第二十章
その日の夜。田中は、結局、会社を休んだにもかからず何もできずに一日を過ごしてしまった。昼は、みんなでカップ麺を食べて済ませて、だらだらと何もせず過ごしてしまった。
インターネットで三鷹の事件を調べたところ、被害者の市川史郎は、七十八歳、三人の娘がいる。長女は生物科学者の夫と共にアメリカで暮らしており、三女は九州のある大手スーパーの社長と結婚している。また、遺体を発見した次女は、近所に住んでおり、大手製薬会社に勤務する会社員と結婚して子供が三人いるそうだ。また、市川の妻は二年前に脳梗塞で死亡しており、広い邸宅には市川一人で暮らしていたという。市川は、建設会社の社長であり、建築業のほか、ゴルフ場、タクシー、ホテルなど幅広く事業を手掛けており、地元ではかなりの名士だったらしい。一人暮らしをしている事で娘が心配して、ときどき様子を見に行ったり、電話をしていたのだが、この日は、朝から何度電話してもつながらず、嫌な予感がしたという。様子を見るために市川の自宅を訪れたが、何度チャイムを押しても応答がないため、合鍵で入ったところ、父親が全裸でベッドに横たわっているのを発見し、警察に通報したとの事だ。
「せっかく成功しても、こんな死に方をしては何にもならないな」
思わずひとり言が出た。
「確かに。悲惨すぎますね」
パソコンの画面をのぞき込みながら、由香里がそう言った。
「でも、このままで終わるかしら? 私、あかねがこの程度で満足するとは到底思えない」
沙羅が、田中にコーヒーとお菓子を持ってきながら、そう言った。
「どうだろう? この事件で三千万手に入れたから、当分はおとなしくしているんじゃないかな?」
そう言いながら、カップを口にした。
「いや、解りませんよ」
今度は、紗耶香が横からそう言った。
「お金があるからと言って、おとなしくしているとは限りません」
にこりともせず、紗耶香は無表情でそう言った。
横にいた麗香も、うなずいた。
その頃、ヒルトンホテルの一室で、あかねはテーブルの上の札束に腰を下ろして、テレビを見ていた。
「なあ、未祐!」
あかねの声がすると、未祐は視線を、あかねに移した。
「なあに?」
「あいつ、どこ行ったんだよ~」
あいつとは、絵里の事だ。
「さあ、どうかしら。絵里、ちょっとムラムラしていたようだから、男漁りに行ったんじゃない?」
そう言いながらクスッと笑った。
「ふーん、そうなんだ。未祐はムラムラしないの?」
未祐はそれには答えずに、チャンネルを変えた。
「つまらない番組が多いわね」
そう言うと、未祐はソファーに深く身を沈めた。
ボストンバッグの中の残りの札束をすべて机の上に置いてみた。厚さ約一センチの百万円の束が、二十九個あり、束から外した札も結構な数が残っている。まだまだ三千万円近くある。
「男より、お金を見ている方が楽しいかも」
そう言いながら、札束の一つを取り出すと、ペラペラとめくってみた。
今日のこのヒルトンホテルも、スウィートルームだから結構な金がかかった。
だが、しょせん資産家から盗んだ金だ。痛くもかゆくもない。三千万円あるから、当分、こんな暮らしはできるだろう。
「まあ、三千万あるから、当分はおとなしく過ごそうかな……」
そう言う未祐の前にあかねが歩いてきた。
「つまらないよ~何か、面白いことしないか~」
あかねは退屈そうだ。
そんなあかねを見て、未祐は悪戯っぽく笑った。
その頃……あるホテルの一室の事である。
「え? 君、ビキニ着てるの? いつも? 蒸れない?」
ホテルの一室で、近藤洋二は言った。
「うん。私、ビキニが好きなんだよ。おじさん、ニヤニヤして私の胸とあそこをジロジロ見ているね?」
絵里はそう言うと、まるで見せつけるように近藤の目の前にその豊満な胸を見せた。
事の顛末は、それから一時間前にさかのぼる。会社帰り、同僚としこたま飲んで、いい気分になってひとり、駅に向かっていた時の事である。いつもなら通らない横丁が気になり、そこを通った時すれ違いざまに女にぶつかった。
「あ、すみません」
近藤は反射的に謝った。女もごめんね、と謝りながら、近藤が酒に酔っているのを見て耳打ちしてきたのだ。
「どう? 一発しない? 安くしとくよ?」
近藤は四十になったばかりだが、長年、妻と夫婦仲も悪く、ほとんど口を聞かない日々が続いていた。見知らぬ女とは言え、誘惑され心が動いた。
