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魔術師の少女、世界端末の少年  作者: 海山優
四章

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◆一話『あってたまるか』

 ――年度の切り替わりに伴い進級した。


 自分で言うのもなんだけれど、天木秦という人間はそれなりに真面目に生きていることもあり、留年の危機などを考慮することすらなく、なんら滞りなく高校生活における最後の一年へと突入することになった。


 というか、留年なんてイベントは普通に学生をしているのであれば意識することすらないと思うのだが、真っ当な事情(病気とか家庭の事情とか)でない――主に学力や素行の問題によって留年の危機に陥る人達は一体全体どういう生き方をしているのだろうかと、そんなことを考えてしまう。とはいえ、これからの一年で自身に問題が生じた際、今しがた考えたことが丸々跳ね返ってくる可能性もあるのであまり言及すべきではないだろう。


 話は逸れてしまったが、進級したのだ。


 生活環境としては通う教室の位置が変わった程度であり、それ以外に大した変化はない。


 ――心境としてもあまり変化はない。


 本来であれば受験生という肩書を得るのだけれど、その権利は去年の夏頃に消失している。そのこともあって、級友たちがほんのりと漂わせている受験にまつわるアレコレを俺はどこか他人事のように感じていた。他人の集合体に他人事感があったとしても、それは当然のことなのではなかろうか? ――うむ。当然のことなので疎外感はない。


 つまりは平常である。


 進級しようとこちらの日常に大した変化はなく、自分自身にも変わりはない。


 学業戦線異状なし。


 そういった状態は緩慢、或いは停滞を好む人間としては非常に好ましいのだけれど、まぁ、うん。そうは問屋が卸さないのがこの世である。こちらがいつも通りでいようとも、非常識から突っ込んでくるのであればどうしようもない。どうしようもないけれど、どうにかして欲しい。……勘弁してくんねぇかな。


「で、なにこれ?」


 俺は目の前に鎮座する見た目と中身と状態がちぐはぐな物体を顎でしゃくった。


「一言で言えば……ストーカー、かな?」


 隣に立つ刀河火灼が端的に答える。


 刀河火灼。今年もクラスメイトとなった、長い黒髪の似合う自称大和撫子。愛煙家。


「それは見ればわかる」


 鎮座する物体――捕縛されている青年男性の首元には板が掛けられており、そこには日本語と英語で『私はストーカーです/ I'm a stalker.』と書かれていた。


 場所は学校の校門前。爽やかな春風が髪を撫で、散り始めた桜の花びらがちらちらと視界を横切る。春を感じさせてくれるのは大変結構なのだけど、変態の出現によって春を感じさせてくるのはやめて欲しい。いつから変態は春の季語になったんですかね……。


「二言で言えば、スノウのストーカーです」

「へぇ……」


 スノウとはスノウ=デイライトのことであり、刀河火灼の隣に立つ金髪碧眼の少女のことである。彼女は俺の交際相手であり、クラスメイトでもあり、ストーカーの被害者でもあるらしいのだが、当の本人は現状に対して興味関心が皆無なのかストーカーを無の表情で見ていた。というか、あの目はどう見ても狩人のモノだ。妙な動きをしたら殺そう、と考えているのが分かってしまう……。


 気を取り直して目の前の青年男性をまじまじと見る。刈り上げられた金色の髪は整えられており清潔さを感じられる。琥珀色の瞳を覗かせる目は切れ長で鋭いが厳めしさは薄いので威圧感はない。鼻は高く、顎も細い。男の俺から見ても文句の付け所がないどこに出しても恥ずかしくない美形だ。正座させられているので正確にはわからないが胴も脚も長いので身長も高いのだろう――つまりは高身長イケメンである。とりあえず拝んでおくか。南無南無。


