第1話
昼下がりのけだるい光が雑居ビル群を照らす。
駅前というより、半分は住宅街かもしれない。所沢駅からかなり歩かされた。すぐ近くにマンションや賃貸メゾネットが建っている。
ひときわとがったペンシルビル『ダンテビル』のエレベーターに乗る。
『合同会社ガモフ』は三階にあった。
社名のプレートが古びた鉄製ドアの上部に貼ってある。
山尾隆二はドアをノックしてみる。返事がない。
ドアノブを回す。鍵はかかってない。
ドアを開けると、薄暗い殺風景な無人の空間だった。
20坪に満たない床面積。
床にはグリーンのタイルが敷き詰められ、事務机や椅子はおろか、部屋の中には何もない。もちろんだれもいない。
白い天井には蛍光灯が規則正しく並んで埋め込まれているが、すべて消灯している。
「山尾さんですか」
振り向くと一人の男が立っている。
グレーのストライプスーツを着た長身の男。30歳前後くらいだろうか。
背中には黒のビジネスリュック。口ひげが似合うが少しキザだ。
もうすぐ還暦に近い山尾は黒髪と白髪が混じったごま塩頭で妻から白髪染めをよく勧められるが、自分が若い時分は男が髪を染めるなど非常識だった。男は外見より中身が大事、というより外見に気を使い過ぎる男はそれだけで中身が薄ぺらに決まっている。
こうした昭和気質の山根からすれば、茶髪に染めた目の前の男には生理的嫌悪を覚えざるを得なかった。
「ガモフの郷です。
山尾さん、ここではなんですから、近くの喫茶店でお話ししましょう」
喫茶『トムスキンス』は『ダンテビル』の二階にあった。
山尾隆二と郷源太は窓際の席に座り、山尾はブレンドコーヒーを郷はカフェオレを注文した。
「実はここのビルへは明日、引っ越す予定なんです」
郷が言う。
「だからまだオフィスにはお客様がお座りいただく椅子もない状態でして」
「だれもいらっしゃらないんで、最初は驚きましたよ」
山尾は吐息を漏らす。
この男、だいじょうぶだろうか。
長年会社経営をやってきた山尾は、取引先の信用を社員の”人となり”で判断してきた。
どんなに知名度のある大企業でも、担当の営業マンがだらしない男だった場合、取引を断った。
逆に営業マンが好印象だった場合、知らない会社でも取引を決めた。
会社の信用はバランスシートでなく、社員の人間性だ。
こうした昭和気質の経営者である山尾にとり、郷はすぐにも縁を切りたい相手だった。
トラッドファッション雑誌に出てくるモデルのような甘いマスクと三つ揃いの洒落た着こなし。
内羽一文字のビスポークシューズ。
こういう手合いはホストクラブで女たちから金を巻き上げればいい。自分のような真面目な人間のビジネスパートナーにはふさわしくない。
山尾は心の中でそう思った。
ある種のコンプレックスのせいか、イケメン過ぎる男はすべからく信用できないと考える癖が山尾にはあった。
自分がブレンドコーヒーなのに、郷がそれより高いカフェオレを飲んでいることも気に障った。
だが自己破産に近い一文無しの山尾にとり、かつてのようなわがままは許されない。
「ところで」
郷が訊く。
「山尾さんは、弊社のことをどうやってお知りになったのですか」
「避難所でおたくのことがうわさになってましてねえ……スマホで御社のホームページを見つけて電話しました」
「そうだったんですか」
先月、東京で首都直下型地震が起きた。
気象庁の発表ではマグネチュード8、震度7。震源地は自衛隊朝霞駐屯地、地下10キロメートル。
山尾隆二が経営する工業製品の金型工場は震源地の近くにあったため、全壊した。
また山尾が住んでいる光が丘のタワマンも被害にあった。
地震の数日前、線状降水帯の大雨が光が丘に降り注ぎ、地盤が弱くなっていたため、この地域の地震の被害は大きかった。
