食堂へ
足の痛みにもう歩けないと思ってしまうと、途端に一歩が踏み出せなくなった。
誰の家かわからない壁にもたれかかると、ずるずると地面に座り込んでしまう。
「もう無理」
弱音しか出てこない。
壁にもたれたライラは無気力な目で空を見上げた。
日が昇った空は明るく、今日は晴れたいい天気になりそうだとぼんやり思った。
太陽の位置から昼に近いこともわかったが、ライラは呆然と空を見上げていた。
夜のうちに城を出て最初に向かったのは母親の眠る墓前だった。
花を手向けようと思ったわけではない。もうここには戻ってこないという決別の意思を伝えるためだ。
それを済ませると見つからないように城の裏へと戻った。
城の裏手には毎朝明け方にその日の食材を届けるための荷馬車がやってくることを知っている。
荷物を降ろした荷馬車は雨除けの屋根付きなので外から中が見えない。そんな話を料理人から聞いたことがあったので、本当かどうかわからなかったがチャンスがあるならと様子を伺っていた。
話は本当だったようで、屋根付きの幌馬車がやってきて荷台から食材や必要な物を卸していた。
何とか隙を伺ってライラは馬車の中に入り込むと、気が付かなかった業者はライラを乗せたまま街へと引き返していった。
運びに来た業者は馬を引くために荷台にはいないので、街に着くまで気が付かれることはない。
そのまま息をひそめて城下へと運んでもらうと、どこかで馬車が停まった隙に荷台から降りたのだ。そのまま街の中を彷徨い歩いていた。
「ここはどこかな」
詳しい場所がわからないでただ歩いていた。
ずっと城に住んでいたライラに城下の知り合いなどいない。
幼い頃は母が通いで城の侍女をしていたため、ライラは1人で小さな借り家にいたが、それも8年前の事。近所の人の顔や名前もほとんど覚えていなかった。住んでいた家に行ったところでそこはすでに別の人がいる可能性が高い。
「野垂れ死にかな」
宿に泊まるにもお金がない。
何もかもを捨てるようにすべて城に置いてきた。
今着ている服だけは使用人の物を借りたままだ。ライラの私服では街の中で浮いてしまう。そのため使用人の私服をそのまま着てきた。
ほぼ無計画の行動に、今さら考える気力が湧くこともない。
そのまま俯いていると、心配するような声が聞こえてきた。
「あんた、大丈夫かい?」
女性の声にのろのろと顔を上げれば、茶色の髪に同じ色の瞳をした40代くらいの女性が顔を覗き込んできていた。
「ひどい顔してるじゃないか」
「足が、痛くて」
「怪我してるのかい?」
言葉にするのも億劫になり頷くと、女性は座り込んでいるライラの足を見るなり遠慮することなく靴を取ってしまった。
「血が出てるじゃないか」
そう言われて足を見てみれば、塞がったはずの傷口からわずかに血がにじんでいた。墓前に行き、街の中を歩き回ったせいで傷が開きかかっているようだ。どうりで痛いはずだ。
リハビリをしていたとはいえ、まだ体力も回復していなかった。それを無理して歩いたのもいけなかったのだろう。
反省する気持ちはあったが、もうどうでもよくなってきていた。
傷を見てため息をつくと、女性は慌てたようにライラの肩を掴んできた。
「すぐに手当てしよう」
「でも・・・」
「あたしの店がすぐそこなんだ。肩は貸してあげるから、頑張って歩いてくれるかい」
指をさす先にはロック食堂と書かれた看板があった。
「昼から営業する店なんだ。看板を出したら、あんたを見つけてね」
もうすぐ営業時間のようだった。店を開くために看板を店の前に出したところで座り込んでいるライラを見つけたようだ。
「これから営業なら、邪魔になってしまいます」
「怪我人が何遠慮してるんだい。いいから立ちなさい」
すごい勢いで腕を引かれた。よろめきながらも立ち上がると、有無を言わさず肩に腕を回された。腰もがっちりつかまれたのでライラに逃げる術がない。体力の気力もなくなりかけていたので逃げることはもとからできなかっただろう。
「もう少しだから頑張りなさい」
