8-2 老人と孫
きんきらの装飾をしている他の家族の部屋とは違い、元帥の部屋はこざっぱりとしている。全体的に使い古してすこし色あせた風合いの机と壁。部屋にはくすんだ緑色の絨毯が敷かれている。
ただ、公爵から褒美にもらった勲章や武具などは、ピカピカに磨かれて部屋にずらりと飾られている。元帥は字が読めないので、ハルフォード現当主や当主のこどもたちの部屋のように、本はおいていない。ただ、公爵からいただいた本や表彰状などは、大切に部屋に飾っている。
部屋に二人きりになると、ハルフォード元帥は食卓にいた時には見せなかった優しい笑顔を孫娘に向けて言った。
「さて、アーニャ、お前はどうしてルーク・ダーリングが魔王ではない、と思うのかね?おまえはそんなにダーリング氏のことを知らないだろう。どうして魔王でない、とそんなに強く思うのか、理由を教えてくれぬか。」
アーニャは思いのほか、祖父が優しい様子を見せたことに少し驚きながらも、直立不動の姿勢を崩さないまま応えた。
「確かに、ルーク・ダーリング様のことはよく存じ上げません。ただ、美しく賢く、素敵なお方だと、遠くから見つめていただけです。」
それはそうだろう、と祖父は頷く。アーニャは年頃の娘らしく、姿形の美しい男につい夢中になってしまう癖があり、確かに少々じゃじゃ馬娘なところもある。しかし、根は純情な淑女であり、図々しく近づいたりはできない娘だ。
特に、ルーク・ダーリングとは舞踏会で出会うことがあってもなかなか自分からは話しかけられなかったらしい、と公爵から聞いている。
「でも、わたしサラ・ダーリングのことはよく知っているんですよ。」
「サラ?ああ、そうかお前とあの子は昔からの友達だと言っていたか。」
「はい。サラはいつもお兄さんのことを気にかけて、よく話をしてくれました。夜遅くなるとめちゃくちゃ心配して怒ることとか、冷たいようだけど使用人やサラには本当に優しいとか、何よりいつも、自分のことは後回しで、サラのことばっかり考えているって……。」
話しながらも、アーニャの顔には少し陰りがあった。その親友は今、白の魔王……つまりルーク・ダーリングに幽閉されていると専らの噂なのだ。
「サラの話を聞いていたら、ルーク様がどんなお人かくらい、私にだってわかります。あの方は一見冷たくて誤解されやすい人だけど、決して悪いお方じゃない。本当は、思いやりのある方なんだってことくらいは。」
「でも、そのサラさんが、兄と信じていた魔王に裏切られたのだぞ?悔しくはないのか?」
元帥はわざと惚けるように言った。
「それは何かの間違いでしょう。」
意外にも、はっきりとアーニャは言った。
「サラは素直だけどバカじゃありません。8年間もずっと一緒に暮らしている人間の本質を見抜けないほど、抜けている子じゃないですよ。どうして外に出てこないのか、それだけが心配だけど……私は…やっぱりルーク様を信じている、というよりはサラのことを信じているんです。」
アーニャははっきりと祖父の目を見て言い切った。その瞳はきらきらと輝いていて、迷いは無かった。
そんな孫娘の姿を認め、元帥は頷くと、口を開いた。
「お前の言いたいことはよくわかった。やはりお前は賢い子だよ、アーニャ。お前がこの家の長男だったらどんなに良かったろう……まあそれはまた別の話じゃな。よし、お前に真実を教えてやろうアーニャ。時間も少ないから長い話はできないし、わしも詳しく事情を知っているわけではないがな。」
そしてハルフォード元帥はその言葉通り、ぼつぼつと、手短に話し始めた。
「八年前のオルフェリアとザガイアの戦争で、ルークは愛する人を失った。……戦場で悪魔に騙された彼は、恐ろしい化物に姿を変えられて多くの人々を殺め、白の魔王となってしまったのじゃ。これは事実だ。悲しいが真実だ。」
