2-9 白い髪の化物
オルフェリアとの戦争は、ザガイア帝国側にとってかなり有利に進んでいたようである。
当時十歳であったアレクに、戦略や戦力に対する知識はほとんどなかったが、子供心にも、戦況はかなり良いらしいということはわかった。
何故なら、いつも仏頂面の、帝国軍皇帝である父の機嫌が非常によかったからだ。
皇帝に特に気に入られて、戦場にまで連れてこられた愛妾たちもアレクににこやかに微笑み、オルフェリア王国はザガイア帝国本土とは違い、暖かくて作物のよく採れる豊かな大地です。戦争が終わったらそこへ移住して楽しく暮らしたいものですねと話していたものだ。
あの時、アレクは侍女たちにかしずかれ、本陣の隣にこしらえた休憩所で休んでいた。
父が重臣たちと共に、熱心に戦略を話し合っている本陣へ、一人の兵士が駆け込んできた。
きっと素晴らしい戦果を報告してくれるものと、本陣の一同は期待した。
また、アレクも戦況が気になって、仕切りの布の間からこっそりと様子を伺っていた。
「恐れながら、皇帝陛下に、現在の戦況をご報告いたします。」
「うむ、して戦況はどうじゃ。」
良いに決まっているだろう、といった表情で、皇帝は兵を見下ろす。兵士の顔はうつむいていて、表情はうかがい知ることができない。が、兵士は淡々と戦況を報告した。
「ザガイア神聖帝国の一万の軍勢は、戦力を保ったまま、ついに王国の城内へ突入いたしました。オルフェリア王国の軍隊は、頭数だけならば互角ですが、神聖帝国軍が持つ最新の銃火器の前では成すすべもなく……城が落ちるのは時間の問題でしょう。」
「して、オルフェリアの王族たちはどうなのじゃ。」
「オルフェリア王国の王女を討ち取ったとのことでございます。」
「おお!それはあっぱれだ!」
「あっぱれ……で、ございますか。」
このとき、アレクは兵士の様子に何か引っかかるものを感じた。しかし大人たちはそんなことには気づかず、有頂天だ。
「そうだとも!だいたいあのオルフェリアとかいう国は、のどかそうに見えてその実、非常に忌まわしい血統の王族なのだからな!」
「忌まわしい……。」
「そうじゃとも!悪魔に魅入られた忌まわしき血統じゃ!王国側はひた隠しにしておるが、我らは奴らの正体をよくわかっておる!」
「陛下、我らの正義を持って、オルフェリアの醜い血筋を根絶やしに致しましょう!」
「ははははは!さあ王族……いや、王国の忌まわしい人間をひとり残らず打ち取り、浄化してくれよう!」
「……黙れ。」
シン……と、一同が静まり返った。
兵士から発せられたその一言は、その場の皆を凍りつかせるほどに恐ろしく冷たかった。
「な……貴様、皇帝陛下に向かって今なんと……!」
「黙れ……貴様らの…貴様らのせいで……!」
膝まずいていた兵士が、いきなり皇帝に飛びかかってきた。
兜が脱げ、そこから白く流れる髪が現れたかと思うと、白い髪の男は、銀色の長剣で皇帝の肢体を深々と突き刺した。
うっ、とうめく皇帝。腹に刺さった剣。そこから滴り落ちる熱い血汐。
あまりにも突然の出来事に、一同は呆気に取られてしまっていた。剣を突き立てられた皇帝自身も、何がなんだかわからない、といった表情である。
やがて、我に帰った重臣の一人が、うわああっと悲鳴を上げた。
それが引き金となって、一同は一気にパニック状態になった。多くの者が、急いでその場から逃げ出した。一部の側近たちだけが、その場で固まっている。
隣の部屋から覗いていたアレクだけが、まだ声も出せぬままに、父と、父の体に剣を突き立てている男とを見つめていた。
父を刺した男の髪は白く、腰まで届くほどの長さがあった。肌は、ろうのように青白く、目は血のように赤かった。
「き……貴様ぁっ……!」
「苦しめ……剣の痛みを存分に味わうがいい……冥途の土産に教えてやる。貴様が差し向けた軍勢は確かに大した勢いでオルフェリア王国を侵略していった。しかし、貴様が国をするにしている間に、貴様の城も今や落城した。」
「なっ……馬鹿な……!?」
「今頃、ザガイア帝国本土は焦土と化しているだろう。あっけないものだな。」
「……貴様、オルフェリア王国の……味方、なのか……やはりあの王族はっ……。」
「何を勘違いしている?私は……貴様の差し向けた軍勢よりも早く、オルフェリア王国を滅ぼした。王も后も王女も、みなこの手にかけた。」
「な…んだと…?」
