1.幸子、死す
あ、やばい。
こりゃ私、死んじゃうかも。
妙に冷静にそう思いながら、私の身体は宙へと飛ばされた。
私、花村幸子、48歳。
忙しく働く娘の代わりに、保育園へ孫を迎えに行った帰り道。
孫のコウタと手を繋いで歩いていると、前方の坂の上からベビーカーがゆっくりと下ってくるのが見えた。
──おかしい。
思わず眉をひそめる。ベビーカーを押している人がいない。
そして、中には……赤ちゃんがいる!?
まずい。そう思った瞬間、横道の先からトラックが迫ってくるのが目に入った。
反射的にコウタの手を振り払い、走り出す。
学生時代は陸上部だった。走るのは得意なはずなのに、もう何年もまともに走っていない身体は重く、思うように動かない。
それでも、必死に足を動かす。
トラックの運転席が視界に入った瞬間、私は目を疑った。
──運転手が、スマホを見てる!?
運転手のおっさんはスマホに夢中で、ベビーカーどころか前方すらまともに見ていなかった。
そのとき、坂の上から悲鳴が聞こえた。
ちらりと目を向けると、そこには青ざめた若い女性──あの赤ちゃんの母親だ。
彼女は転がるベビーカーを、ただ呆然と見つめていることしかできていなかった。
最初に気づいたときはゆっくりだったベビーカーは、坂を下るうちにかなりのスピードになっていた。
お母さん! 赤ちゃんから目を離しちゃダメよ!
トラック運転手!! でかい鉄の塊を動かしてる自覚を持ってよね!!
心の中で叫びながら、ようやくベビーカーに手が届く。
私は思いきり、それを押し退けた。
次の瞬間──
ドンッ!!!!
衝撃が走った。
私の身体は、ノーブレーキの鉄の塊に吹き飛ばされた。
◆
「おばあちゃんっ!!」
コウタが泣きながら駆け寄ろうとするのが見えた。
だが、見知らぬ中年の女性が彼をしっかりと引き止めていた。
(……ありがとう。知らない方だけど、孫を止めてくれて)
「ごめんなさい……っ! もうすぐ救急車が来ますから……娘を助けてくださり、本当にありがとうございました……っ!」
ふと気づくと、さっき坂の上で叫んでいた母親がそばにいた。
やっぱり赤ちゃんの母親だったんだ。泣きながら何度もお礼と謝罪を繰り返している。
(大丈夫だよ)
そう言いたいのに、全身が痛い。息が苦しい。声が出ない。
でも……赤ちゃんは? ちゃんと助かった?
視線を動かすと、それに気づいたコウタが答えてくれた。
「大丈夫だよ。おばあちゃんが助けたから、赤ちゃんは無傷だよ!」
それを聞いた母親が、震える手で赤ちゃんを抱きかかえ、私に見せてくれた。
小さな赤ちゃんが、泣いていた。
……よかった。無事だったんだ。
「俺は悪くない! いきなりこのオバサンが飛び出してきたんだよ!!」
ほっとしたのも束の間、不愉快な叫び声が響いた。
トラックの運転手だ。
(……は?)
何言ってんの?
おいコラ、おっさん。
あんたのながらスマホ運転が一番の問題でしょうが!!
それに、ここは通学路で制限速度があるのに、どう見てもスピード違反だったじゃない!!
……怒鳴りつけたかった。でも、身体は動かない。
視界が霞む。
(……やばい……っ)
周囲の音が遠のく。まるで水中に沈んだみたいに。
そして、プツンと──
突然、切られたテレビのように。
──私の意識は、そこで途絶えた。




