輝く月の夜に
大広間の壁に背を預け、黒髪のエルフは領主である若い女性の視線に答えて手を振る。
辺りを警戒しながら、警護の責任者であるイヴォンは怪訝な顔をギードに向ける。
「何がおかしい」
くすくすと笑うエルフに、少々苛立っているようだ。
「ふふっ、シャー様はかわいいですねぇ」
片眉をぴくりと上げて、イヴォンがますます不快な顔になる。
エルフ族というのはその耳が特長であり、ギードもイヴォンも何気に会場内の会話は聞き放題である。
「そういえば、相変わらず浮いた噂ひとつ無いんですね」
このダークエルフは自分の生まれた経緯をあまり良しとしておらず、最近は族長としても相手が必要なはずなのに、仕事にかまけてそっち方面は疎かにしている。
イヴォンは溜め息を吐く。
実際、イヴォンにとっては耳が痛い話である。
正直にいえば、エルフ族と同じようにダークエルフ族も今のままでは数を減らす一方である。
かといって、強さを至上とする種族であり、その力を落とさないために同族以外の婚姻を認めていない。
「力って、腕っぷしだけじゃないでしょ?」
ギードは、ほとんどの者が腰が引けてしまうイヴォン相手でも、全く怯む様子がない。
「だって、どうせいつかは力は衰えますよ?」
ギード達エルフ族と違い、ダークエルフ族はその身体能力のおかげで、エルフ族よりは遥かに寿命が長い。
そして体力の衰えが、そのまま戦闘での死に繋がる種族なのである。
「イヴォンさん、気に入る相手がいない、それは分かります。でも」
ギードはエルフ族の寿命に近い年齢だった。衰えを感じ、死を覚悟した。
最強といわれる者でも、いずれはその時が来る。
「族長として、その力は誰かに継承させたい。そうでしょう?」
だから、先代の族長だったイヴォンの父親は、愛情などなくても子供を作ったのだ。
顔を背けるイヴォンにギードは追い打ちをかける。
「それのどこが悪いんです?」
イヴォンから漏れる怒気を気にも留めず、ギードは続ける。
「じゃあ、イヴォンさんはシャルネ様が他の男性の妻になっても、傍にいられますか?」
まあ、相手の方が嫌がるかも知れないけどーと、ギードは心の中で思った。
シャルネの花嫁姿でも想像しているのか、イヴォンは目を閉じている。
「ぎどちゃー」
ギードの息子であるユイリが手を振っている。
「イヴォンさんは、子供は道具じゃないって言いましたよね」
ギードは微笑みながら、息子に小さく手を振り返す。
「じゃあ、何だと思ってます?」
動揺している気配が伝わる。
「そ、それは」
「子供は、かわいいでしょ?。あれは大人が誰でもかわいがって育てるように仕組まれたモノなんですよ」
イヴォンの答えなど求めず、黒いギードはただ言葉を続ける。
「世界は誰かが繋げていかなきゃ、枯れるんです」
ギードはそれを荒れ地で、その目で見て、感じてきた。
環境は大切だ。でも荒れ地の獣人達は、その過酷な環境の中でも生きていた。命を紡いで。
「愛とは子供を、この世界を、繋げていくためのモノかも知れません」
世界を存続させる大前提が、愛ではなく、子供だとしたら。
「まずは子供が先ってことか」
「そう思ったらいいんじゃないですかーってことですよ」
頭の固いダークエルフに、ギードは少し微笑み、それでも目は真剣なままだ。
「はっきり言って」
ギードの笑みがだんだんと黒さを増していく。
「結婚を発表する必要あります?」
今度こそイヴォンの動揺がはっきりと伝わる。
「どうせ、周りに冷やかされるのが嫌だとか、知らせるのが恥ずかしいとか思ってるんでしょ?」
目を逸らすイケメンダークエルフは、こう見えてかなりの照れ屋さんなのだ。
もう一度、策を講じてみようとギードは思った。
「次の月が満ちる日、遺跡の迷宮の、三階の安全地帯でお待ちしてます」
ギードは場所を問わず、その身に神を降ろし、教会と同じように指輪の効果を発動させることが出来る。
「こっそり自分達だけで神の祝福を受ければいいんですよ」
今、この国に、イヴォンのすることに異議を唱える事ができる者はいない。というか、居たら消せばいいだけだろう。
「ちゃんと指輪は自分で買って来てくださいね」と念を押しておく。
ギードは子供達の傍へ移動する。
(さて、もうひと押ししておこうか)
「そうだ。ユイリ、あのイヴォンさんはね、楽器の名手でもあるんだよ」
「ほんとっ?」
きらきらした目のユイリに抱きつかれ、イヴォンは苦笑いでギードを睨む。
「あ、ああ。そっか、ユイは音楽が好きだったな」
うんうんと首を縦に振るかわいらしいエルフの子供にねだられ、イヴォンは仕方なく楽器を持ち出す。
夕闇が迫る館の大広間に、イヴォンのやさしい弦楽器の音が流れる。
それは子守唄。興奮状態だった子供達は、ようやく揃って眠りに落ちた。
若い女性達は、イケメン傭兵の意外な姿にぽーっとなっている。
その中には当然、シャルネもいた。
「月が綺麗ですね」
客の見送りに館から出る際、何気ないギードの言葉に、イヴォンは夜空を見上げた。
満月には少し足りない月。
手を振りながら闇に消えるギード達を見送り、ふとイヴォンは思った。
シャルネに、仲の良い夫婦と愛くるしい子供達を見せつけ、その気にさせる。あのエルフがそこまで企んでいたとしたら、
(まさかね)
黒過ぎる。
苦笑いを浮かべたイヴォンは、王宮の湖に映った月を思い出す。
護衛対象だったシャルネの母親と、よくあの湖の畔りを歩いた。
闇に生きる自分達は、人族の彼女の目にどんな風に映っていたのだろうか。
彼女の娘を輝かせてやりたいと思い続けて来た自分は、その娘にどう思われているのだろうか。
「聞いてみても、いいかな」
月がイヴォンの横顔を照らす。
イヴォンとシャルネの間に、どんな会話があったのかは分からない。
ただその日から三日後の満月の夜。
迷宮の三階に、珍しくきっちりとした婚礼の衣裳を身にまとったイヴォンと、まだ信じられないという顔の、美しい、庶民的な婚礼衣装のシャルネがいた。
正装を身にまとったギードは、ふたりの口付けを祝福した。
「準備はいいですか?」
着替えた後のシャルネに小さな荷物を渡す。
「一応、薬類は揃っています。お気をつけて」
「あ、ありがとう、ございま……」
彼女の頬の涙と同じように、その指には金色の指輪が、光っていた。
〜完〜