2-4 私の、ご主人さま セリア
市長とメイプル校長との会談を終えた自分の主を、セリアは市庁舎の玄関で待っていた。
屋敷から馬車をひかせてやってきたのである。今は夕方で、オレンジ色の夕焼けが街を包み込んでいた。
「お疲れ様でございます。ルーク様。」
「セリア……」
知らない人が見れば無表情に見えるだろうが、長年一緒にいるセリアには、自分の主がかなり疲れていることがすぐにわかった。よくよく見れば、ホッとした表情を浮かべているのである。
「馬車で迎えにきてくれたのか、気がきくな。」
「ええ、市長だけならともかく、メイプル殿もご一緒だと伺ったものですから…」
「……うむ、そのとおりだ。」
そういうと、ルークは早々に馬車に乗り込んだ。疲れたから、というのと、メイプル女史と顔を合わせないように、という配慮がるのだろう。もちろんそれは向こうも同じだろうとは思うが。サラがメイプルの学校で学んでいる手前、お互いに対立は避けたいところなのだが、どうにもあの校長と主人とは相性が悪いようである。
主の後に続いて馬車に乗り込むと、馬車が出発した。
「ルーク様。お疲れのところ申し訳ございませんが…今夜はフェトラ公爵のパーティーがございますから、屋敷にお戻りになりましたらすぐにお支度を。」
「……しまった、今日だったのか…」
明らかにゲンナリとする主。元々、主は人付き合いが苦手な人なのである。それが、旧家ダーリング家の主となってしまってからは、社交界にもしぶしぶ顔を出さざるを得なくなってしまった。
それだけならまだ良いのだが、ルークは結構な美形の為、パーティーに参加するたびに貴族の令嬢たちに取り囲まれるのがとても億劫らしい。一般人にしてみればなんとも贅沢な話なのだろうが、主は本当にめんどくさそうだった。……まあ、この人が多く抱えている大きな悩みや苦労に比べたら、これくらい小さな悩みではあるが。
「如何いたしましょう、今夜のパーティーはご欠席致しますか?」
「……いや、公爵家のパーティーとあっては、欠席するわけにはいかん。大丈夫だ、行く。」
ふーっと息を吐くと、主はキリリとした表情に戻って、窓の外を眺めはじめた。
ふと、主が怪訝な表情を浮かべた。何かを見つけたようである。セリアは馬車を止めさせた。
「いかがなさいました?」
「あれは…サラ。」
遠くに毎日見慣れている黒髪と、学校の制服のワンピースが見える
「……あら、本当ですね。せっかくですから声をかけてみましょうか。」
セリアがサラに声をかけようとしたところを、ルークがふいに遮った。
「いかがなさいました?」
「……あの青年だ。」
主の視線の先を追うと、確かに、サラと話しているのは、“青の魔王”ブランの使い魔たちからサラを助けてくれたアレクという青年だった。ただ、今日は甲冑ではなく、シャツにベストを羽織ったラフな格好である。
なにやら楽しそう…いや、サラの方は緊張していて、それをアレクが微笑ましく眺めている、というのが正確である。
「…セリア。」
「はっ」
返事をして主の顔を見て、セリアは驚いた。今まで見たこともないような、なんとも寂しそうな目をして、サラの方を見つめているのだ。そして…本人は気づいていないのだろうか、瞳が青い色から赤色に変わっている。…いや、戻っている。
「あの男には…英雄の素質があると思うか?」
「それは…私には知る由もございません。」
アレクが神話にあるような聖剣の英雄なのか…そもそも、聖剣の英雄など本当に存在するのか、セリアにはわからない。
ただ、アレクの様子を見ている限りでは、悪い人間では無さそうだとは思えた。
「英雄の素質があるのかどうかはわかりませんが、彼は悪い人間には見えません。…サラ様の伴侶としては申し分ないかと思いますが…」
「……いや、だめだ。真の英雄かどうか、この眼で確かめなくては。」
「ルーク様は、どうして聖剣の英雄にこだわっておられるのですか…?もしも、もしもですがサラ様が一緒になりたいと思う人ができたなら、伝説に関係なく、その方を娶せてさしあげることが……」
「セリア。」
主の瞳がすうっと細くなり、紅の瞳でこちらを見つめる。セリアはハッとして、主の前で身を固くした。
「男というものは、強くあらねばならんのだ。優しいだけでは、何も救うことはできない。弱い男が弱いまま妻を持つことになったら、男はその妻を不幸にすることになる。」
「ルーク様………」
「それに、お前も知っているだろう。世界中の魔王があの子を狙っている。魔王に立ち向かえる男でなければ、私はサラを託すことはできん。」
「ルーク様…あなたは、聖剣の英雄がサラ様を迎えに来たら、一体どうなさるおつもりなのですか?」
主はこの質問には応えてくれなかった。再びセリアから眼を反らし、窓の外にいるサラを見つめ始める。
「ルーク様…少しはご自分のことをいたわってくださいませ。」
「いいんだ、セリア。」
ルークは窓の外から視線を外し、馬車を出発させるように命令した。
そして、馬車の窓ガラスを見て自分の瞳の色が変化していることに気づいたのか、白い手袋で覆われた右手で眼を覆い、瞳の色を青に戻した。
そして、ごくごく小さな声でつぶやいた独り言を、セリアは聞き逃さなかった。
「自分の幸せは…もう諦めている。」