【第一章 血月編】 『第一話 血月の夜』 歴史は、人間だけが紡いだものではない。
幕末、新選組、そして吸血鬼。
「もし歴史の裏で、人知れぬ戦いがあったなら。」
そんな想いから生まれた作品です。
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「……逃げろッ!!」
誰かの絶叫が、夜空を切り裂いた。
燃え盛る炎。
崩れ落ちる町家。
刀と刀がぶつかり合う金属音。
そして、人間とは思えない獣の咆哮。
京都は燃えていた。
赤く。
どこまでも赤く。
空に浮かぶ満月までもが、血を流したように紅く染まっている。
――血月。
その名を誰かが叫んでいた。
「朔夜ぁぁぁ!」
少女の悲鳴が聞こえる。
神代朔夜は重いまぶたを開いた。
目の前には、一人の少女がいた。
漆黒の髪。
雪のように白い肌。
そして、涙に濡れた真紅の瞳。
紅月夜羽。
吸血鬼の姫。
敵であるはずの少女が、震える手で朔夜を抱きしめていた。
「お願い……」
「死なないで……」
夜羽の涙が、朔夜の頬に落ちる。
温かい。
吸血鬼にも涙はあるのか、と朔夜は場違いなことを考えた。
その胸には一本の刀が深々と突き刺さっていた。
血が止まらない。
意識が遠のいていく。
少し離れた場所では、新選組の隊士たちが最後の力を振り絞って戦っていた。
「総司!」
土方歳三が叫ぶ。
「まだ倒れるな!」
「副長こそ……」
沖田総司は口元を真っ赤に染めながら、それでも笑っていた。
「最後まで……新選組でしょう?」
その背後から怪物が襲いかかる。
沖田は振り返りもせず刀を振るった。
一閃。
怪物の首が宙を舞う。
だが、その身体は崩れ落ちない。
傷口から黒い霧が溢れ、ゆっくりと再生していく。
「化け物め……!」
土方が歯を食いしばる。
その光景を、屋根の上から一人の男が静かに見下ろしていた。
黒い外套。
黄金色に輝く瞳。
口元には、愉快そうな笑み。
吸血鬼王――黒月ノア。
「終わりだ。」
その一言だけで、空気が凍った。
「歴史は変わらない。」
「人は滅びる。」
「夜が、この国を支配する。」
朔夜は震える腕で刀を握る。
もう立つ力は残っていない。
それでも。
守りたい。
夜羽を。
仲間を。
この時代を。
「まだ……終われない……」
朔夜が立ち上がろうとした、その時だった。
視界いっぱいに、黄金の光が広がった。
――神速眼。
未来を見る力。
その力が暴走する。
炎。
血。
叫び。
そして。
見知らぬ男が笑っていた。
「もう一度やり直せ。」
「今度こそ、誰も失うな。」
その声と同時に、世界が砕け散る。
「っ……!」
神代朔夜は勢いよく身体を起こした。
激しく息を切らしながら周囲を見渡す。
白い天井。
小さなワンルーム。
見慣れた本棚。
散らかった机。
夢……だったのか。
額には冷や汗が浮かんでいた。
胸に手を当てる。
鼓動が速い。
刺されたはずの胸には、もちろん傷一つない。
「なんだよ……あれ。」
時計を見る。
午前七時三十分。
会社へ行く準備をしなければならない時間だった。
朔夜は二十五歳。
都内のIT企業に勤める、ごく普通の会社員。
学生時代は剣道を続けていたが、社会人になってから竹刀を握ることもなくなった。
毎日満員電車に揺られ、仕事をして帰るだけ。
特別な才能もなければ、大きな夢もない。
そんな人生だった。
「……変な夢。」
洗面所で顔を洗う。
鏡に映る自分は、どこにでもいる青年だ。
だが。
頭から離れない。
あの少女。
紅い瞳。
泣きながら、自分の名前を呼ぶ声。
「朔夜……」
不思議だった。
初めて見るはずなのに。
なぜか、胸が締め付けられるほど懐かしい。
その時。
スマートフォンが震えた。
母からのメッセージだった。
『無理しすぎないようにね。』
短い一文。
朔夜は自然と笑みを浮かべる。
「相変わらず心配性だな。」
そう呟いて返信を打とうとした瞬間――
窓の外が、真っ赤に染まった。
「……え?」
朝の空。
青空だったはずの空に。
真紅の月が浮かんでいた。
昼間なのに。
ありえない。
血のように赤い満月が。
静かに、朔夜を見下ろしていた。
赤い月。
それは確かに、昼の空に浮かんでいた。
「……そんな馬鹿な」
神代朔夜はマンションのベランダへ飛び出した。
周囲の住人たちも空を見上げている。
「あれ……何?」
「月だよな……?」
「昼間なのに?」
誰もがスマートフォンを空へ向けていた。
SNSには次々と写真が投稿されていく。
《東京に赤い月》
《世界中で同時に観測》
《CGじゃないよな?》
テレビも緊急速報へ切り替わる。
『世界各地で原因不明の天体現象が確認されています――』
女性アナウンサーの声も、どこか震えていた。
朔夜は胸騒ぎを覚えた。
理由は分からない。
だが。
この月を知っている。
夢で見た。
