第92話 最後の口づけ
「今日も暑そうね」と、私は見舞いに来たメイシャに言った。
「なんか、異常気象なんだって。毎日こうだと、いやんなっちゃう」とメイシャはハンカチで汗を拭く。
「……こんな日にお葬式を出したら、来てくれる人は困っちゃうかな」
私の言葉に、メイシャは目を見開いた。
もう長くはないと思っていたが、なんとなく、今日のような気がしている。
まだ口が動くうちに、言っておきたいことがある。
「そうよ。お客さんのこと思ってきたあんたなんだもん、涼しくなってからにしてちょうだい」
「うーん、その約束は守れそうにないわ。最期ばかりは迷惑かけそうよ」
「うふふ。最期ばかりって、あんた、今まで迷惑掛けてこなかったとでも思ってるの?」
そう言って笑った。
メイシャもきっと、今日だろうって分かったのかもしれない。
「ちょっと待っててね」
そう言ってメイシャは病室から出て行った。
その目に涙を溜めているのが私には見えた。
入れ違いにお医者さんが入って来る。
「さて、今日も明るく元気に陽気に、注射を打ちましょうね」
私は、もう結構ですのでと断る。
この医者は、とても正直者だ。
最初は「注射を打ちますね」だけだったが、時間が経つにつれて、形容詞がどんどん増えていった。
恐らくこれ以上、付け加えられる形容詞はないだろう。
医者は、子供の頃、アイドルが好きだったと言った。
「過去形なの?」と意地悪に訊いてみる。
「それじゃ、アイドルを引退してから、また表に出てくるのって、イヤなんじゃない? やっぱり、辞めたらもう出ない方がいいのかしら」
昔のアイドルが歳を取った姿で再び出てくるのを、良いと思わない人たちがいることは知っている。
医者は「今でも、子供の頃に好きだったアイドルが好きなんです」と言った。
「当時好きだった女の子のことや、運動が苦手でバカにされて落ち込んで、だったら勉強を頑張ろうと思ったあの日のことも含めて」
彼の中のアイドルは、もしかしたらすっかり色褪せてしまっているかもしれない。
でも、その時の出来事も含めて、心の中に生き続けているのだと知る。
それはきっと、今現在、歳を取った姿がどうだということとは関係ないのだと。
「それに、歳を取って、いい女優さんになったりするのを見ると、励まされることもあるんですよ」
悪いことばかりではない、ということか。
メイシャが慌てるように病室に駆け込んできた。
「なによ、病院なのよ。あんまり慌てたら早く逝っちゃうじゃない」
私は冗談のつもりで言った。
ところがそんな言葉を無視するかのように「今、来てるんだって」と言った。
「なにが?」
「レイナよ、レイナ!」
えっ。
あの事件の後、一切表舞台に出てこなくなった。
今どうしているのかと訊かれたことも何度もある。そういうテレビ番組が流行った時期もあった。
もちろん私は知らないし、周りの者も誰一人、消息を知る者はいなかった。
やっぱり、今日なんだなと思った。
病室に来たレイナは、すっかり腰が曲がっている。
もしかしたら、顔なんて私より老けちゃってるかもしれない。
いや、それはさすがに言いすぎかな。でも、無残としか言いようのない姿形だった。
「レイナ、元気だった?」
「先生、ごめんなさい」
声だけは、当時のままのようだ。可愛らしい声。
もっと近くに寄って。私は声を掛ける。
レイナは、ただ、泣くばかりだった。
「相変わらず、泣き虫ね、レイナは」
そう言うと、さらに嗚咽がひどくなった。
どこで何をしていたか。そんなことはどうでも良かった。
ただ、レイナがこうして生きていて、私のところへ来てくれたことが嬉しかった。
私は力を振り絞って、レイナの頭を撫でる。
そう、あの時のステージが終わった後のように。
医者が話してくれたように、私の中のレイナは、あの時のレイナのまま。たとえ色褪せてしまっていても、私の中のレイナは、私の中で生き続けている。
もう、言葉は必要なかった。
その後、教え子や会社の人たちが続々とやって来た。
カズくん。
バックバンドが全員抜けちゃっても、最後の最後まで残ってくれた。とっても心強かったのよ。もし冒険者になってたら、きっと有名になってたかもしれないわね。あ、もうそういう時代でもなくなっちゃったから、良かったのかもよ。それに、メイシャと一緒になれなかったかもしれないしね。
ヒロさん。
よくダンテ君のスパルタに耐えたわ。
まだ最初に聞いたツーバスの音はこの身体が覚えている。楽器ではとってもお世話になったわね。でも、もうヒロダーなんてダサい名前つけちゃいやよ。
フェルドさん。
奥さんを泣かせてないでしょうね。お酒は控えめに。
今でもね、三人だけのバンドに、フェルドさんのギターが加わった瞬間のこと思い出すわ。今だって、世の中じゃフェルドさんのギター、お手本になっているらしいわよ。いきなり消えちゃったから、伝説って言われてもいるらしいわ。知ってた?