「こんなイケメンがストーカーになるだなんて、世も末だな」


 本来ならされる立場だろうに。


「そう? むしろ始まったまでない?」

「ないよ」


 刀河の楽しそうな言葉を否定し、ため息を吐く。そうやって肺の空気を気持ち一新してから、改めて刀河へ問い掛ける。


「で、どうするんだ? とりあえず警察に通報するのか?」

「天木……、アンタは毎度妥当な提案しかしないねぇ。つまらないやつだねぇ……」

「え、なんで今呆れられた?」

「目の前には煮るなり焼くなり好きにできる状態のイケメンがいるんだよ? とりあえず拷問という選択肢を選ぶのが男子高校生だろうに」

「刀河さん? あなた男子高校生のことなんだと思っているの?」

「アンタみたいな根暗男子にとって、全てのイケメンは滅ぼすべき敵だろう? イケメン死罪。慈悲はない!」

「あるよ? 慈悲あるよ? 観音菩薩の生まれ変わりかってぐらいあるよ?」

「いやいや、アンタ今しがた拝んでいたじゃん。南無~って。南無阿弥陀仏を唱えるってことは、相手が極楽浄土に行けますように――延いては、今からこいつを血祭りにあげて殺すのであっちではせめて安らかにって意味だろう?」

「曲解が過ぎる! ねじ曲がり過ぎて折れているレベルでの曲解だろソレ!」

「そうじゃないと男子高校生がイケメンを拝む理由に説明がつかないわね」

「お前の中での男子高校生観どうなっているの……? いやさ、普通に『いいもん見たなー』ぐらいの感覚だったよ」

「なるほど、路上で拘束されている無様なイケメンを見られてご満悦、ということね」

「違うよ? 純粋に顔がいいので拝んでいただけだよ?」

「嘘を吐くなッ!」

「強情か?」


 ――アホなやり取りをしている自覚はあった。


 時刻は放課後に入ってしばらく経過した段階。校門という出入りの要所であるために、混雑する放課直後ではないとはいえ途切れ途切れではあるが人影は存在する。そんな人影たちは、校門前で無益な言い合いをしている俺や刀河、容姿が目立つスノウやイケメンストーカーを一瞥すらせずに横を通過していく。まるで認識していないかのように。


 ――事実、認識していないのだろう。ここにいる四人を囲むように狭い範囲で認識阻害と人除けの結界が張られているのは理解している。というか、そうでなければこんな目立つ存在と一緒にこのような場所に留まってはいられない。俺やスノウ、それに刀河は学校指定の制服を着ており在校生だとわかるだろうけれど、ストーカーの青年は俺たちと違って私服だ。濃い茶色の革靴は手入れが行き届いているのか艶が出ているし、履いているのはヴィンテージデニムと思われる古びたジーンズで、上半身は紺色のインナーの上に黒いジャケットを着ている。随分とシンプルな装いではあるが、顔とスタイルがいいこともあってかとても見栄えが良い。


 捕縛されていることにさえ目を瞑れば、こういった見目の良さは心の保養となる。


「スノウとかもだけどさ、こういう純粋に顔の出来栄えがイイ人ってのは見ているだけで気分が良くなるだろ。男性でもトムクルーズやアランドロンやブラピやキアヌやモーガンフリーマンやニコラスケイジとか最高じゃん。ジムキャリーとかもさぁ、変顔だったりにっこりってオノマトペが聞こえてきそうな笑顔だったりが特徴的で注目されがちだけれど、口を引き結んだときとか滅茶苦茶格好良くて、それがあるからこそあの変顔やにっこり笑顔が引き立つと言うかさぁ……。まぁ、なんというか、要は美術品のソレに近いだろ」


「早口じゃん……」


 刀河が三白眼で見てくる。


 ……芸術には疎いが、造形美に対する直感的な感動ぐらいは持ち合わせているということを示したかっただけです。いや、これじゃあただの映画俳優好きだな。


「美術品ですっ」


 スノウがややドヤ顔で嬉しそうに横ピースしながらポーズを決める。


 はいはい可愛い可愛い。マジで可愛いなコイツ。


「!?!??!??」


 イケメンがスノウの横ピースを見て驚愕の表情を浮かべている。


「そういや、なんでこの人はさっきから一言も喋らないわけ?」


 イケメンは口をテープで塞がれているわけでもないというのに、その口を開こうとはしていない。


「ん? そりゃ発言権を認めていないからだよ。ストーカーの言い分なんて聞く必要はないでしょう?」

「法治国家で吐いていいセリフじゃない」

「私を日本の法で縛れると思うな」

「歩く治外法権か?」

「黙秘権は認めているわよ」

「それは発言権とセットになって初めて意味のあるモノですよ……?」

「なお、沈黙は肯定とみなします」

「事実の捏造お手軽セットだ……」


 もうソレはハメ技の類だろ。



 □■■□



 イケメンは刀河によって『話す』という行為を制限されていたので、それを解除して貰った。ついでに正座もやめてもらい立ち上がってもらう。一瞬だけふらついたが、イケメンはしっかりと二本の足で大地を踏みしめ、