「え? 幾らで?」
思わず聞いてしまった。
「一万でいい。どう?」
破格の値段だ。女をよく見ると、白いTシャツ、ジーンズを身に着けている普通の女子高生か女子大生に見えた。とにかく、若い事には違いないし顔も結構可愛らしい。胸も豊満だ。歩くたびに揺れる。そしてそのぴったりしたジーンズの美尻を見ていると、興奮しない男はいないと思われた。
一万円なら、いいか。そう思って財布の中を見る。六万円ほど入っていた。
「いいよ」
「じゃあ、ホテル代も出してね」
ちゃっかり女はそう言ったが、近藤は、いいと言った。ホテル代を出しても、おつりがくる値段だ。
近くのホテルに入った。部屋の中で絵里がTシャツとジーンズを脱いだ時に、黒いビキニを着ている事が解ったのだ。
「黒いビキニが似合うね。何だかムラムラしてきちゃうな」
思わず近藤はそうつぶやいた。
「ククク。今日はいっぱい、してあげる」
そう言って、絵里はニヤリと笑った。
事を済ませて、シャワーを浴びた。近藤は、久しぶりに女の身体を抱いて、満足した。だが、酔いもあり、強い眠気に襲われた。
「ちょっと寝るよ」
どうせチェックアウトは明日の朝だ。ベッドに横になると、絵里と名乗った女もベッドに入ってきて、腕枕をせがんだ。
明日は、休みだ。女に腕枕をしながら、妻に何と言い訳をするか考えていた。
妻の恵子も、きっと朝帰りしてきた夫を見て、いい顔はしないだろう。日頃夫婦仲が悪いのなら、なおさらだ。二人の間に子供はいない。だから、仲の悪い妻など、さっさと離婚して、新しい女を見つけて一緒になった方がいい、と頭では解っていたのだが、なかなか離婚に漕ぎつけずに、今日に至っている。だが、隣で寝ている女を見ると、この女としばらく付き合ってみてもいいかと思い始めたのだ。
「絵里、可愛いね」
女の髪を撫でる。
そう? と女は嬉しそうな目をした。そして、近藤の胸を愛おしそうに撫でた。女の肉体の甘い香りと柔らかな体温が心地よく感じた。
「何だい、これ。わきに星の形をした印があるよ」
近藤が尋ねると、女が右わきを見た。
右のわきに、一センチ四方ぐらいの五芒星の星型が鮮やかに見えた。
「ああ、これね。なぜか最初からあるんだ」
女は少しだけ面倒くさげに言った。
「生まれつきかい?」
「そうね」
そう言いながら近藤の頬を撫でた。
だが、日ごろの仕事の疲れ、先ほどの情事の疲れが重なりそこに酒の酔いが一気に交わって相乗効果を起こしているように疲労感と強烈な眠気が襲ってきた。
いつしか、心地よい眠りの世界に、落ちてゆくのを感じた。
それから数時間後。
午前二時を回っていた。
ヒルトンの薄暗いスウィートルームのドアが開いた。絵里が、帰って来た。あかねはテーブルの上からテレビを見ていた。
「おーい、絵里。どこへ行っていたんだよ」
扉に駆け寄ると、絵里がニヤニヤと笑っている。
「お土産だよ」
そう言って、見せたのは黒い男物の財布だった。
「またなんか悪さしたなぁ~?」
あかねが、あきれた声を出した。
「馬鹿なオッサンからちょっと貰っただけ」
絵里はそう言いながら、ジーンズを床に脱ぎ捨て、Tシャツも脱ぎ捨てた。黒のビキニに身を包んだ絵里がソファーに座った。その膝の上に、あかねが飛び乗った。
「貰ったって……盗んだんだろう?」
そう言ってあかねはニヤリと笑った。
「まあね」
絵里が、そう言いながらあかねを右の手の掌に載せ、そして、あかねをそっとテーブルに置いた。
「中には何が入っていたんだぁ?」
あかねが興味深そうに尋ねると、絵里は財布の中身を見せた。
「六万円。まあ、ちょっとタクシーに使ったからもう五万円に減ったけど。後は、キャッシュカード、クレジットカード、免許証かな」
そう言いながら絵里は免許証を取り出した。
「近藤洋二。昭和五十八年五月八日生まれ……か」
ちらりと免許証を見て、投げるようにテーブルに置いた。
「オッサン、きっと困っているよ~悪い奴だな~絵里は」
あかねはそう言いながら、テーブルの上の袋からポテトチップスを一枚、両手で抱えるようにして取り出して、かじり始めた。
「知らねーよ。一発やらせてやったんだから、いいだろう?」
絵里はぞんざいな口を聞いたが、笑っている。
「六万円と引き換えにかぁ? 高いじゃないかよ~」
ポテチで口を油でべったりさせて、あかねが笑った。




