20
アーサーはテレンスの首筋にナイフを添えている。
「僕は兄に王位を譲ることにしたんだよ。僕は、マルグリットと結婚したいだけなんだ。だから、おまえ達、手を出すんじゃないよ。僕、死ぬのは嫌だよ~」
死ぬほど怯えたように呟いている。テレンスの迫真の演技にロークは息を呑んだ。
「アーサー様、どうやってリュカ様をここまで連れ出したんだ?」
それに関してはアーサーは答えなかった。
そんなに、テレンスは似ているのかとリリーは驚いていた。
ロークの部下達が囁き合っている。
『おいおい、リュカ様、こんなところにいたのか』
『でも、どうやって誘拐したんだ?』
何だろう。
彼等は、リュカが誘拐されたと言っているようなのだが……。リリーは黙ったまま、周囲を観察していく。
すると、ロークが馬上から言った。
「リュカ様、聞いて下さい。アーサー様の言葉を信じてはなりません」
ロークの部下はリュカの背後にいるアーサーに狙いを定めたままである。しかし、そうはさせまいとしてテレンスは叫んだ。
「や、やめろ……。おまえ達、下がれよう。僕の言う事が聞けないのかよう」
アーサーがテレンスのの喉元に刃先向けているものだから、ロークが露骨なまでに焦っている。
「おまえら、銃を向けるな」
リリーは直感した。こいつらは、リュカとテレンスが入れ替わっていることに気付いていない。
ロークにしても、リュカが行方不明と聞いていなければ、ここまで焦らない。
ロークの心は濁り、複雑な感情に揺さぶられてざわめいている。
(なぜ、どうやって、こいつらはリュカ様を誘拐したのだ?)
もしかしたら、マルゴットの名を使って、リュカを外に呼び出したのかもしれない。
(きっと、宰相がマルゴットに手紙を書かせたに違いない。ああ、そういうことなんだな。そして、まんまとリュカ様は罠に嵌ったのだな。クソッ)
迂闊だったと、ロークは後悔していた。
アーサーを離宮に近づかせないことばかり考えていたけれど、こんなふうに、リュカを外に誘き出すなんて、こいつらの作戦は巧妙だ。
そんな事を思い焦れているローク。
そんなロークに対して、テレンスを人質にしたままアーサーが叫ぶ。
「おまえら、妙な真似をすると、こいつの命はないからな」
すると、テレンスは馬鹿丸出しの声で言った。
「みんな、そこを離れて。僕、まだ死にたくないよう。みんな、兄上から離れて」
テレンスは事前のレッスンの甲斐あって、誰もが、リュカだと思い込んでいるようである。
アーサーが不敵に笑う。
「離宮には、我が弟と共に向かう。おまえらもついて来たいのならついて来ればいいさ」
ジリジリとした時間が続いている。
「行け」
アーサーの言葉に御者のリリーは黙って頷き、馬を動かした。再び馬車が動き出したのだが、奴等は張り付いている。
どうか、こちらの嘘がバレませんようにとリリーは祈るしかなかった。
☆
正午の鐘が、どこからともなく聞こえてくる。しかし、その音は梢の音でかき消されていく。
その時、ちょうどリュカは目覚めていた。
「やっぱり、僕は迷子になっちゃったんだな……」
深夜、馬に振り落とされてからも、森から出ようとしてグルグルと動き回った結果、森の深部へと来ていた。
助けてくれーと、何度も叫んだが誰も来てくれない。民家が見当たらない。どこにも明かりが見えない。
(ここはどこなの?)
すぐ近くには渓谷がありもそこは野生の熊の住処だ。
「お腹が空いた。喉も乾いた」
水を欲していたリュカは野生の果実に手を伸ばそうとする。しかし、それを口にした途端に、渋みに面食らって吐き出した。
「何だよう。まずいじゃないか」
ああ、どうして、誰もいないんだ?
常に護衛に守られて生きてきた坊ちゃん育ちのリュカは不安に駆られていた。
喉が渇いて、頭がボーッとなってきた。
マルゴット……。君に会いたい。リュカは地べたに座り込んで水筒の水を飲み干していく。その時、不穏な音が響いてハッとなる。
(森の奥で獣がいる。あれは何だ?)
それは子熊だった。リュカは子熊に近寄り、だっこしようとすると、後ろから来た母熊に襲われてしまい悲鳴をあげて倒れ込んでいく。
いやだ。いやだーーー。お母様、どうしたらいいの?