励ましを受けながら足を引きずって店まで歩いていくと、店に入った途端においしそうな匂いが鼻をくすぐった。
それと同時に自分が空腹であったことも思い出してしまった。
「とりあえずそこに座りなさい」
客席と思われる椅子に座ると、女性はすぐに店の奥へと入っていく。話声が聞こえてきて、誰か他にもいるのだとわかった。
それほど大きくない店を見渡していると、奥から箱を抱えた女性と、恰幅の良いこちらも40代くらいの男性がやって来た。
男性はライラの足の血を見て、目の前にしゃがみ込んだ。
「随分痛そうだな。すぐに手当てしよう」
女性よりも物腰の柔らかい言い方だが、ごつごつとした手がライラの足に伸びようとして、咄嗟に足を引いてしまった。それに気が付いた男性は気を悪くするかと思ったが、自分の手を見つめた後何かに気が付いたように立ち上がって数歩さがった。
「すまないね。こんなおじさんに手当てなんてされたくなかっただろう。キリが手当てをするから大丈夫だよ」
「まったく、レオンは女の子に対しての気遣いがなってないね」
申し訳なさそうにする男性はレオンというらしい。キリと呼ばれた女性は呆れた顔をしていた。
そんな2人のやり取りをライラはぽかんとして見ているだけだった。
どう反応したらいいのかわからずにいると、今度はキリが目の前にしゃがみ込む。
足を取られると手際よく傷の手当てを始めた。
あまりにも遠慮ない行動にライラは何も言えなくなって黙ってその様子を見つめていた。
「あんなところで一体何してたんだい?」
手当てをしながらキリが質問してくる。
クリスタラーゼ城から身一つで飛び出してきたとはさすがに言えなかった。
「住んでいた家を出てきたんです」
言葉を濁してみたが、これで納得してくれるキリではなかった。
「家出かい?家族と喧嘩でもしたのかね」
「家族は・・・弟が1人だけです」
家族と呼べる存在ではもうない。それでも誤魔化すためにルークを弟として話した。
「親同士の再婚で、血の繋がりがない義弟です。仲は悪くなかったと私は思っていたんですが、親が少し前に亡くなって、私には早く出て行ってほしいと思っていたみたいです」
直接言われたわけではない。いつも側にいるアスルが代わりに言っただけだ。それでもいつも側にいた従者が主の意を汲んで行動したのなら、彼の言葉はルークの言葉なのだろう。
母親の行動を知った彼は実の娘であるライラも同じ行動をとっていると思っている。これ以上借金が膨らまないためにも切り捨てることを選んだのだろう。
「ひどい弟だね。そのせいで何も持たずに追い出されたのかい」
追い出されたというよりも自分から出てきたという方が正しいだろうが、そこを訂正することなく曖昧に微笑んでおいた。これ以上は話す気も起きなかった。
俯くと話が終わったのだと察してくれたようでキリはそれ以上質問してこなかった。
「行く当てはあるのかい?」
別の質問に首を横に振る。
「それならしばらくここにいなさい」
一瞬何を言われたのかわからなかった。突然のことにライラは数回瞬きをする。
「え、でも・・・」
「怪我人をこのまま放置なんてできないだろう。困った時はお互い様だよ」
あまりの展開に口を開くが言葉が出てこない。
「それはいい。俺たちの娘は結婚してここを出て行ったから2階に部屋は余ってるんだ。そこを使えばいいさ」
ずっと黙って様子を見ていたレオンが賛同して両手を叩く。
「行く場所がないならそうしなさい。それとも家に帰るつもりだったのかい?」
「それは・・・」
帰る場所などない。戸惑っていると、キリとレオンはどんどん話を先に進め始めた。
「埃が溜まっているだろうから掃除をしてこないと」
「服もクローゼットに少し残っていたはずだから、古い物だけど着られるはずだよ」
2人の中ですでにライラはここで生活することになっていた。
言い返す言葉を持つことができないまま、ライラはその日からロック食堂の2階でロック夫妻と一緒に生活することとなった。




