① 電子の揺らぎ
①
今日は朝から気持ちよく晴れ渡る快晴にも関わらず、真子の足取りは重かった。いや、足取りだけではなく、体も重く感じていた。
その理由は真子の右肩にギンが乗っかていたから。
そもそも実体が無いギンに重さは無い。だけどギンがそこにいるというのが、重く感じていると錯覚しているだけなのだ。
「で? なんで付いてくるのよ?」
『昨日も話したろう。おんしとワシが繋がってしまっているのだから、離れたくても離れられん』
「はいはい、そうでしたね‥‥」
真子は露骨に嫌な表情で答えた。
今朝方、真子は繋がっている尻尾が切れないものかと試しにハサミで尻尾を切ってみたものの手応えは無く、ただ何も無い空間をハサミを開いて閉じたりするだけだった。
ギンは呆れたようにため息を吐き、その光景を目撃してしまった母に、身を案じられてしまったのは言うまでもなかった。
『なんとか出来ていたら、なんとかしている。なんとか出来ないから、こうしている』
なんともならないギンを肩に乗せて、真子は我が母校―伊河中央中学校。通称“中中”へと続く通学路を歩いていた。
道中、自分と同じセーラー服を着た女子たちや学ランを着た男子たちが歩く姿が見え始める。どの生徒も基本手ぶらで、たまに体操着などを入れている補助バッグを持っているくらいだ。
今の時代、学校教材は電子情報端末機に入っている(インストールされている)ものだ。なので、教科書や筆記具といったアナログなものは携帯する必要が無く、当然、それを持ち運ぶ学生鞄も必需品では無くなったのである。学校側も電子情報端末機の使用を容認されている。
だが、真子は自分の電子情報端末機が壊れているので所持していなかった。本来なら、今日の授業をどうするべきか悩むべきだが、今はギンの存在に心を奪われてしまっていた。
もしかしたら、この中にギンを見える人がいたら?
いたらいたで、なんと答えるべきかだろう?
と、真子が心配するも、他の生徒たちは特に真子たちを気にせず、学校へと向かう足を止めなかった。
「なんか、それはそれで、ちょっと悲しいかな」
『何を言っとるんだ、お主は?』
「別に‥‥あれ?」
真子は、先行く複数の生徒たちの身体から陽炎のようなものが揺らめいているのに気付いた。他の生徒、ましてや当の本人すら、その異変に気付いてないようであった。
「ちょ、ちょっと、アレ?」
『なんだ?』
「変なのが見えるのだけど、アナタも見える?」
『うん? ああ、幾人かの身体から電子の揺らぎが出ているな』
「で、電子の揺らぎ? だ、大丈夫なのアレは?」
『あれはお主たち人間が定めた、バーチャル症候群の前兆のようなものだな』
「‥‥それって。だったら、何とかしてあげた方が良いんじゃ?」
『あれぐらいなら、今の時代なら普通だろう。それに、まだ慌てる症状ではない。ほっとけ』
「そう、なの?」
気掛かりではあるが、ここで騒いでみても、おかしいのは自分だと奇異の目で見られるのは明白である。
真子は見て見ぬ振りをして学校へ向かうが、
(ん? なんで、私‥‥あんなのが見えるのだろう?)
ふと自問自答するも、答えはすぐ側に見つかった。
『どうした?』
要因である存在を忌まわしき視線を送り、「べ~つ~に~」と恨みを込めてギンに言ったのであった。
■□■
何事もなく学校に辿り着き、真子は自分の教室に向かう。
昨今の少子化もあり、生徒の数は少なくっているので、三年生のクラスも二クラスしかなかった。
しかし、ICT(情報・通信・コンピューター技術)が発展した社会。ネットを介して、学校に通わず家で授業を受けるのも普通となっていた。
わざわざ学校に通う意味性は乏しくなっており、通学に煩わしさを感じる人もいる。だが、学校に通う最大のメリットは、生身の友達と会えることだろう。
真子は自分の教室へと入ると、クラスにいた生徒達の視線が集まった。
「え、えっと‥‥」
皆の視線に戸惑っていると、眼鏡を掛けた女子が真子へ真っ先に駆け寄り、声を掛けてきた。
「真子、大丈夫だったの? で、なにが有ったの? 入院して意識不明だったとか、なんとかで心配したのよ。で、大丈夫なの?」
「ああ‥‥大丈夫。大丈夫よ、雫」
怒涛の勢いで身を案じてくれた彼女の名前は釘宮雫。真子の親友の一人であり、電脳生命体について話してくれた人物だ。
「もう! 大丈夫だったなら連絡してよ。真子のおばさんにも言っておいたのに」
「ゴ、ゴメン。私のパソデバが壊れちゃって‥‥。それにお医者さんからも、暫くはパソデバとかの電子機器の使用は控えてって、注意されているから‥‥」
「え、それって‥‥」
「バーチャル症候群が発症した疑いがあったみたいだけど、それは大丈夫で。念の為に、使用を控えろって言われてるだけだから、身体はなんとも無いよ!」
「そ、そうなの?」
真子が健康をアピールするものの、どことなく違和感を感じ取る雫。
「‥‥ね、真子。なんか、自分の身に何か変わった事とかなかった?」
「えっ!」と、真子はドキっと心臓が跳ね上がる。
自身の身に大きく変化した事‥‥ギンという電脳生命体に付かれているという。
ここで正直に話して姿形を直視できないギンの事を説明しても、「うわっ‥‥」と可哀想な目で見られてしまうのは、判然としている。
「な、何とも無いよ! 大丈夫だから、こうして学校に来たんじゃない」
「そう? まー、真子が大丈夫って言うなら‥‥」
二人が話している中、他の女子たちも周りに集まっており、「藤宮さん、身体の方は大丈夫?」「真子ちゃん、心配したよ~」と、雫と同様に心配の声をかけてくれた。
友達の思いやりに真子の胸が熱くなり、真子は熱い友情の思いを示すために雫たちを強く抱きしめたのであった。
「みんな‥‥ありがとう!」
久しぶりの学校に友達との会話。学校は始まったばかりだと言うのに、真子は少し疲れしまっていたが、チャイムが鳴り響くと真子をシャキッとさせて、真子たちは自分の席へと向かう。
「ところで、真子。テスト勉強の方は大丈夫なの? 今日から中間テストが始まるけど‥‥」
雫の何気ない言葉に、「‥‥えっ!」と真子が声を漏らした後、呆然として立ち尽くし――
「そ・う・だっ・た・のーーー!」
盛大に心の声で叫び、ギンはたまらず耳を塞いだ。
「どうしたの、真子?」と雫の声は、真子には聞こえていない。
今の時代、電子情報端末機のToDoアプリにスケジュールを管理しているものである。電子情報端末機が手元に無いという、不便さを大いに痛感したのであった。