「まず、ボクはストーカーじゃないよ!」


 開口一番そう言い放った。


「ストーカーはみんなそう言うんですよ」

「そうなのかい!? では、なんと言えばいいんだ!」

「いや知らんけど……。愛の狩人とでも言っておけばいいんじゃないですか」

「おお! なんだか素敵だね! じゃあそれで!」

「ふむ、つまりはストーカーなんですね」

「あれぇ!?」


 素っ頓狂な声を上げるイケメン。


 横で刀河がゲラゲラと腹を抱えて笑っている。楽しそうなところ悪いが、状況の説明をちゃんと行って欲しい。スノウと一緒に下校しようとしたところ、校門脇でイケメンを捕縛して足蹴にしていた刀河を見つけたという段階から状況の理解がほとんど進んでいない。


 ちらりとスノウを見るも『秦くんの好きなようにすればいい』と手振りで返される。刀河の言葉を信じるならばあなたのストーカーなんですが……。


 刀河が手ずから拘束し、公権力たる警察に引き渡すでもなく俺やスノウの前に引っ張ってきていることからも魔術(そっち)側の人間であることは理解できる。では、そっち側の人間であるとして、どうして俺にバトンが渡されているのかを考えてみる。――考えてみたがよくわからないので、とりあえずもう少し情報が欲しいと結論を出した。


「とりあえず、名前と所属って教えてもらえますか?」


 素直に相手の個人情報から探ることにした。


 これを渋るようだったら刀河に突っ返してスノウと帰ればいい。


 元々、今日はゲーセンに遊びに行く予定だったのだ。妹の好きなキャラのぬいぐるみが入荷されているらしく、兄の威厳を示すために取りに行こうとしていたわけである。なお、俺はそういうのが苦手なのでスノウに頼む気満々だった。スノウは空間把握能力にも優れているし、目視で重心を測ることも出来るのでクレーンゲームとかめっちゃ強い。スノウさん流石である。そうだね、俺いらないね。兄の威厳とは……?


「ボクはヴィルヘルム・ラント。ヴィルって呼んでよ。学府での所属は乖離主義――乖離派だよ」

「…………」


 学府所属なのはなんとなくそうだろうと思っていたけれど、知らない概念が出てきたな。こういう時は解説の先生にブン投げるべきだ。


「刀河先生っ!」

「気にしなくていいぞぉ!」

「そっかぁ!」


 俺の疑問点を理解した上で気にしなくていいと言ったので、気にしないことにした。


「俺は天木秦です。アマギでもシンでもご自由に。この高校に通う学生で、学府には……一応、所属しているのかな?」

「自分のことなのに疑問形なのかい?」


 こちらの曖昧で不確かな言葉にイケメン――ヴィルは不思議そうな顔をする。


「学府には行ったことがないので、そんな状態で所属と言っていいのか微妙なんですよ。まー、南雲さん――南雲飾の使いっ走りというのが一番適切な気もするので、あの人の手下とでも考えてください」


 一応、南雲さんはその辺の処理はしっかりやっているそうで、俺の籍が学府にあることは刀河とスノウも確認している。ただまぁ、気持ちとしてはどこまでいっても本業は学生で、学府関連はバイト感覚の域を出ていないというのが実情だ。本業が魔術師である女子三人は平日だろうとそっち関連の仕事に赴くこともあるが、俺は放課後か休日や祝日じゃないと動かないのが基本である。


