プロローグ
第二章、連載開始します!
ちょっとずつ知っている歴史がまた変わっていきます!
柴田のお藤の方。
『鬼柴田の妻となった叔母は、いつも忙しない人だった。
斯波の屋敷にいた頃からそうだった。
米櫃の底を覗き、葱を抜かせ、魚籠を抱えて帰った私を叱りながらも、まずは義冬に食わせようとする。
火の上がる屋敷の中で、己の足をくじいてなお、幼き日の――まだ千若と呼ばれていた義冬を抱き締めて離さなかった。
柴田の屋敷に移ってからも、休めと言われれば掃除をしようとし、座れと言われれば帳面を見ようとし、何もするなと言われれば炊事場へ向かった。
叔母は、いつも何かをしていた。
何かをしていなければ、自分がそこにいてよいと思えなかったのだろう。
そう思えるようになったのは、私がずっと後になってからである。
桶狭間の年。
永禄三年。
後の世の者は、その年を語る時、織田信長公の名を挙げる。
今川義元を討った戦。
尾張のうつけが天下へ踏み出した戦。
雨の桶狭間。
それは確かに、その通りなのだろう。
けれど、私にとっての永禄三年は、少し違う。
その年、叔母に離縁の話が出ていた。
柴田勝家の正妻となって四年。
叔母の腹には、子がいなかった。
ただそれだけで、叔母は己を責めた。
柴田家の帳面を整えたのは叔母だった。
兵糧の流れを見直したのも叔母だった。
蔵の出入りを正し、人手の回し方を整え、戦支度の手順を早めたのも叔母だった。
義叔父・勝家殿が戦場へ向かう時、柴田の兵が滞りなく動けたのは、叔母が日々整えたものがあったからだ。
叔母は、それを分かっていただろうか。
自分がどれほど柴田家を支えていたか。
自分の手が整えた兵糧が、どれほど義叔父を助けていたか。
自分の覚えた数の扱いが、どれほど戦場へ向かう者たちの足を軽くしていたか。
おそらく、分かっていなかったのだと思う。
叔母は、己の平らな腹ばかりを気にしていた。
子を宿せぬ自分を責めていた。
叔母らしい、と思う。
あの人は、いつもそうだった。
自分がどれほど誰かを救っているかには鈍いのに、自分が誰かの役に立てていないのではないかという不安には、ひどく敏かった。
だからこそ、私は書き残しておきたい。
桶狭間の年。
織田信長公は、今川義元を討った。
信行様は、兄君の道に横槍を入れさせぬため、鳴海を封じた。
義叔父・勝家殿は、信行様のもとで槍を振るった。
私は、馬廻衆として信長公の道を開いた。
そして叔母は。
柴田のお藤の方は、己の腹に何もないと嘆きながら、すでに柴田家の戦を支えていた。
そのことを、叔母だけが知らなかった。』
――斯波義銀晩年記『藤乃叔母上覚書』より
ああ、懐かしい。
そう思ったのは、義銀の文字を見たからか。
それとも、あの年のことを思い出したからか。
今となっては、どちらとも言えない。
桶狭間の年。
後の世の人がそう呼ぶその年に、私は何ができるかなど分かっていなかった。
私は、ただ必死だった。
子を宿せぬ妻として、いつか勝家様の隣から退くべきなのではないかと怯えていた。
それでも、柴田の屋敷にいる以上、できることをしようと思った。
帳面を見た。
蔵を見た。
兵糧を数えた。
人手を回した。
勝家様が戦場へ向かう時、少しでも滞りなく兵が動けるように。
それがどれほどの意味を持っていたのか、私は分かっていなかった。
ただ、愛しいあの人の背中を送り出すことだけが、苦しくて。
それでも、その背を止めてはいけないのだと、必死に自分へ言い聞かせていた。
今思えば、その判断は間違いではなかった。
けれど、当時の私はそんな大きなことを考えていたわけではない。
私はただ、柴田勝家の妻だった。
鬼柴田と呼ばれる人を愛し、その人の子を望み、それでも子を宿せぬ己の腹を見て、ひとり息を吐く。
ただの、子なき妻だった。
永禄三年。
雨の桶狭間が近づいていた。
そして私はまだ、自分の腹に何も宿らぬことばかりを気にしていた。




