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鬼柴田と忙しない姫 〜守護邸が燃えたので、柴田勝家の妻になりました〜  作者: まるちーるだ
鬼柴田と忙しない姫

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第二十一話 鬼柴田、姫を望む


清洲評議の翌日。


柴田家の屋敷は、妙な空気に包まれていた。


いや、妙というか。


そわそわしている。


女中さんたちは、いつもより私を見る。

家臣の方々も、私を見る。

八右衛門殿は、胃を押さえながらも私を見る。

於光様は、にこにこと私を見る。


そして義銀は、何かを言いたそうにしながら、やっぱり私を見る。


何。


何なの。


私、何かしました?


いや、したかもしれない。


振り返ってみれば、私はこの二年で色々やらかしている。


筆算を披露した。

掛け算と割り算も披露した。

信長様は更地にするのが得意そうで、信行様はその道を舗装する方が似合うなどと言った。

信行様は信長様の隣で八右衛門殿みたいに胃を痛めている方が似合う、とも言った。


うん。


やらかしている。


でも、今さらでは?


そう思っていたら、於光様に呼ばれた。


「藤乃姫。少し、こちらへ」


「はい」


私は大人しくついて行った。


通されたのは、いつもの客間ではない。


少し改まった部屋だった。


そこには、勝家殿がいた。


正座していた。


背筋を伸ばし、いつも以上に真面目な顔をしている。


え。


何。


怖い。


勝家殿の真面目な顔はいつものことだが、今日のそれは、戦場前みたいな顔だった。


いや、私は勝家殿の戦場前の顔を知らない。


知らないけれど、たぶんこんな感じだと思う。


「藤乃殿」


「はい」


声が硬い。


私もつられて背筋を伸ばす。


部屋の隅には、於光様がいる。


八右衛門殿もいる。


少し離れて、義銀もいる。


待って。


なんで義銀もいるの。


まさか、斯波家絡み?


もしかして、私の縁談?


いやいやいや。


今さら?


二十歳だよ?


戦国時代の二十歳未婚だよ?


今世でも結婚できなそうです、ってつい先日思ったばかりだよ?


そんな都合よく縁談なんて――。


「藤乃殿」


勝家殿が、もう一度私を呼んだ。


「はい」


私は手を膝の上で揃えた。


緊張する。


ものすごく緊張する。


勝家殿は、一度だけ深く息を吸った。


そして、言った。


「藤乃殿を、某の妻に望みたい」


時が止まった。


え。


妻。


誰の。


某の。


つまり、勝家殿の。


藤乃殿を。


私を。


妻に。


……妻?


私は固まった。


頭の中が真っ白になった。


え。


いや。


え?


柴田勝家が。


私を。


妻に?


柴田勝家って、あのお市の方の旦那さんで、後の鬼柴田で、無骨で、強くて、かっこよくて、笑うと心臓に悪いあの柴田勝家?


その人が?


私を?


妻に?


無理。


情報量が多い。


処理できない。


私は口を開いた。


声が出なかった。


もう一度開いた。


やっぱり出なかった。


勝家殿の顔が、ほんの少しだけ曇る。


「嫌ならば、断ってくれて構わぬ」


その言葉で、ようやく私は息をした。


断る?


私が?


勝家殿を?


いやいやいやいや。


違う。


違う違う違う。


断りたいわけではない。


断りたいどころか。


むしろ。


むしろ、なぜ私?


「いっ、いえ!」


声が裏返った。


私は慌てて両手を振った。


「嫌とかでは、まったくなく!」


勝家殿が私を見る。


於光様が微笑んでいる。


八右衛門殿が胃を押さえている。


義銀が、なぜかとても真剣な顔をしている。


やめて。


全員見ないで。


今、私は人生最大級に混乱しています。


「私に、このような良縁が来るのが、夢かと思いまして!」


言った瞬間、自分でも何を言っているのか分からなくなった。


良縁。


いや、良縁どころではない。


これ以上ない。


だって相手は勝家殿である。


私たちを助けてくれた人。

義銀を鍛えてくれた人。

千若を気にかけてくれる人。

信行様を兄殺しの道から止めた人。

そして、私が密かに、かなり、だいぶ、ものすごく、かっこいいと思っていた人。


そんな人から妻に望まれている。


夢か?