「ナグモの子飼い……? なるほどね、トーガやスノウと一緒にいるだけあって特別なようだね」


 ヴィルのこちらを見る目が心なしか鋭くなった気がする。だが、俺はヴィルの発音に引っ掛かっていた。


「オーガ……?」

「誰が鬼やねん。しばくぞ。しばくわ」


 刀河がハリセンをどこからともなく取り出し、それで後頭部をフルスイングしてきた。


 いい音が響く。あぁ~、文明開化の音ぉ~。……俺は散切り頭ではないので違うか。


「随分と仲がいいようだね」


 俺と刀河のやり取りを見てヴィルは小さく笑った。


 ――南雲さんはともかく、刀河やスノウのことを知っている。あまつさえ、二人の人となりまで知っているようだ。


 学府の実態は研究機関であり、その規模は大きい。魔術に関する事柄であれば手広くやっているというのもあるし、所属する人数もさることながら、何よりも英国にある学府本拠地が有している敷地面積が広大なのだ。どれぐらい広大かと言えば規模のデカい大学より広い、らしい。大学に対する知見が殆どない――少し前に友人である玖島の付き添いでオープンキャンパスに行った程度である――俺では明言はできないが、あれより広いのであればそりゃもうかなりの広さになるだろう。


 そのように広くて人が多い場所に所属している以上、全ての人員を個人が把握するのは不可能になる。そんな中で一個人を把握できているのだとすれば、南雲さんのような特殊な立ち位置にいて目立つ人間か、実際に関わりがある人間となるだろう。つまり、このヴィルヘルム・ラントと名乗った人物は学府時代の刀河火灼やスノウ=デイライトという少女と関わりがあったということだ。


「おっと、それともう一つ、一番大事なことを言っていなかった」


 青年は人差し指を立て、さも重要なことのようにソレを語った。


「ボクはそこにいるスノウ――スノウ=デイライトの婚約者(フィアンセ)さ」


 ――なるほど、と得心してしまう。


 刀河が俺に対応を任せた理由を理解した。


 この人は間違いなく俺の敵だ。



 □■■□



 ――ソレは氷のように冷たく、肌を通し脊髄を伝って脳髄を震わす。


 指向性を持ってはいたが、少しばかり漏れていたようでいつもの彼女らしくない。漏れ出たソレは空気を伝播して道行く歩行者にまで伝わったのか、見知らぬ女学生が背中を震わせて小さな悲鳴を上げていた。


 純度の高い殺意が周囲や対象に届くよりも先に、スノウ=デイライトは抜刀していた。


 頭上に発生させた空間の亀裂。


 その亀裂から突き出た刀の柄を握り、抜き、上段から振り下ろす。


 躊躇なく、淀みなく、最短最速で行われた両断。


 当然のように俺はそれを止められない。その一振りを止める術を持たない。反応はできても、対応はできない。ただその殺害を見ることしか――


「あ」


 避けた。片足を軸にして行われた紙一重よりかは余裕のある回避運動。


 ヴィルヘルム・ラントという人物がそれを避けられるという事実。ただそれだけに驚嘆する。


「ん」


 スノウの強みは追撃性だ。避けるのであれば追撃するだけである。その攻めは対象を仕留めるまで止まらない。アスファルトの地面を割り刺さった刀から手を放し、空間そのものを掴む。掴まれた空間は断裂を生み、空間の罅がヴィルを囲む。空間魔術による防御不可能の空間断裂ベアハッグ。だいたいの相手は死ぬ。


「え」


 ヴィルはその攻撃に対する反応が遅れた。反応が遅れれば対応はさらに遅れる。彼に出来たのは口角を引き攣らせることだけだった。


「よっ」


 そして、一振り目は止められなくとも二撃目であればこっちは対応できる。スノウの脇に腕を通して羽交い絞めにする。


「秦くん止めないで! こいつを殺せない!」


 俺の拘束など振りほどこうと思えば振りほどけるスノウではあるが、物理的な反抗をするつもりはないようであっさりと止まってくれる。あ、揺れる髪からいい匂いがする。


「うん、殺すのはダメだから止めているわけでしてね?」

「じゃあ半殺しで手を打つよ!」

「んー、それならいいか」


 交渉の結果として手打ちとなったので俺はスノウを解放した。


 自由になったスノウは空間魔術を解除し、拳を握り締めて腰を落とし構えた。


 俺とスノウのやり取りを見て口をぽかんと開けているヴィルはまたもや対応が遅れた。


 スノウは自らの肉体を一本の発条とする。利き足を半歩引き、全身を捩じる。感嘆の声を上げたくなる見事な全身運動。何度も繰り返した果てで身体に刻まれたであろう無駄のない動作。静止は一瞬。解き放たれた力は脚、腰、肩、腕を通じて握られた拳へと到達する。そうして発射された拳骨は無防備を晒すヴィルの脇腹へと見事に吸い込まれた。


