を大広間に集めてくれ」


 と家令に命じた。

 集められた使用人たちは静かな表情のままだったが、こちらを見る瞳は不安そうな光を隠せていなかった。


「遅くにすまない。だが、ことは一刻を争う」


 そう切り出すと、空気がぴん、と張り詰める。


「どのようなことでも良い。妻……いや、セレーネ・ブラックウッド嬢のことで気付いたことはないか?」


 使用人たちは顔を見合わせ、互いに探りあうように視線を交わした。


「私は離縁届にサインをした記憶はない。だが、現にこうして離縁届は受理され、ブラックウッド嬢は去った」


 机上に置いた受理証明書を、とん、とん、と人差し指で叩く。


「手口は他の書類に紛れさせた、という単純なものだろう。……誰か見たものはいないか?」


 ガレスはふ、と息を吐いて、首をゆるゆると振った。


「私は事実のみを知りたい。……頼む」


 祈るように告げる。すると。


「……あの」


 小さな声だった。

 その主を見れば、年若いメイドだった。確か雇って一か月も経っていない筈だ。

 不安そうな光を宿した瞳に、ふ、と安心させるように微笑んでみせる。


「構わないよ。ゆっくりで良いから話してほしい」

「は、はい!」


 妙に上擦った声で返事をしたメイドは、少し息を吐いて話し始めた。


「まずお聞きしたいのですが、おくさ……いえ、セレーネ様は執務室に入られたことはありますか?」


 ガレスは少しばかり目を見開き、首を横に振ってみせる。


「いや、彼女が執務室に入ったことは、私が知る限りではなかった」


 そう答えると、メイドは少しだけ目を伏せた後、決意したように口を開いた。


「正確な日にちは覚えていないのですが、セレーネ様が執務室から出てこられるのを見ました。辺りを伺うような素振りをしていたので、お声がけをするのは躊躇われてとっさに隠れてしまったのですが……。その時に見ました、大きめの封筒を大切そうに持っていらっしゃったのを」


 決定的ともいえる瞬間だ。

 ガレスは「ありがとう」と礼を言って、深く頷いた。

 出来れば書類を紛れ込ませる瞬間の証言も得たかったが、そこまでは無理だろう。


「治水工事の目途が付いたところで、また別の問題があがったこと、本当に申し訳ない。まだ皆には動いてもらう必要があるが、協力して欲しい」


 使用人たちは力強く頷き、深々と礼をしてくれた。

 それだけで心強い。


「では、明日に備えて今日はもう休んでくれ。私ももう休むことにするから」

「承知いたしました。ですが、その前に安眠効果のあるハーブティをお淹れいたします」


 忠実な家令にガレスは「ありがとう」と精一杯の笑みをうかべてみせた。

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