夢だな?


これは夢では?


「えっと、あの、よ、喜んで!」


言った。


言ってしまった。


部屋が静まり返った。


次の瞬間、勝家殿が笑った。


ふ、と。


ほんの少しだけ。


でも、確かに。


あの、普段はほとんど笑わない勝家殿が、安堵したように笑った。


え。


かっこよ。


まただ。


また思考が止まった。


本当にやめてほしい。


その笑顔は反則である。


さっきまで一世一代の告白みたいな顔をしていたのに、返事を聞いた途端にそんなふうに笑うのは、ずるい。


勝家殿は静かに頭を下げた。


「ありがたく」


何が。


何がありがたく。


ありがたいのはこっちです。


いや、本当に。


私、柴田勝家の妻になるの?


本当に?


現実?


私は頭の中で必死に確認した。


私は藤乃。


斯波家の姫。


二十歳。


行き遅れ。


柴田家に預けられて二年。


そして今、柴田勝家に求婚された。


……うん。


現実感がない。


於光様が、そこでようやく口を開いた。


「おめでとうございます、藤乃姫」


「え、あ、ありがとうございます」


「勝家も、ようやく言えましたね」


勝家殿が少しだけ視線を逸らした。


ようやく?


ようやくって何?


私は於光様を見る。


於光様はにこにこしている。


八右衛門殿は、やれやれという顔をしていた。


「清洲評議で口を滑らせた時はどうなることかと思いましたが」


「口を滑らせた?」


私は聞き返した。


勝家殿が固まった。


於光様が扇で口元を隠す。


八右衛門殿が、あっ、という顔をした。


義銀が視線を逸らした。


何。


何なの。


「勝家殿?」


「……何でもない」


「その返事は、何かある時の返事ですよね?」


この二年で覚えた。


勝家殿の「何でもない」は、大抵何でもなくない。


於光様が楽しそうに言う。


「清洲評議で、信長様から褒美を問われた勝家が、藤乃姫のお名前を口にしたのです」


「えっ」


「藤乃殿、と」


「えっ」


私は勝家殿を見る。


勝家殿は黙っている。


けれど、耳が少し赤い。


え。


え。


清洲評議で?


信長様の前で?


家臣たちの前で?


褒美を聞かれて?


私の名前を?