 鈍い打突音。蛙を潰したかのような呻き声。まるで重力など存在しないかのように人が宙を舞う。桜の花びらが舞う中で何度か回転した後、重力に捕まったそれはあまり耳心地のよろしくない音を立てて地面に落下した。


「……アレで大丈夫なのか?」


 およそ人体から出てはいけない音ばかりを出していたけれど、無事なのだろうか。一応、スノウが「殺さない」ようにした結果のボディブローなので大丈夫だとは思うのだが……。


「まぁ、ヴィルヘルム・ラントなら大丈夫でしょ」


 いつの間にか煙草に火を点けていた刀河が煙を吐きながら答える。


「大丈夫なんだ……」

「大丈夫だったから、スノウの婚約者だなんて宣言できちゃうわけで」

「……なるほど?」


 刀河の慣れた態度を見る限り、学府にいた頃にも同じようなことが何度もあったのだと窺えた。


 スノウは地面の上でぴくぴくと痙攣するヴィルに追い打ちを掛けたそうにしているが、一発殴ってひとまずの溜飲が下がったのか、ふんすと鼻を鳴らして拳を開き残心を解いた。



 ◆◆◇◇◆◆



 ヴィルヘルム・ラントは魔術に傾倒するラント家の次男として生まれた。


 ラント家は先祖代々学府に所属しており、ヴィルヘルム自身も当然のように学府に在籍し、魔導を研鑽する日々を過ごした。幸いなことに魔術の才能に恵まれ、学府の中ではそれなりの結果を出せたため一部からは一目置かれるようにもなる。順風満帆と言っていい生活を送っていると、兄であるマティアス・ラントが家督を継ぐことが正式に決まり、兼ねてより付き合いのあったベラ家の息女と結婚した。その際にヴィルヘルム自身も結婚願望を抱くようになる。


 そんなある日、ヴィルヘルムは運命的な出会いをする。


 スノウ=デイライトである。


 学府ではある意味で有名な『変わり者のデイライト家』の娘ではあったが、長男であるスコール=デイライトは数多の活躍によってその名を轟かせており、その妹であるスノウ=デイライトもまた一部の魔術師たちが話題に挙げるぐらいには傑物であった。そしてそれ以上に、雪を名に冠した少女は美しかった。つまりは文句なしの存在だった。


 ヴィルヘルムはとりあえず求婚した。


 ヴィルヘルムと同様のことを考え、同じように求婚した男が他にも十数人いた。


 全員がスノウ=デイライトにボコボコにされた。


 完膚なきまでに身体(と心)を叩き折られた男たちはすごすごと身を引いたが、ヴィルヘルムだけは折れることなく求婚し続けた。


「――そして今に至る、というわけだ」

「いや、説明になっていないよ? 下味だけつけた食材をさも調理済みの料理として差し出された気分ですよ? 大事な工程が飛んでいないか?」

「……? いや、これが全てだよ?」


 心底不思議そうな顔をするヴィルヘルム・ラント。説明は全てしましたが、むしろあなたはどこに疑問を抱いているのでしょうか? という顔である。ビンタしたい。


「スノウはボクや他の男たちの求婚に対して拳で答えた。他の人達はそれに耐えられなかったが、ボクは耐えた。つまり、ボクは彼女を受け止めるに足る人間であり、結婚するに相応しい相手であることが証明されたことになる。そうなると結婚は秒読みであり、婚約者を名乗るのは当然と言えよう」

「謎理論もそこまで真っ直ぐ展開されると正しいんじゃないかと思えてきますね……」

「とはいえ、まさか日本で浮気しているとはね……」

「浮気の定義、辞書で調べ直した方がいいですよ」


 ストーカーの発想である。……そういえばストーカーだった。


「スノウを誑かした少年――シンよ。ボクはてっきりトーガとキミが恋仲にあるのかと思っていたよ」

「どこをどう見たらそうなるの……?」

「学府ではもっと尖った姿ばかり見ていたからね。あの魔女とあんなに仲良く談笑している姿を見せられたら勘違いもするさ。もっとも、そのあとに見たスノウのフランクな……なんというか、砕けた? 気さく? な様子には度肝を抜かれたがね。ここ十数年で一番驚いたよ」