フェリペさん。
フェルドさんの後に入って、やりにくいこともあったんじゃないかしら。そんなことどこ吹く風で、いつの間にか人気者になっちゃったのよね。魔族から見たら、こんな短い時間で命がなくなるなんて、不思議かしら。でも、命ってどんな種族でも同じだけ精一杯だったってこと、フェリペさんならわかるわよね。魔族のみんながこれからも生き続けられることを祈っているわ。
トータ姫。
いい歳なんだから、変顔はもうやめなさいよね。って、もう今じゃ姫じゃなくて、王女様だったわね。トータ族って、人間よりもっと長生きするんでしょ? うらやましいわぁ。とはいえ、私はもう、やり残したことなんてないけどもね。どう、そんな一生、うらやましいでしょ?
ああ、もっとみんなと最後に話したけども、そろそろ幕が降りてきそうね。
私の育てたアイドルのみんな。
アイドルは誰もが、可愛くて歌もダンスも上手い女の子たち。
そんな最強のみんな! 本当に、本当にありがとうね。
ねぇ、メイシャ。私の大好きな人。
いっぱい歌もうたったし、一生懸命踊ったし、もういいわ。お腹いっぱい。
死ぬことなんて、ちっとも怖くないのよ。
拍手してちょうだい。この私に。割れんばかりの拍手をちょうだい。
もうすぐいなくなるけど、悲しまないでね。
今だからわかるけど、ゴードンさんも同じじゃなかったかって思うの。
若くして亡くなったゴードンさん。もっと長く生きて欲しかった。なんでこんなに早く亡くなっちゃうんだって、この世を呪いもしたわ。
でもね、ゴードンさんも、きっともうお腹いっぱいって言ったのよ。
精一杯生きて、楽しんで、笑って、泣いて。
とっても楽しい人生だったよって、本当のことだと思うの。
ジュゲンさんと天国でお酒でも飲んでるんじゃないかしら。
ああ、でも。一緒になって女の子のお尻を追っかけてるようになってたら、ちょっと引いちゃうわよね。もしそうなってたら、叱っておくわ。
ねぇ、メイシャ。愛しい人。
最後に一つだけ、たった一つだけ、私のわがままを聞いてくれない?
……どうか、お願いだから……。
お願いだから……。
私にキスして……。
私の顔に、生暖かい雫を感じる。
メイシャの唇を感じる。
その瞬間、ふっと身体全体の力が抜けるような気がした。
もう思い残すこともない。二度と生まれ変わることもない気がしている。
この後、私は真っ白な階段を昇るのだろう。
そしてもし、階段の上で名前をきかれたら、こう言おう。
アイドルを作った女神。
そう。それが私の名前だと。
その瞬間、私の意識はすうっと消えていった。
これにて完結です。
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