リュカは子熊を抱きしめたまま座り込む。
その背中は熊の大きな爪によって引き裂かれていたのだった。
☆
リリーは手綱を握りしめた状態でハラハラしていた。
ロークはテレンスをリュカだと思い込んでいるようだ。渋々、アーサーに従っている。
あと少し。もうじき離宮に辿り着くが安心はできない。馬車を囲むようにして彼等は進んでおり、ずっと彼等はアーサーを狙っている。
やがて、離宮の正門が開いた。問題はこの後なのだ。
アーサーがテレンスの首にナイフを突き付けているところを、貴族達に見られるとマズイ。
アーサーが乱心したので射殺したと言われたら、それまでだ。
こうなったら、やるしかない。
馬車を車寄せに着けようとするが、そうはさせないとしてロークが前に立ちはだかっている。
リリーは御者台から降りると、一目散に走り出した。そして、張り裂けんばかりの声で絶叫する。
「アーサー様とリュカ様が到着しましたーーーーーーーーー。皆さん、アーサー様は生きていまーーーす」
あいつらに後ろから撃たれたら、一瞬のうちにお陀仏である。
それでも、この一瞬に賭けるしかないんじゃーーー。
なぜ、建物の外に衛兵がいないのだろう。それは、みんな、リュカの捜索に出ているからである。
くそー。中にいる人達に気付いて欲しい。
リリーは玄関の前で絶叫した。
「アーサー様が帰還されましたーーー。皆さん、朗報です。アーサー様は生きてまーす」
離宮は王都の宮殿に比べるとこじんんまりしている。
リリーの悲痛な声が響き渡っている。ロークの部下は走り回り、叫び続けるリリーを撃ち殺そうと狙いを定めている。
だが、撃たれる寸前。
「皆さま、大変ですぞ。アーサー様のご帰還でございまーーーす」
離宮の玄関口にいた使用人がリリーのバカでかい声に反応してくれた。そして、馬の世話をしている主馬頭や門番兵長などが真っ先に現れた。
さすがに、大臣クラスの人達は奥の間にいて、この事に気付いていない。
ロークは、今なら、まだ間に合うと思っている。下僕たちなら、金を握らせたなら何とでもなるからだ。
(今のうちにアーサーを屠らねばならない)
馬車に近寄ると、ロークは勝手にドアを開いて乗り込もうとした。そして、奥に座っているアーサーに銃を向けようとした時、テレンスが両手を広げるようにして言った。
「お父さん。撃っちゃ駄目だよ」
えっ。
お父さんという言葉にロークは怯んだ。信じられないといったようにテレンスを見つめている。
テレンスはおっとりと微笑んでいる。
「……リュカ様?」
いや、目の前にいるのはリュカではない。この時、唐突にロークは悟った。
今、目の前にいる若者の額にはうっすらとした傷跡がある。これは、テレンスが子供の頃に猫に引っ掻かれた傷である。
(王子にこんな傷はない……)
ロークは子供の頃からリュカを見てきた。だから、どんなに似ていようとリュカではないという事は分かる。
(もしかして、あの子なのか)
ロークの中で記憶がザーッと蘇る。
王妃、ソフィが双子を産んだ翌日。ロークは双子の弟を抱きかかえたまま森で思案していた。心臓を一突きすれば済むというのに、どうしても出来なかった。
だから、王立病院の解剖医に二束三文で売り飛ばしたのだ。
医者の卵達は墓泥棒をしてでも遺体を欲しがっていた。
しかし、遺体を斡旋する男もさすがに生きている赤子を解剖するのはどうかと思った。死んだ赤ん坊なら街には山ほどいる。
元気な赤ん坊を養子に出して、その手数料をもらう方が自分も気が楽だと考え直したのだ。そして、跡継ぎになる子供を欲しがっていた小さな船会社の夫婦に引き取られた。
会社といっても、安い賃金で仕事を請け負っているので、決して裕福ではないけれど、それでも、テレンスは幸せに暮らしている。
という具合に混みあった事情があるのだが、それが分からないロークは混乱していた。
双子の片割れなのか。
もし。そうだとしたら、なぜ、アーサーと共にいるのだろう。
すると、背後から宮廷長官と宮廷の礼拝堂の司祭が現れた。彼等は、ちょうど庭の花を愛でていたところだったのである。
王妃とアーサーの確執に気付いていない宮廷長官がにこやかに言った。