 そういえばスノウの態度に本気で驚いていたなこの人。


「彼女はあんなふうに笑うんだね」


 ヴィルは少し寂しそうにそう言った。イケメンのしっとりした物憂げな表情には言葉では言い表せない引力を感じてしまう。


「ヴィルさん……」


 なんとなく名前を呼んでみてしまったが、雰囲気に流されただけなのでそこから続く言葉などない。


 第一、場所が場所なのでヴィルのほうに目を向け続けるのもあまりよろしくなかった。


 現在、俺たちはスーパー銭湯に来ている。かぽーんという音が脳内で響く。


 刀河はなにを考えたのかタクシーを拾い、スノウの一撃によって意識を失ったヴィルをそれに蹴り入れ、続いて俺やスノウも乗り込ませ、近隣にあるスーパー銭湯『温泉 からり』まで連れて来た。乾きそうな名前である。


「親交を深めるには裸の付き合いが一番でしょ」


 そんな言葉を残して女子二人は女湯の暖簾をくぐっていった。


 言わんとすることは理解できるが、俺がこの人と親交を深める必要があるのか疑問である。だが、刀河はその必要があると思うからこそこうしてヴィルとの談話の場を提供したのだろう。……いや、単純に風呂に入りたかっただけの可能性もあるか。あるな……。とはいえ、別段無理に逆らう必要もないので言われた通りにこうして話をしているわけである。


「……ん? ていうか当時のスノウって良くて中学生、場合によっては小学生ぐらいの年齢というわけだよな。え、その年頃の少女に求婚……?」


 犯罪的な絵面になりそうだ。


「おっとぉ……? なんだか今、謂れのない軽蔑を受けた気がするよ?」

「事実では?」

「うんまぁ、表面上はそう受け取られてもおかしくないかもしれないけれど、ボクが彼女を初めて見たときからすでにその肉体は成熟していたんだ」

「あー、そういえばスノウ自身も成長が早い方で早熟だったとは言っていたな」

「そうそう。後に実年齢を知ってびっくりしたぐらいだしね。だからこそ婚約止まりだったわけだ」

「なるほど」


 一瞬納得しかけるが、それでは結局のところ十代前半の少女に唾を付けようとした男たちという事実から逃れられないような気もする。


「それで、スノウは今年で成人だろう? だから迎えに来たんだ」

「…………」


 日本と同様にイギリスでも十八歳で成年となるし、結婚もまた十八から可能になる。成年として認められるということはすなわち、自らの意思決定に責任が負えるようになったと見做されるということだ。スノウは随分と幼いときから自発的に動き、自らの意思で決定し生きてきたという。そういう意味では彼女に大した変化はなく、ただ年齢が彼女に追いついただけといえるのかもしれない。


 ――思ってしまう。では、俺はどうなのだろうか?


 自身もまた今年で成年となる。少し前までは二十歳という一つの区切りによって分けられていたというのに、民法の改正に伴い成年年齢が前倒しされた。結果、俺は今年で成年となってしまう。そのことに自覚はなく、意識もなく、心構えもない。だというのに、そのような状態で権利と責任を渡される。


 そうなる前から権利を行使し自らの責任を受け止めていた彼女。


 そうなった後だというのに渡された権利も負わされた責任も実感できない自分。


 ――それは、あまりにも不甲斐ない気がした。


「迎えに来てみれば、スノウにはキミという恋人がいるというね。いわゆる現地妻というやつだろう」

「うん、違う。色々と違う」


 この人、日本語がペラペラなのにちょいちょい言葉選びが見当違いなモノになっているな。


「だがまぁ、スノウがキミに惹かれたのも理解できる」


 そう言い、ヴィルはこちらの目を見つめてくる。まるで探るかのように。


「……え?」


 なんとなく手で胸元を隠してみる。ヴィルは「そういうのではない」と手を振りつつ真面目なトーンで言葉を続ける。


「なるほど確かにキミは『特別』なのだろう。ナグモの子飼いにして、スノウを誘惑せしキミ。かの第八超越者(オーバーエイト)が手元に置く存在、それはつまりあのネセル=ベイルートに並ぶ――或いはそれ以上の逸材ということに他ならない。キミはそれがどれほど特殊な立場なのか理解しているかい?」