タワマンは断水し、山尾は妻や子供とともに近くの小学校の講堂に避難して、他の被災者と雑魚寝して暮らす生活を余儀なくされた。
ある日、避難所の炊き出しで豚汁をもらいに行列に並んでいると、なにやら前にいる二人の男がうわさ話をしている。
「この地震、人工地震だって知ってるか? 自然の地震じゃないよ」
「人工地震ってなんだよ」
「人間が人為的に起こした地震だ。SNSを見てみろよ」
「そんなの陰謀論だろう」
「もし人工地震だったらガモフ社に問い合わせるべきだ」
前に並んでいる男が口をはさむ。
山根はポケットからスマホを取り出す。
ネットで”人工地震”を検索すると様々な情報が見つかった。
複数のSNSでも人工地震の話題で持ち切りだった。
朝霞駐屯地の土地をドリルで掘削し、小型純粋水爆を埋める。
爆破すると地下水がマグマに到達し、人工地震が起きる。
光が丘の線状降水帯は米国人工衛星による気象兵器で人工地震の被害を拡大することが目的。
人工地震の直接の犯人は自衛官だが、日本国政府の命令に従っただけ。また日本国政府は米国から命令されている。
黒幕は米国というより、世界を裏で支配するユダヤ金融資本、もしくはディープステートと思われる。
彼らはなぜ人工地震を起こしたか。
日本人の人口を削減するため。あるいは世界の基軸通貨としての米ドルの地位を守るため。
人工地震により為替市場で円安になれば相対的にドル高になり、基軸通貨として米ドルの地位を維持できる。米国は財政的に国家デフォルトの危機にあり、ドルの価値が暴落する可能性がある。
米国が世界の覇権国家であり続けるには軍事力で世界最強であるだけでなく、経済でも世界最強の地位を守らなくてはならない。そこで日本を攻撃した……。
山尾は炊き出しをもらうまでの待ち時間にこうしたSNSに広がる陰謀論をスマホで入手した。
その後、山尾は避難所で暇なときにスマホでしばしばSNSで陰謀論系の話題をさがすようになった。また陰謀論系ユーチューバーの動画やブログに頻繁にアクセスするようになった。
さらには調べているうちにガモフ社のことを知った。公安コンサルタントのガモフ社が人工地震の相談に最適だという書き込みを発見し、ガモフ社のホームページにアクセスした。
山尾は電話でガモフ社の郷と名乗る男とアポをとった。財布は持っており、避難所から歩いていけるところに銀行のATMもあった。財布にはキャッシュカードもクレジットカードも入っている。
それでも全財産の大半は地震で失ったが、被災者の中では自分は金を持っている方かもしれない。山根はそう思った。
避難所は練馬なので所沢まで西武池袋線で一本だ。幸いにも西武線は地震から一週間後に復旧していた。
「そうだったんですか」
郷が言う。
「申し遅れましたが、こちらが私の名刺です」
郷は山根に名刺を渡す。
名刺を見ると「合同会社ガモフ/代表社員/コードネーム 郷源太」と書いてある。
「コードネームってなんですか」
山根が訊く。
「はい。郷源太という名前は仮の名前でして、戸籍に登録された私の本名ではありません」
「えっ? じゃあ本名はなんとおっしゃいますか」
「それは企業機密です。こうした仕事をしていますと、命をねらわれる可能性がありますので、本名は伏せさせていただいてます。それからもう一枚、名刺があります」
郷はもう一枚、名刺を渡す。
今度は「公安コンサルタント/G」と書いてある。
「弊社の仕事は公安コンサルタントです。ここに書いてあるGというのは私のIDです。
もちろん本名ではなくコードネームです。
クライアントさんから私はよく”公安探偵G”なんて呼ばれてますが」
山根の脳裏に”公安探偵G”という語が何度となく反芻される。
(つづく)




