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ドール  作者: 竹取 裕基
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第十九章

 翌朝。

 また会社を休んだ。もう、三日目だ。風邪が治らないと伝えてある。

 日給月給制の派遣社員とは言え、一応、有給休暇はある。だから収入には困らないのだが、今の派遣先では、有給を使って休む奴は、やる気がないと言う空気があった。最近の労働基準法改正で最低でも年に五日は、使わねばならなくなったが、社員の中には、有給を使いながらも自発的に出社してくる者すらいた。それが無言の圧力に感じるので、派遣社員も有給で大っぴらに休めない空気があった。だから有給を使いたい時には、風邪を引いたとか熱を出したとか、誰かが死んだと嘘をついて休むのが定石だった。

 朝の陽ざしが強くなってきた。リビングの隅に置いてある観葉植物の葉が朝の日差しで照らされて光っていた。

 リモコンを手に取り、テレビをつけた。沙羅と由香里は、それぞれ皿洗いや風呂掃除をしている。紗耶香はベランダの掃除を、そして麗香は、床の掃除機をかけていた。

 今日も、逃げたドールたちを捜索せねばならない。

 どうやって探そうか。そう思いながら、ワイドショーの画面を見た。

 若い男と女のニュースキャスターが、どうでもいい芸能人のゴシップを熱心に報道している。誰それが熱愛発覚、誰それが朝帰りを激写される、どうでもいい話題だ。

 そう思いながら、チャンネルを変えた。

 チャンネルを変えても、この時間はワイドショーばかりだ。どの曲も似たような番組ばかりなので、YouTubeでも見ようか、と思った時の事である。

「ここです! 三鷹市の市川史郎さんのお宅です。大きな屋敷、広い門構えに大きな植え込みもあり、資産家である事が伺われます。ここのお宅に、昨夜、二人組の犯人が押し入りました!」

 若い女のレポーターが、ポニーテールを揺らしながら息せき切って伝えている。

 資産家が襲われたのか、物騒だな、と思いながら画面を眺める。

「今朝、午前七時ごろ、この家を訪れた史郎さんの次女が、昨夜から史郎さんに連絡が取れないため、玄関から何度も呼びましたが応答がないため、家の中に入ったところ、全裸で死亡している史郎さんが発見されました」

 え? 全裸で? いったい何が? そう思った。

「……遺体発見時、居間にあった金庫の扉が開けられ中にあった現金三千万円が奪われていました。次女の話によると、史郎さんは、常に金庫に三千万円入れていたそうです。また、この家の防犯カメラによって、午前一時ごろ、庭に忍び込む不審な若い女と思われる人影が二名、撮影されていました」

 画面が切り替わり、暗視カメラによって撮影された白黒の画像の中、作業服姿の若い女らしい犯人が二名、塀を乗り越えて庭に忍び込む様子が撮影されていた。顔には、モザイクがかかっていた。

 不審な女? まさか! あかねたちか!

 しかも三鷹市? あいつら、東京に行ったのか!

 思わず画面を凝視した。

「遺体の状況から、殺害されたとは見られず、現在、警察で司法解剖を行っているとの事です」

 殺していない? なぜ、また?

 訳が分からなくなってきた。

 殺してはいないが、三千万円も奪って逃げた? なぜ?