「ええ、一応は」

「一応。一応とくるか。――いいね。ボクもキミに興味が湧いたよ」

「うん。……うん? え?」

「これからよろしく頼むよ、シン」


 ヴィルヘルム・ラントのストーカー対象が変わった瞬間だった。



 □■■□



 寝転び湯に浸かって意識をぼやけさせていると隣で同じように横になっている火灼が口を開いた。


「懐かしい奴がやって来たわねー」


 私は「そうね」と頷く。


「スノウはあいつのこと、ちゃんと覚えていた?」

「印象深い存在だったからね。忘れろってほうが難しいと思うけど」


 火灼は「それもそうだ」と楽しそうに言う。


「婚約者」


 火灼の発したその言葉に眉根が歪むのを自覚する。


「あっは。随分と過剰に反応するわね。昔はどーーーーーでもよさそうな顔してたのに」


 事実だった。実際、昔の私にとってそれは心底からどうでもいいことだった。


 でも、今は違う。


「今は、どうでもよくないもん」


 秦くんの前であんなことを言われたら、真っ二つにしようとしてしまうのは仕方がない。


「可愛い言い方しおってからに……。それにしても、やっぱり昔はどうでもよかったのね。もしかしてだけど、そうなるかもしれないとすら思っていた?」

「まぁ、うん、そうね。当時はそれもまた可能性の一つだと思っていたよ。家はスコールが継ぐのがわかっていたし、そうなると私はどっかに嫁いで兄の地盤固めに寄与することになるのは当然だと考えていた。ラント家は成長株だし、ヴィルヘルムも魔術師としての性能は申し分ないから、ラント家のアプローチ次第ではそうなっていただろうね」


 当時の私は自己というモノが希薄で、自分の行く先をどこか他人事のように捉えていた。生きることに疑問はなく、魔術師であることに不満はなく、デイライトの人間(パーツ)として振舞うことに問題はなかった。だからきっと、私もまた周囲の人間と同じようによくある魔術師と同じような一生を過ごし終えるのだろうと思っていた。


「でも、そうはならなかったし、その可能性は潰えたよ。だって私は秦くんと一緒にいるんだもの」

「うん、はい。でしょうね」


 何故だろう。火灼の言葉が心なしか雑だ。


「そんな消滅した未来の話なんかよりも、今の話をしようよ。私たちが気にすべきなのは、どうして今になってヴィルヘルム・ラントが私の前に現れたのか、だよ」

「大方、スノウが今年で成人するから、とかじゃない?」

「ありそうだね。じゃあ次に気にすべきはどうやって私の前に現れたのか、だね。はてさて、あの男はどうやって私の居場所を知ったのやら」

「私が個人的に敷いている情報封鎖は現在も生きているけれど、アンタの兄――スコールの派閥や南雲の配下であれば一部は知っていてもおかしくないわね」

「その一部だってバチバチに傾倒している連中だろうから、そう簡単に口を割るとは思えないけれど」

「頑張れば割れる口ならどうにかするでしょ。少なくとも私はそうするし」


 自白剤や洗脳、裏切りの使嗾(しそう)や拷問による情報漏洩の対策などはして当たり前である。魔術師が行う対策の中には、魔術による契約によって特定の情報を漏らそうとした瞬間に脳が焼き切れるようなモノだって存在するほどだ。


 人類史において情報の持つ価値は未だ高く、だからこそ多くのリソースを割いて情報を秘匿しようとするのは当然と言える。だが、そんなことは前提でしかない。それらの対策を掻い潜りさえすれば値千金の情報を得られるとなれば対策の対策もまた研究され進化していく。


 戦争――競争と同じだ。発明と発展、対策と対応のいたちごっこ。どちらかが滅ぶまで終わらない螺旋。そうして続く螺旋の先端で鎬を削っている火灼からしてみれば、それは挑んで当たり前のことであり、越えられて当然の壁であるというわけである。


「だとしても、そんな表立った敵対行為を気軽にできるとは思えないけれどね」

「気軽じゃなけりゃする可能性だって十分にあるでしょ」

「…………その場合は世界端末(しんくん)関連だよねぇ」

「まぁ、十中八九そうでしょうね。つってもまぁ、天木そのものに関しちゃ学府ではスコールや南雲ぐらいしか把握していないだろうから、連中の専らの狙いは探知機として覚醒したスノウ(あんた)だろうけれどね」