幼少の頃、十分な教育を受けてこなかったアルバート・ハルフォードは、詩的に弁舌をふるうことなどできない。ただただ自分の知っている事実のみを話すことだけで精一杯だ。その分、ハルフォードの言葉には嘘がなかった。
「しかし、彼はまだ人間の心を捨ててはいない。戦場でさまよっていたサラさんを拾って、なんとか彼女を幸せにしようと、彼はずっと努力してきた。自分の身を省みることなく、な。そんなわしは彼を助けたい。ベルクール殿一人に任せていたら、彼は確実にルークを殺してしまうだろう。わしはなんとかベルクール殿の隙を見て、ルークを助けようと思っておる。」
「……信じて良いのですか?」
「もちろんだとも。」
頼もしい祖父の微笑に、アーニャは初めてほっとした。
祖父ならば、親友とその兄を最善の形で救い出してくれるに違いない。
アレクサンダーも頼もしいことは頼もしいが、聖剣を手に入れてからの彼の雄弁な姿を、アーニャは少し恐いと感じるようになっていた。
「ありがとうございます、お祖父様。」
アーニャが一礼して祖父の部屋を出ようとした時、二人は不意に、外の騒がしさに気が付いた。
なんだか、いやなざわめきだった。
元帥とアーニャは二人で外に出た。まだ着替え中の家族がなんやかんやと騒いで止める声がしたがそんなことは知ったことではない。
二人は、家からそう遠くない茂みの周りを、人々が取り囲んでいるのを発見した。
そこは、アーニャと同級生の、エリザ・ガーフィールドの家だった。
ハルフォード元帥の姿を認めると、ガーフィールド家の夫人が取り乱して泣きついてきた。
「あっ、ハルフォード様、どうか、どうか助けてくださいいいいい!」
「一体どうしたのじゃ、ガーフィールド夫人?」
「エリザが……娘のエリザがああああ!」
元帥にすがりついて、婦人は膝から崩れ落ちた。
アーニャは夫人の背中の先にある茂みの中に目を走らせて、あっと息を飲んだ。見覚えのある茶髪が乱れて、人が倒れている。間違いなく、エリザのものだ。そしてその姿は……
「これは…あっ、アーニャ見るんじゃない!」
祖父が急いでアーニャを茂みから遠ざけようとするがもうあとの祭りだった。
アーニャの同級生、エリザは、見るも無残な姿で、斬り殺されていた。
アーニャとサラの同級生、エリザ・ガーフィールドは銃を抱えたまま死んでいた。
哀れな少女の遺体には白い布が覆われて、公国軍が遺体を引取りに来るまで待つことになった。
「……白の魔王の仕業だ……」
「あのルーク・ダーリングのせいだ……」
群衆のなかから、声があがる。その怨嗟の声は徐々に群衆全体へと広まっていく。
「白の魔王の所業を許すことなどできるか!一刻も早く討伐を!」
「ハルフォード元帥!どうかあの男に天罰を!」
「ちょっと待ってよ!」すがりつく群衆と祖父との間にアーニャは慌てて割って入った。
「落ち着いてよみんな、まだダーリング様のせいと決まったわけじゃ……」
「だったら他に誰がこんなひどいことを!?うちの娘が一体誰に殺されなくちゃならないんですか!?」
「それは・・・・・」
そう言われてしまうと、エリザが死ぬ理由が見当たらない。確かにちょっとツンケンして嫌な奴だとは思っていたけど、殺されるいわれはないはずである。
「それにこの子、銃を持っていました…きっと魔王をみて、追い払おうとなんとか必死だったんですわ……。」
「そんな健気な少女を……かわいそうにどんなに怖かったか。」
「魔王さえいなければこんなことにはならなかったのよ。」
「白の魔王め!許さん!」
怒りに燃える群衆に、ハルフォード氏とアーニャは立ち尽くすしか無かった。これだけの怒りを沈めることなど、自分たちにはとうてい手に負えないように思われた。
人々は気づいていなかった。黒い剣を背負った、赤毛の少年が木の上で満足そうに笑っていたことを……




