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鬼柴田と忙しない姫 〜守護邸が燃えたので、柴田勝家の妻になりました〜  作者: まるちーるだ
鬼柴田と忙しない姫

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第十四話 夜襲かと思えば、芝居の相談であった

夜半。


織田信長は、眠っていなかった。


眠れなかった、ではない。


眠るつもりがなかった。


清洲の空気が変わっている。


勘十郎の周りに、人が集まりすぎていた。


母の不満。

家臣の不安。

信長への恐れ。

そして、それらを都合よく束ねようとする者どもの欲。


どれも見えていた。


見えていないふりをしていただけだ。


「殿」


廊下の向こうから、低い声がした。


信長は目を上げる。


「何だ」


「柴田権六殿が、密かにお目通りを願っております」


「権六が?」


信長は眉を上げた。


こんな夜更けに。

密かに。


しかも、権六が。


「供は」


「……勘十郎様が、ご一緒に」


その瞬間、部屋の空気が変わった。


控えていた小姓たちが、息を詰める。


信長は、しばし黙った。


夜半。

柴田勝家。

勘十郎信行。


密かに来た。


それだけ聞けば、夜襲を疑うに十分だった。


いや、権六がその気であれば、こんな回りくどい真似はせぬだろう。


あの男は、槍を持って正面から来る。


だが、勘十郎を担ぐ者どもが、何かを仕掛けた可能性はある。


信長は、静かに笑った。


「面白い」


小姓の顔が青ざめる。


「殿」


「通せ。ただし、外を固めよ。騒がせるな」


「はっ」


小姓が下がる。


信長は立ち上がらず、ただ脇息に肘を置いたまま待った。


やがて、襖の向こうに気配が止まる。


「柴田権六勝家にございます」


続いて、少し震えた声。


「勘十郎信行にございます」


信長は、少しだけ目を細めた。


「入れ」


襖が開く。


先に入ってきたのは勝家だった。


いつも通り、無骨な顔。

余計な言葉を持たぬ男。


だが、その目はいつもより固い。


その後ろに、勘十郎がいた。


顔色が悪い。


だが、逃げる目ではない。


震えてはいるが、自分の足でここへ来た者の目をしていた。


信長は、しばらく二人を見た。


「夜半に弟と柴田が揃って来るとはな」


口元が吊り上がる。


「夜襲か?」


勘十郎の顔が、さらに青ざめた。


勝家は、即座に頭を下げた。


「夜襲ではございませぬ」


「では、謀反か」


勘十郎が息を呑む。


信長は笑っていた。


笑っていたが、目は笑っていない。


勝家は、低く言った。


「謀反の芝居にございます」


信長は、ぴたりと動きを止めた。


「芝居」


「はい」


「誰の」


「勘十郎様を担ぎ、兄弟を争わせようとする者どもを炙り出すための芝居にございます」


一瞬、静まり返った。


そして。


信長は笑った。


声を上げて笑った。


「ははっ」


勘十郎が、びくりと肩を揺らす。


信長はそれを見て、さらに笑う。


「勘十郎」


「は、はい」


「お前が、謀反の芝居をするか」


勘十郎は、唇を噛んだ。


「……兄上」


「何だ」


「私は、兄上を討ちたいわけではありませぬ」


その声は、震えていた。


だが、逃げてはいなかった。


「ですが、私の周りには、私を立てようとする者が増えております。私が止めても、もう止まらぬやもしれませぬ」


信長は、黙って聞いた。


「ゆえに」


勘十郎は、深く頭を下げた。


「私を餌にしてください」


部屋の空気が、少しだけ重くなった。


信長は、弟を見た。


勘十郎。


母に愛され、家臣に担がれ、礼を重んじ、穏やかな若君として育った弟。


信長にはないものを持っている弟。


だからこそ、周囲が利用したがる。


信長はそれを知っていた。


「誰に言われた」


勘十郎は一瞬、勝家を見た。


勝家が答える。


「某が、お止めいたしました」


「ほう」


信長は勝家を見る。


「止めた?」


「はい」


「勘十郎を担ぐ側のお前がか」


勝家は頭を下げたまま言う。