「ヴィルヘルムもそんな感じかなー? けど、あの程度で世界端末(しんくん)や探知機(わたし)の情報にまで行き着けるものなのかなぁ?」

「当主になった兄マティアスによる差し金の可能性も考えたけれど、どっちかというと父親のヘルマンあたりがクサいかな。乖離主義の中では発言力もあるし、実績もある。ヴィルヘルムがスノウに懸想していたのは知っていただろうから、それを利用して『お前の想い人がどこにいるかわかったから行ってくれば?』とでも言って唆したんじゃないかしら。それでスノウを持ち帰って来たならそれだけで十分でしょうしね。とはいえ、単身で突っ込んで来たあたり、当たればラッキーぐらいの気持ちだったんじゃないかしらねぇ」

「他がいないのは確定?」

「一応だけどねー」


 一応、などと予防線を張ってはいるが、火灼がここら一帯――いくつかの市町村にまたがる地脈――の管理に一枚噛んでいるのは私も知っている。


 土地の管理者というのは絶対的と言ってもいい。少なくとも、その区域内で管理者に手を出すのは不可能だろう。管理者は地脈の利用権限を握っており、土地の補助を受けられる。受けられる補助というのは単純な力の増進は言わずもがなで、気合いを入れれば区域内に存在するモノたちの事細かな動向の把握すら可能とする。一部の例外を除けば、管理者たる火灼に対して秘密裏に動くことすら無理なのである。だから、私は火灼の言葉を信用する。


 一応、例外は存在するのだけれど、例外はなんにだって存在するし、こと今回においてはその例外の可能性が低いため、オッカムさんの剃刀に倣って頭の片隅に置きつつも考えないモノとする。


 つまり、ヴィルヘルム・ラントは単独で私たちに接近した可能性が高い。


 もし、世界端末そのものに対する接近が目的であったとしたら、ヴィルヘルム程度の魔術師一人をこんな雑に寄越したりはしないだろう。それは意表を突くとか、奇策であるとか、それ以前の問題だ。


 ――その後も私と火灼は思いつく懸念点を挙げては指摘し合い、一先ずの結論を出した。


「現時点で私たちがヴィルヘルムに確認するのはスノウの居場所をどうやって突き止めたのか、その一点に限るわね」

「そうなるね。やり方は火灼に任せていいんだよね?」

「任せんしゃい。あの程度の若造相手ならどうとでもできるわ」


 頼もしい限りである。


「それじゃ、秦くん(あとヴィルヘルム)との合流する時間まではもう少しあるし、お風呂を堪能するとしますかー」

「そうねぇ」


 ――こうして話し合いを終えた私と火灼であるが、考慮すべき一つの要素をすっかり忘れていたことに後々気付くことになる。


 それは、天木秦という存在が変人や変態や異常者の類を妙に惹き付ける性質を持っているということである。


 ヴィルヘルム・ラントの興味関心の対象が私から秦くんに移っていることに気付くのは、お風呂上り、ヴィルヘルムが秦くんにやたらと馴れ馴れしい態度をしているところを目撃したときだった。


「シン! それは何を飲んでいるんだい!」

「いちご牛乳」

「ボクの分はあるかい!?」

「ないよ」

「何故だ!?」

「自販機で買うモノだからだよ。自分で買え」

「なるほど! 買ってくる!」

「テンション高いなこの人……」


 自販機でいちご牛乳を購入したヴィルヘルムは満足そうな表情を浮かべ、秦くんに嬉しそうに話し掛けている。秦くんは鬱陶しそうな態度ではあるが律義に応じているあたり、すでに懐柔されつつあることが理解できる。秦くんはアレで自分に対して積極的な人が好きなチョロい男なのである。まぁ、人間なんてだいたいそんなモノなのだが……。


 あんぐりと口を開ける私の横で、火灼がぼそりと言う。


「裸の付き合いによる親睦って、ちゃんと効果あるのね。若干一方的だけど」


 あってたまるか。

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ヴィルくん大型犬ぽくてかわいい
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