 良く解らないが、女の泥棒と言うのはあまり聞かない。多分、あかねたちの仕業だろう。

 しかも三千万円も奪ったとなると、当分逃げ回るのには十分すぎる金だ。とてもではないが、六月二十一日までに捕まえる事などできそうもない。

 田中は、思わず絶望感から血の気が引いてゆく思いがした。

「大変だよ」

 思わず声を出した。すぐ横にいた麗香が、か細い声で、どうしたのですか? と尋ねてきた。

「あかねたちが……どうやら東京で泥棒に入ったかも知れない。女の泥棒なんてあまりないからな、絵里が言っていた『でかい仕事』って、これの事だよ、きっと」

「そんな……でも、あり得ますね」

 麗香が珍しく驚いたような声を出した。その様子を見ていたのか、紗耶香もやってきた。

「どうしたのですか?」

「大変だよ、あかねが事件を起こしたみたいなんだ」

「え!」

「資産家の爺さんの家に押し入って、三千万円を盗んで逃げたみたいなんだ!」

 それを聞いた沙羅と由香里もやってきた。

「それは大変じゃない!」

 沙羅も驚いているし由香里も驚いている様子だ。

「まさか、事件を起こすとは……」

 由香里も信じられない思いでいっぱいのようだ。

「どうする? あいつらを追って東京へ行こうか?」

 田中がそう提案すると、沙羅は首を振った。

「無理だと思うわ。大体、お金もあまりないじゃない。それに、東京と言っても広いし、大勢の人間がいるから、あかねたちを探し出すのは至難の業よ」

 沙羅にそう言われて、田中も頭を抱えて考え込んだ。確かに上京しても捕まえるのは至難の業だ。田舎と違い、都会には、けた外れの人間がいる、それぐらいは田舎者の田中にも解っていた。

 しかし、このまま静観していても、時間だけは容赦なく過ぎていく……六月二十一日までに、あかねたちを見つけ出せねば、待っているのは「死」だ。

 どうすればいいのだろうか? 場面が切り替わって、どこかのデパートのセールを報道している明るい女の声を聞きながら、田中は頭を抱えてしまった。




 その頃……。新宿で降りた未祐と絵里は街の一角にある小さなカフェに入った。

 純喫茶風のその店には、バッハが流れて、重厚な空気を醸し出していた。

 古めかしい年季の入ったテーブルを前に二人は座ると、大きなボストンバッグを足元に置いた。

 絵里は、白いTシャツに、ジーンズ、赤のスニーカー、そして銀のネックレスとラフな格好をしており、シャツの下には黒のビキニがうっすらと透けて見えていた。それに引き換え、未祐はリクルートスーツを身にまとい、就活中の女子大生のような恰好をしていた。短めの黒のタイトスカートに黒縁の伊達メガネをかけていた。知らない人が見れば、女子大生の友人同士に見えたであろう。

「うまくいったわね」

 注文を取りに来たウェイトレスが去ってゆくと、未祐が満足げに笑ってそう言った。

「まあね」

 絵里がグラスに口をつけながら言った。

「爺さんが心臓発作を起こすとは……傑作だね」

 未祐が愉快そうに笑った。

「あんたがいけないんだよ、盗みが見つかった時、怒っているジジイにすり寄って触りながら、『ねえ、私を好きにしていいのよ……』なんて言いながら脱いじゃうから、爺さん、久しぶりに女の裸を見て興奮し、心臓発作を起こしたのよ。ひどいやつね」

 そう言ってニヤリと笑った絵里の指に、赤いマニュキュアが艶っぽく光っていた。

「何言っているのよ。絵里だって『ほら、ここ触っていいよ』って言って誘惑したくせに。そうしたら、爺さん、急に鼻息荒くなって素っ裸になって、あんたに抱き着いたじゃない。その時だよ、いきなり苦しそうに胸を掻きむしって白目剥いて死んじゃったのは。絵里が悪いよ」

 未祐が笑いながらそう言った。

「まあ、あの死に方じゃ、娘は、きっと情けなくて泣くだろうね」

 絵里がそう言うと、二人は愉快そうに笑った。

「あかねは?」

 絵里が尋ねると、未祐はそっと下を向いてボストンバッグのファスナーを開けた。

 中には札束の上に寝転がって嬉しそうにあかねが寝ているのが見えた。

「寝てるよ。あかねがいるから、潰さないようにバッグを運ぶのも気を使ってるのよ」

 未祐は声を潜めながらそう言った。

「そうだね、何か固い入れ物でも買おうよ」

 絵里がそう言うと、

「うん。その方があかねも安心できるよね」

 未祐はそう言いながら、窓の外を見た。

「さて、これからどうする?」

 絵里がそう言った時に、ちょうどウェイトレスがコーヒーを二つ運んできた。

 伝票を置いて去って行った後、未祐はコーヒーに口をつけながら言った。

「まあ、どうしようかな……考えてないけれど、あいつの家にいるよりは楽しいから、こうやって当分暮らそうか」

「そうだね。それもいいか」

 絵里が笑った。



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