06-14 サン・ジェルマン伯爵
その時――
「何だお前達は!! そこで何をしている!?」
突如として、背後から大声で怒鳴られる。
驚いて振り向くと、高級そうな紳士服に身を包み髭を蓄えた初老の男性が目を血走らせてこっちに駆け寄って来る所だった。
「旦那様!」
さっきまで揚々と話してくれていた老人が、恐れ入った様子で頭を下げる。
「お前……この緊急事態に部外者とのうのうと雑談とは、良い度胸だな。亡き父上と旧知の仲だと言うから仕方なく置いてやっているのだ……その事をよもや忘れておらんよな?」
高圧的な態度で老人を見下す男性。
旦那様……と呼ばれてたな。
となるとこの傲慢が服を着て歩いてるような人物が、この屋敷の現当主"サン・ジェルマン伯爵"か。
「申し訳ございません。どうかお許しを」
深々と頭を下げる老人をさも憎らしそうに見下すと、シッシと手で払って下がらせる。
屋敷へ戻って行く最中、老人が心配そうにちらりとこちらを見たので『大丈夫だ』と目で合図を送っておいた。
……いや、全然大丈夫ではないんだけれど。
とにかく爺さんのせいで絡まれたわけじゃないから、心配はしないで欲しい。
「ちょっとあんまりじゃない!! 少し話してただけでそんな言い方する!?」
響き渡る声に驚き振り向くと、ティンクが事もあろうに伯爵へ食ってかかってるではありませんか。
大丈夫どころか、開始3秒でもはや絶望的だ。
「――小娘!! 庶民の分際で大貴族であるこのワシにたてつこうと言うのか!? 貴様たちもキティー・キャットの容疑者として警察に突き出してやるわっ!!」
こめかみに血管を浮かべながら、鬼の形相で迫ってくる伯爵。
「ち、ちょっと待ってください。俺たちはそのキティー・キャットの逮捕に協力するため、現場の下見を――」
「煩い黙れ! そうやって一般人の振りをして、明日のために仕掛けでもしていこうという算段だろ! ワシの目は誤魔化せんからなっ!!」
目を血走らせて凄んでくる伯爵。
……だが、よく見るとその目元には大きなクマが見て取れる。
随分とお疲れのようだ。
これは、キティー・キャットに狙われてだいぶナーバスになってるみたいだな。
――しかし妙だ。
大々的にイベントを開いて盗賊を返り討ちにすると言いだすような人物だから、よっぽど肝の座った大物かはたまた奇人かと思ってたけれど……目の前に居る伯爵はとてもそんな大胆な事をするような人物には見えない。
どう見ても、ただの気の弱い金持ちが虚勢を張って持てる権力を力任せに振り回しているだけに見える。
「衛兵! 衛兵! 不審者だ!! 直ぐに捕らえろ!!」
伯爵の号令を受け、屋敷の中からぞろぞろと衛兵達が集まってきた。
武装もしていない一般人が相手だと言うのに、ハーフプレートのアーマーにアイアンシールド、ロングソードの重装備ですか。
随分と用心深い事で。
あっという間に周辺を取り囲まれ、じりじりと距離を詰められる。
「親分、このままだとマズいっスよ。今ならまだ煙幕でも焚いて逃げられますけど、どうするっスか?」
盗賊マントさんがこっそり耳打ちしてくる。
確かにこのまま捕まる訳にはいかない。
……かと言って、ここで煙幕なんて焚いて逃げたらそれこそ本気でキティー・キャットの関係者として追われる事になるだろう。
そうなった場合、仮に無事ノウムから逃げ出せたとしても、権力のある貴族ならモリノにまで調査の手が伸びる事も考えられる。
「……いや、ここはちゃんと話し合って無実を主張しよう。逃げれば確実に追われる」
「はぁ!? バカじゃないの! 話が通じるような相手に見える!?」
俺の発言を聞いてティンクがすかさず突っかかって来る。
「いや、とは言え悪い事もしてないのに逃げるのもどうかと」
「別に悪い事してなくても急に騎士団の一個師団が追いかけてきたら普通逃げるでしょ!? それと同じよ! 自己防衛!」
よく分からない例えを引き出してきてギャーギャーと喚くティンク。
――そんなやり取りをしている間に、隙間なくびっちりと衛兵に取り囲まれてしまった。
「よし貴様ら、抵抗しないとは良い心掛けだ。警察でたっぷり尋問される事になるが、協力的ならばそれ程酷い目に遭わずにすむからな」
「ち、ちょっと待ってくれ! 話を聞いてくれ! 俺たち本当に怪しい者じゃ――」
「煩い! 本来なら貴様ら庶民が屋敷に近づこうとするだけでもおこがましいのだ! ――連れて行け!」
伯爵の命令を受け、衛兵に両脇から押さえつけられる。
「ちょっと! どこ触ってんのよ!? 訴えるわよ!」
隣で力の限り暴れるティンク。
盗賊マントさんの方は、冷静に周囲を伺っている。
きっと彼女だけならば、こんな状況難なく抜け出せるんだろう。
そうでなくても、魔力切れになれば例えどんな状況であっても彼女は綺麗さっぱり逃げ失せる事が出来る。
それでも一生懸命に策を練ってくれてるのは、きっと他ならない俺達を逃す為だ。
本当に、盗賊とは名ばかりで立派な仕事人だな。
暴れていたティンクも、いい加減に逃げられないと観念したのか大人しくなり両脇から兵士に腕を掴まれ歩き始める。
さて……後はせめて警察がまともであってくれる事を祈るだけだ。
これから行われるという尋問を杞憂しつつ、傭兵に両脇を抱えられて歩き出す。
――その時。
「ちょっと待ってください、お父様」
突如として、凛と突き抜ける女性の声が路地に響き渡る。
大声で叫んだ訳でもないのに淀みなく届き渡る声。
それはまるで、立ち込める霧を払う突風のように威風凛然とした威厳があり、その場に居た全員が思わず動きを止める程だった。