「な、なぜ!?」


思わず聞いた。


勝家殿は、少しだけ困った顔をした。


「……口が滑った」


「滑るものなのですか、それは!?」


八右衛門殿が深く頷いた。


「滑りましたな」


「八右衛門殿!?」


「清洲の広間がたいそうざわつきました」


「やめてください!」


想像しただけで恥ずかしい。


あの清洲評議で。


不穏分子の仕置が決まるような重い場で。


鬼柴田が、褒美に藤乃殿と口を滑らせた。


何それ。


何その公開処刑。


私、いなかったのに恥ずかしい。


義銀が静かに言った。


「叔母上」


「はい」


「私は、勝家殿ならばよいと思っております」


私は義銀を見る。


義銀は、まっすぐ私を見ていた。


もう十六の若武者である。


けれど、こういう時、私はあの子が魚籠を抱えて走ってくれた十四歳の日を思い出す。


「勝家殿は、叔母上を粗末にはなさいません」


「義銀……」


「千若も、きっと喜びます」


その言葉で、胸が詰まった。


義銀は、私の幸せを考えてくれている。


自分たちを守るために、私が嫁がずにいることを、ずっと気にしていたのかもしれない。


私は慌てて笑った。


「ありがとう、義銀」


義銀は少しだけ目を伏せた。


「こちらこそ、叔母上。今まで、私たちのために」


「待って」


私は手を伸ばした。


「それ以上言うと泣く」


義銀が黙った。


本当にいい子である。


於光様が柔らかく言った。


「藤乃姫。これは褒美として下される話ではありません」


私は於光様を見る。


「信長様も仰せでした。斯波の姫は、ただの褒美にできる女ではない。欲しいなら筋を通せ、と」


信長様。


そんなことを。


いや、あの方、面白がっているだけかもしれないけれど。


でも、ちゃんと筋を通せと言ってくれたのか。


「そのため、勝家はまず義銀様にお話をしました」


「えっ」


私は義銀を見る。


義銀は頷いた。


「はい。先ほど、勝家殿より、叔母上を妻に望みたいと」


「先に義銀に!?」


「叔母上の家の者として、私に話を通してくださいました」


そうだ。


義銀は斯波の嫡男だ。


私の甥だけれど、今の斯波家を背負う者でもある。


勝家殿は、ちゃんとそこに筋を通してくれた。


その事実が、胸にじわりと広がる。


勝家殿は、不器用だ。


言葉は少ない。


説明も足りない。


けれど、大事なところで人を粗末にしない。


私を、褒美としてではなく、妻に望む相手として扱ってくれた。


それが、どうしようもなく嬉しかった。


「勝家殿」


「はい」


私は、改めて勝家殿を見た。


まだ少し心臓がうるさい。


顔も熱い。


けれど、ちゃんと言わなければならないと思った。


「私で、よろしいのですか」


勝家殿は即座に答えた。


「藤乃殿がよい」


息が止まった。


即答。


即答だった。


やめて。


本当にやめて。


心臓がもたない。


私は目を伏せた。


「私は、行き遅れですし」


「構わぬ」


「斯波家は、もう名ばかりですし」


「構わぬ」


「料理と帳面と葱くらいしか取り柄が」


「多いな」


「多いですか?」


「多い」


真顔で言われた。


於光様が口元を押さえている。


八右衛門殿も笑いを堪えている。


義銀まで少し笑っている。


私はだんだん恥ずかしくなってきた。


けれど、勝家殿は真面目だった。


「藤乃殿は、義銀殿と千若丸を守られた」


「それは、叔母ですから」


「家を守られた」


「守れていたかは……」


「守った」


短い言葉。


けれど、強い。


勝家殿は続けた。


「某は、藤乃殿を妻に望む」


その声は、低く、まっすぐだった。


「嫌ならば、断ってくれて構わぬ。だが、某は藤乃殿がよい」


もうだめだった。


私は両手で顔を覆いたくなった。


けれど、さすがにそれはできない。


代わりに、深く頭を下げた。


「……よろしく、お願いいたします」


声が震えた。


でも、今度はちゃんと言えたと思う。


勝家殿も、深く頭を下げた。


「こちらこそ」


於光様が、静かに笑った。


「では、これで決まりですね」


八右衛門殿が、長く息を吐く。


「まずは婚儀の段取りですな。斯波家の姫君と柴田勝家殿の婚儀となれば、簡単には済みませぬ。信長様へのご報告、信行様へのご挨拶、義銀様と千若丸様の扱い、屋敷内の支度、それから――」


「八右衛門殿」


於光様が止める。


「今日はそこまでに」


「しかし」


「今日は、喜ぶ日です」


八右衛門殿は黙った。


それから、少しだけ表情を緩めた。


「……そうですな」


義銀が私に向き直る。


「叔母上」


「はい」


「おめでとうございます」


その言葉で、今度こそ泣きそうになった。


「ありがとう」


本当に。


本当にありがとう。


勝家殿が、少しだけ私を見ている。


その目が、いつもより柔らかい。


私は、まだ信じられなかった。


史実では、お市の方と結婚するはずだった柴田勝家。


その人が今、私を妻に望んでくれている。


歴史は、もう私の知っているものではない。


信行様は生きている。


信長様の隣に立つことを選んだ。


勝家殿は、信行様を担ぐのではなく、止めた。


そして私は。


私は、柴田勝家の妻になる。


あ。


私、柴田勝家の奥さんになるみたいです。


そう思った瞬間、頭がふわっとした。


現実感は、まだなかった。


けれど、勝家殿の笑った顔だけは、やけにはっきり覚えていた。



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