燃え盛る京都。
泣いていた少女。
そして。
自分の死。
「偶然……だよな」
そう呟いた瞬間だった。
――ピシッ。
ガラスが割れるような音が頭の中で響く。
激痛。
「ぐっ……!」
朔夜は頭を押さえ、その場に膝をついた。
脳の奥へ直接何かを流し込まれるような感覚。
見たこともない景色が流れ込んでくる。
刀。
桜。
白い羽織。
浅葱色。
新選組。
そして。
一人の少女が笑っていた。
「やっと会えたね。」
赤い瞳。
漆黒の髪。
夢の中の少女だった。
「あなたは……」
問いかけた瞬間。
映像は途切れた。
朔夜は荒い呼吸を繰り返す。
「なんなんだ……」
その時だった。
スマートフォンが鳴る。
母からだった。
『ニュース見たよ。大丈夫?』
朔夜は少しだけ笑う。
どんな時でも心配してくれる。
昔から変わらない。
『俺は大丈夫。また連絡するよ』
送信。
既読が付く。
その何気ないやり取りが、後にどれほど恋しくなるのか、この時の朔夜はまだ知らなかった。
その日、会社は混乱していた。
誰も仕事どころではない。
窓際では社員たちが空を見上げ、テレビでは専門家が原因不明を繰り返している。
「神代、お前も帰っていいぞ。」
課長が疲れた顔で言った。
「今日はもう無理だ。」
「ありがとうございます。」
午後三時。
会社を出る。
空は相変わらず赤かった。
人々の表情から笑顔は消えている。
信号待ち。
朔夜はふと、横断歩道の向こう側を見た。
小さな女の子が母親の手を振りほどき、道路へ飛び出していた。
「あっ!」
大型トラック。
急ブレーキ。
間に合わない。
考えるより先に身体が動いた。
朔夜は道路へ飛び込む。
少女を抱きかかえ、思い切り突き飛ばす。
次の瞬間。
衝撃。
身体が宙を舞った。
視界が回転する。
アスファルトへ叩きつけられた。
痛みは不思議と感じなかった。
聞こえるのは誰かの叫びだけ。
「救急車!」
「人が!」
「しっかりしてください!」
朔夜は薄く笑った。
――助かった。
少女は泣いている。
でも生きている。
それだけで良かった。
視界が暗くなっていく。
その時。
赤い月が、ゆっくりと大きくなった。
いや。
違う。
月が近づいてきている。
あり得ない光景だった。
世界が真っ赤な光に包まれる。
「神代朔夜。」
誰かが名前を呼んだ。
男とも女とも分からない声。
「もう一度。」
「今度こそ。」
「守りたいか。」
朔夜は答える。
「……守りたい。」
後悔は、もうしたくない。
誰かを救えなかったと泣く人生は終わりにしたい。
その想いだけは、本物だった。
「ならば。」
「剣を授けよう。」
「未来を斬り開く者よ。」
世界が砕けた。
頬に冷たい風が触れる。
土の匂い。
虫の声。
遠くで犬が吠えている。
朔夜はゆっくりと目を開けた。
夜だった。
「ここは……?」
起き上がる。
そこは舗装された道路ではない。
石畳。
木造の町家。
提灯の明かり。
着物姿で歩く人々。
映画の撮影所……
そう思った瞬間。
馬が駆け抜ける。
羽織姿の侍たち。
腰には真剣。
その姿はあまりにも自然だった。
「おい!」
怒号が響く。
路地の奥から一人の男が血相を変えて走ってくる。
「逃げろ!」
「人斬りだ!」
その言葉と同時に。
銀色の刃が月明かりを裂いた。
男の身体がゆっくりと崩れ落ちる。
血飛沫。
黒い羽織。
浅葱色のだんだら模様。
そして。
冷たい眼差しをした青年が、刀を静かに納めた。
「御用改めである。」
その一言に、周囲が凍り付く。
誰かが震える声で呟いた。
「し、新選組だ……!」
朔夜の鼓動が激しく鳴る。
新選組。
その名を知っている。
歴史で。
教科書で。
そして夢の中で。
青年がゆっくりと振り返る。
端正な顔立ち。
涼しげな笑み。
どこか儚さを宿した瞳。
「あなた。」
その青年は、まっすぐ朔夜を見つめた。
「どこの隊の方ですか?」
朔夜は答えられなかった。
なぜなら。
青年の後ろに立つ、一人の少女が見えたからだ。
黒髪。
赤い瞳。
夢で泣いていた少女。
紅月夜羽だった。
彼女は小さく微笑み、こう呟いた。
「……やっと会えたね、朔夜。」
その瞬間。
朔夜の運命は、幕末の夜へと飲み込まれていくのだった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
第一話「血月の夜」、いかがでしたでしょうか。
ここから神代朔夜は幕末京都へと足を踏み入れ、新選組、吸血鬼、そして歴史の裏に潜む怪異たちと出会っていきます。
本作は 毎日更新予定 ですので、ぜひ明日も続きを読みに来ていただけると嬉しいです!
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次回、第二話 「幕末京都」。
血月の夜が、本当の意味で始まります。