「私は……人間が憎い。特に、貴様らザガイア帝国の人間どもと、オルフェリア王国の人間たち…私は絶対に許さない。」
「一体……貴様は何ものだ……。」
「私は……ブラン。“白の魔王”と呼ばれるものだ。」
そう言うと、白い髪の男は、皇帝に突き刺していた剣を一気に引き抜いた。
「し、ろの……まおう……。」
皇帝の巨体がどう、と倒れた。
白い髪の男…ブランが、返り血を帯びた兵士の服を脱ぎ捨てると、銀糸で見事な細工が施された真っ白な衣服が現れた。
白い服に白い肌、白い髪の男は、ただ、血のように紅い瞳で、倒れた皇帝を冷たく見下ろしていた。
それから、“白の魔王”ブランは、獣のような咆哮をあげて、次々とその場の側近たちに切りかかっていった……。
「あの時のことは、実はよくは覚えていません。布の隙間から、あいつの紅い瞳と目があったと思うとすぐに、どうやら気絶してしまったようで……気がつくと、陣営に集まっていた家来は、皆あいつに殺されてしまった……僕だって、本当は死んでいたはずでした。危ない所を、オットーに助けられて、なんとか命からがら、二人で生き残ったのです。」
「アレク殿……君が、皇帝一族の最期の生き残りであったのか……。」
「ええ。でもそれももう昔の話です。今はただ身寄りも住まいもなく、さすらうただの剣士です。」
アーク公爵はただただ惚けたように、うなずいている。
「あいつだけは、僕は絶対に許さない。必ずこの手で倒してみせます。……ダーリング殿?どうなさいました?」
ルークの表情が険しくなって、心無しか顔色が青くなっている。何をどう思ったのか、アレクは言い訳するように、ルークに向かって微笑みながら言った。
「誤解なさらないでくださいね、ダーリング殿。確かに個人的な怨みもありますが、私はそれだけで旅をしているわけではありません。すべての魔王を滅ぼし、世界に平安をもたらしたい、という祈りが、もちろんあるのです。……私のような人間を、もう生み出すことがないように、ね。」
アレクはにこりと微笑んだ。
「ベルクール殿、あなたのお話はよくわかった。……しかし、あなたは何故、武器を民間人に売ろうとする?どうして平和に暮らす人々を、闘いに巻き込もうとする?」
「……皆が魔王に殺された時、無力だったぼくは、何もすることができませんでした。オットーに抱きかかえられながら、人々が殺されていくのをただ見ているだけでした。本当に、無力でした。」
「……それで、武器を売ろうというのか?いざというときに身を守れる武器を持っておいたほうがいいというのか?」
「もちろん、自分の身を守る為にも武器は必要です。しかし何より……大切な家族や仲間を守るためにも、闘える備えはしておいたほうが、後悔はないと思います。」
「武器の力で、その人が強くなるわけじゃない。人々が護身用の武器の使い方を間違えれば、それがまた争いの火種とならないとも限らない。あなたはそこまで考えておられるのか?」
「……ダーリング殿にはわかりますまい。あの戦場の中、戦えない、ということがどんなに悔しかったか。悲しかったか。」
「……それが、君の信念なのか。」
「……はい。」
「そうか……。」
ルークはおもむろに立ちあがり、青い瞳でアレクを見据えると、はっきりと言い放った。
「我が家では、先程も言ったように、いざというときの備えくらいはしている。使用人たちも、家族も、必ず私が守ってみせる。君が民間人に武器を売りたいというなら、その危険性をよくよく考えることだな。それから……うちのサラにはもう会わないでくれ。」
「え?」
アレクは意外な言葉に驚いてたじろぐ。
「ダーリング?なぜそこで妹君の話になるのだ?」
「物騒な武器商人を、大事な妹に近づけたくありませんので。」
「ダーリング様!それはあまりにもアレク様に対して無礼ではございませんか!」
「やめろオットー。」
主人を侮辱され、憤るオットーをアレクはたしなめた。アレクは冷静であった。武器を売っていれば、このように冷たくあしらわれることはよくあることである。だからアレクはあえて微笑んで、ルークに言った。
「ダーリング殿、お気を悪くされたのなら申し訳ありませんでした。……しかし、もしも今後、気持ちが変わることがございましたら、いつでも僕たちのところへいらっしゃってください。お待ちしております。」
アレクは立ち上がると一礼して、オットーを連れて部屋から出ていった。