「おおーーー、アーサー様だ、御無事だったのですね。おやおや、リュカ様もおられる。ああ、そうですか。大事な人に会いに行くというのは兄上を迎えに行くという事なのですね。なんと仲のよろしいことか」
リリーはハッとなる。本物のリュカはどこかに出かけて留守のようである。
本物の馬鹿王子、どこにいるのか、リリーにはサッパリ分からないけれど、とりかく、アーサーが暗殺される危機は脱したようだ。
多分、車内でいざとなったらリュカのフリをするように綿密に打合せをしていたのだろう。
「おおっ、アーサー様、よくぞ御無事で」
国務卿も財務卿も宰相も区内卿も、みんな、アーサー派の人達である。彼等は嫡男の帰還に満足していたのだ。
「クソッ」
ロークは舌打ちするけれど、そんなロークの背中に手を添えた者がいた。それはテレンスである。
「ねぇ、ローク、君が僕を捨てた理由を教えてよ」
ロークは絶句しながらも、雷に打たれたようにテレンスを見つめるしかなかった。
☆
アーサーは期間内に帰還した。よって、つつがなく王位継承の儀式は行われたのである。
だが、ソフィーは苛立っていた。
ソックリだが、目の前にいる男がリュカではないことぐらいは分かる。これは偽物ですと言いたいが、そうなってくると本物はどこにいるかと問われる。第一、なぜ、この男はリュカに酷似しているのだろう。
王位はアーサーのものとなったのだ。
それから、一週間が経過していたが、ソフィーはリュカが偽物であることには最初から気付いている。
「ローク、我が息子にそっくりなあの男は何者なのですか。まさかと思いますが、始末したはずですよね」
「リュカ様の弟君で間違いありません。何かの手違いで生き延びたようでございます」
すると、ソフィーはハッと胸を押えた。
十七年前に捨てた双子の片割れてある。ソフィーは、まだ諦めていなかった。ふふっと笑みがこぼれる。
これまでリュカを思いのままに動かしてきた。
リュカは、本当は兄達が好きだったのに……。
自分の野望の為に息子の心を歪めてきたのである。そして、またしてもソフィーはテレンスを操ろうとしたのだ。
ソフィーは自惚れていた。テレンスの頬を優しく撫でながら告げたのだ。
「よく聞きなさい。あなたはわたしの息子なのよ。ですから、あなたは王になれるのよ。今からでも遅くないわ。アーサーの飲み物にヒ素を混ぜなさい。あなたとわたしで王国の礎を築きましょう。あなたは王に相応しい高貴な血が流れているのですよ」
母の愛を押し出して取り込もうとしたのだ。
「あなたを王にしてみせますよ」
ソフィーは、テレンスのことを甘く見積もっていた。
「あなたは偽物の王子だということをバラされたなら、あなたは、どうなると思う? 」
「……」
「でも、心配いりませんよ。この母が、あなたを王にして見せます」
だから、リュカの身代わりとして……。
ソフィーはそう思っていたのだろう。
しかし、外の世界で生きてきたテレンスには通用しなかった。テレンスは奥歯を噛みしめるようにして告げていく。
「お母さん、あんたみたいな自分勝手な女の言いなりになるほど、僕は愚かではないですよ」
顔がそっくりだ。自分を産んだのは、この女で間違いない。しかし、この女は生まれたばかりのテレンスを簡単に捨てている。
テレンスはソフィーの悪行を知り呆れ果てていた。こんな女狐など、どうでもいい。テレンスにしてみれば、育ててくれた人達や船の仲間が何よりも大切だ。
テレンスは身代わりとして生きようと腹をくくっていたのである。
「僕は本物の王子ですよ。ねぇ、そうでしょう?」
☆
自分はアーサーの補佐として生きたい。テレンスは自分がやるべき事をしようと思い宰相に告げた。
「母上とロークが謀反を起こしたぞ。王と一番上の兄上は殺された。母の部屋にあるヒ素が薬剤師の証言が証拠だ。捕らえてくれ」
あれから、アーサー達は調べたのだ。
森で倒れたリュカは犬に食われてしまい朽ち果てており、アーサーは秘密裏にリュカの遺体を埋葬している。テレンスはリュカとして暮らしながらも、海運会社を経営することになったのだ。
もちろん、船の仲間にも自分が王子になったという事は内緒だが、養父母には本当の事は話している。
船のみんなには、テレンスはアーサー王の秘書になったと伝えている。
「アーサー様、よくぞ御無事で」