「担がれるまま兄君を討つ道へ進まれるなら、某はお止めすると申し上げました」


信長の目が、少しだけ細くなる。


「権六」


「はっ」


「お前、いつから口が回るようになった」


勝家は少し黙った。


「……姉に、言葉にせよと叱られました」


信長はまた笑った。


「於光か」


「はい」


「で、於光に叱られて、勘十郎を説得したか」


「藤乃姫の言葉も借りました」


信長の笑みが、変わった。


「斯波の姫か」


「はい」


「何と言った」


勝家は、少しだけ顔を上げた。


「兄弟を争わせる者は、その兄弟のどちらの味方でもない、と」


信長は、しばし黙った。


それから、低く笑う。


「なるほど」


あの姫か。


二年前、燃えた守護邸から救われ、柴田の屋敷に入り、気づけば帳面と文を見ているという妙な姫。


義銀を育てた姫。


名より飯を選んだ義銀の根を作った女。


そして今度は、柴田を動かしたか。


「面白い女だ」


信長は呟いた。


勘十郎が、恐る恐る顔を上げる。


「兄上」


「何だ」


「私は……許されますか」


信長は、弟を見た。


部屋が静まる。


勘十郎は震えていた。


無理もない。


夜半に兄の前へ来て、自分を餌にして不穏分子を炙り出せと言っているのだ。


許しを求めるには、あまりに危うい。


信長は少し笑った。


「勘十郎」


「はい」


「まだ何もしておらぬ者を、何故許さねばならん」


勘十郎が目を見開く。


「兄上」


「お前はまだ、儂に刃を向けておらぬ」


信長は言った。


「なら、許すも何もない」


勘十郎の顔が、少しだけ歪んだ。


泣くのかと思った。


だが、泣かなかった。


その代わり、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


「礼は早い」


信長は言う。


「これからお前には、謀反人の旗頭を演じてもらう」


勘十郎の肩が跳ねた。


「は、はい」


「怖いか」


「怖いです」


「正直でよい」


信長は楽しそうに笑った。


「安心しろ。お前が下手な芝居をしても、周りの者が勝手に都合よく解釈する」


勝家が、ほんの少しだけ顔をしかめた。


「同じことを申しました」


「権六が?」


「はい」


「ははっ。では、正しい」


勘十郎は、少しだけ恨めしそうに二人を見た。


「兄上も勝家も、容赦がない」


「容赦が欲しいなら、謀反などという面倒な芝居をするな」


「それは……そうですが」


信長は、脇息から身を起こした。


目が鋭くなる。


「よいか。担ぐ者どもを炙り出すなら、中途半端ではならん」


勘十郎の顔が強張る。


「お前は、迷え」


「迷う、ですか」


「そうだ。怒れとは言わん。お前は怒り慣れておらぬ。威張れとも言わん。お前が威張ると嘘になる」


ひどい。


だが、事実だった。


「お前は迷い、怯え、周りの言葉に揺れろ。そうすれば、連中は勝手に『あと一押し』と思う」


勘十郎が、ゆっくり息を呑む。


「そこで誰が押すかを見る」


信長は笑った。


「誰が兵を動かそうとするか。誰が文を回すか。誰が母上の名を使うか。誰が儂を討てと言うか」


勝家が頭を下げる。


「そのために、某は勘十郎様の側についたように見せます」


「それでよい」


信長は即答した。


「権六が勘十郎の側に立てば、連中は勢いづく。釣れる」


「はっ」


「ただし」


信長の声が低くなる。


「一線を越えさせるな」


勝家は顔を上げた。


「兵を動かすところまでは見てもよい。だが、勘十郎に刃を抜かせるな。分かるな」


「はっ」


「勘十郎」


「はい」


「お前もだ。怖くなって勝手に動くな。誰かに急かされても、権六なしでは決めるな」


「はい」


「それができぬなら、今ここでやめろ」


勘十郎は、ぎゅっと拳を握った。


しばらく沈黙する。


そして、顔を上げた。


「やります」


その声は震えていた。


けれど、先ほどよりは強かった。


「兄上を討つ芝居など、恐ろしいです。ですが、このまま誰かに背を押されて、本当に兄上と争う方が、もっと恐ろしい」


信長は、少しだけ目を細めた。