アーサーの婚約者のマルゴットはアーサーの帰還に喜んだけれど、もう、その時は尼僧として髪を落としていた。
「もう、わたしはあなた様とは結婚致しません」
それを聞いてアーサーは、ホッとしたように魅力的な笑みをこぼしたのだった。
アーサーが王位に着いて以降、ロークと王妃の悪事を示す証拠が次々と見つかった。
ロークに関しては、リリーの継母を殺した罪も加算されている。そして、こないだ、ついに処刑された。
王妃は永遠に東の塔に幽閉されるという。
こうして、リリーとアーサーの波乱万丈な冒険の日々は幕を閉じたのである。
☆
後日、バティスト島でギャバは捕まっている。
『バティスト島の秩序を乱した罪で逮捕する』
ギャバ一味は根こそぎ逮捕された。ざまぁみろとばかりにリリーは笑った。
その後、リリーはアーサーを救った功績によって女伯爵となったのである。
爵位と共に報奨金も受け取っている。
そのお金をリリーは妹と分け合ったのだ。
これだけあれば、エリザベスの婚資は充分だ。
(アーサーは、もうアーサー王なんだよなぁ~ 旅のバディじゃくなっちまったなぁ)
今回の活躍により、リリーは女伯爵という地位を頂けることになった。
アーサーからの報奨金も手に入れている。
だが、しかし、なぜか、心にポッカリと穴が開いたような寂しさを感じていたのである。
フーコック島の城に籠っていたジャンは、事件後は騎士として叙せられている。それに、ジャンの仲間の密輸の罪も咎められるどころか、アーサーの計らいで名誉市民として表彰されている。
むろん、ギャバを含むバディスト商会は解体された。反政府組織もラーソンによって突き止められて一網打尽となっている。
☆
色々あった。あれから三か月。フーコック島で暮らすリリーは涙ぐんでいた。
ザザーンという波音。
リリーは流木に腰かけて頬杖をついたまま夕日を見つめている。
フーコック島の古城。そこにいるのは、リリーと古参のメイドの二人だけである。
(執事も死んだわ。おんぼろの城で、あたしは寂しく歳をとるのかしら。この島には、リリーの友達なんていない)
ちなみに、ジャンとエリーゼはバティスト島で暮らしている。
『お姉様も来てもいいわよ』
エリーゼはそう言ってくれたが、親子水入らずで暮らす方がいいとリリーは思っている。これまで長く離れていたのだから、思いっきり甘えるといいのだ。
リリーは自分一人で何でもできる。掃除も洗濯も炊事も手慣れたものだ。
(当分、生活費の心配もいらないし、めでたしめてだしだわ)
とはいうものの、リリーの心は沈んでいた。
というのもアーサーが婚約発表したという噂を耳にしたからだ。
浜辺でリリーは夕日に向かって絶叫する。
「アーサーの馬鹿ーーーーーーっ。あんたなんて助けるんじゃなかったよーーー。この恩知らずーーー」
自分の魂の半分が消えたかのような気持ちだ。
波乱万丈。七転び八起き。アーサーとの日々が懐かしい。
(セクハラ野郎のアーサーに会いたいよう……)
でも、もう、気軽に会えない。だって、彼は王様なんだもの。
「相変わらず、失礼な女だな」
すると、そこに黒い影が伸びてきたので振り返るとアーサーが微笑んでいた。
一体、いつ島に上陸したんだ?
「なんでここにいるの?」
「刺身を食いに来た」
「それ、本気?」
「ああ、本気だ」
アーサーは、王様とは思えないようなラフな服装をしている。しかし、よく見てみると護衛のラーソン達が岩陰からこちらを見ている。
「今夜、この島で星空を見ようかと思っている。泊めてくれるか?」
その言葉の奥にある甘い響きにリリーは胸が弾んだ。
今夜、彼は、一晩中、リリーの側にいるつもりなのだ。
「ふふっ、それなら、釣りをしなくちゃ」
「おまえ、背中の傷はもう痛くないか?」
「そんなの、とっくの昔に治ってるわよ。聞いたわよ。婚約、おめでとう。どこの姫様なの?」
「オレの姫君は美人で明るい。泳ぎが上手くてタフな女だ。それに、何より、オレと気が合う」
「へーえ、そうですか」
プイッと拗ねたような顔をしていると求婚されていた。
片膝をついて、リリーの顔を仰ぎ見ている。
アーサーの瞳の中にいるのはリリーだけ。
「おまえ以外には考えられない」
「……」
「王妃になってくれないか」
アーサーはリリーを抱きしめると情熱的に口づけたのだった。
おわり