「よく言った」


その一言に、勘十郎の表情が崩れかける。


だが、信長はそれを許さぬように続けた。


「泣くな。泣くなら終わってからにしろ」


「……はい」


勝家が静かに言う。


「終わったら、某が叱られ役を務めます」


信長が笑った。


「お前は最初から叱られる側だ、権六」


「承知しております」


「承知しておるならよい」


信長は、しばらく二人を見ていた。


夜半に密かにやってきた弟と柴田。


一歩間違えれば、本当に謀反の夜になっていた。


だが、今は違う。


これは謀反ではない。


謀反を餌にした狩りだ。


信長は、楽しくて仕方がなかった。


敵を斬るだけなら簡単だ。


だが、味方の皮をかぶった毒を炙り出すには、手間が要る。

餌が要る。

芝居が要る。


そして、弟が自ら餌になると言う。


面白い。


実に面白い。


「勘十郎」


「はい」


「お前、少しは男の顔になったな」


勘十郎が驚いた顔をした。


「兄上」


「怖いと認めて、それでも来た。それは悪くない」


勘十郎の目が揺れる。


信長は、ふいと視線を逸らした。


「ただし、まだ甘い」


「……はい」


「権六」


「はっ」


「甘い弟を見張れ」


「承知」


「それから、斯波の姫に伝えろ」


勝家が顔を上げる。


「何と」


信長は笑った。


「余計なことを言ったおかげで、面倒な芝居が始まったとな」


勝家は、少しだけ困ったような顔をした。


「そのまま伝えれば、姫君が気に病まれます」


「なら、お前が言葉を足せ」


「……某が、でございますか」


「姉に叱られたのだろう。練習と思え」


勘十郎が、思わず小さく笑った。


勝家は黙った。


信長はそれを見て、また愉快そうに笑う。


「よいな。兄弟を仲違いさせる者は、どちらの味方でもない、か」


その言葉を口の中で転がす。


「ならば、どちらの味方でもない者どもを、まとめて釣り上げてやろう」


夜は深い。


だが、信長の目は冴えていた。


「勘十郎。権六」


「はい」


「はっ」


「ここから先、一つでも間違えれば、本物の謀反になる」


二人の顔が引き締まる。


信長は、ゆっくり笑った。


「間違えるなよ」


勘十郎が深く頭を下げる。


勝家もまた、頭を下げた。


「承知つかまつりました」


こうして、夜半の密談は終わった。


外では、誰も知らない。


信行が兄を討つためではなく、兄弟を争わせる者を暴くために、兄のもとへ来たことを。


柴田勝家が信行側についたように見せるため、すでに信長の前で頭を下げていたことを。


そして、織田信長がこの面倒な芝居を、誰より楽しそうに受け入れたことを。


二人が去った後、信長はしばらく閉じた襖を見ていた。


夜半に弟と柴田が来た。


一歩違えば、謀反の夜だった。


だが、そうはならなかった。


勘十郎は、兄を討つ前に兄のもとへ来た。

権六は、弟を担ぐ前に弟を止めた。


「……悪くない」


信長は小さく呟いた。


担がれるだけの弟なら、いずれ斬るしかなかった。


だが、自分の足で来て、自分を餌にしろと言った弟ならば。


まだ、使える。


まだ、信じてやれる。


権六も同じだ。


勘十郎に近い男。

ゆえに、いずれ敵に回るかもしれぬ男。


そう見ていた。


だが、今夜、権六は勘十郎を連れて来た。


担ぐためではない。


止めるために。


ならば。


「あれは、預けられる男だな」


信長は低く笑った。


信頼できる弟と、信頼できる家臣。


面倒な火種は残っている。

だが、手札は悪くない。


弟がどこまで耐えられるか。


そして、どの鼠が餌に食いつくか。


信長は、久方ぶりに愉快な気分で夜を見た。


「さて」


楽しみであった。


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口元が吊り上がる。 「夜襲か?」 勘十郎の顔が、さらに青ざめた。 勝家は、即座に頭を下げた。 「夜襲ではございませぬ」→「夜襲でしたら尻が危うくなりますなぁ」 とか思わせぶりな言葉を期待してましたが、…
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