◆六話-1
動きが変わった。それも明らかに。
先ほど言った『三人での連携は難しい』などという言葉を覆すように、三人で仕掛けてきた。
――嘘吐きィ!
だが、踏み込みが全体的に浅い。攻撃的なくせに間合いの取り方が慎重なのだ。
――持久戦狙いか?
こちらを消耗させることを目的とした動きと判断する。だから、無理をすることにした。
屋敷群の屋根を飛び移りながら火炎をいなし、岩を穿つような水を避け、意思があるように襲い掛かる樹木を切り裂き、流動し隆起する地面は震脚で抑え込み、雨のように降り注ぐ無骨な刃を躱し切った。
そして、一番の手負いだった老婆――載を仕留めに掛かる。
手持ちのナイフへと注意を引き付けさせる。大仰に動かし、誰にでも分かるように魔力を集中させ、視線の誘導を行う。それを少女――京へと投擲する。これまでの交戦によって俺の主武装だと思いこませていたものを、敢えて手放した。
その行為に式神たちが一瞬だけ気を取られる。
実際、当たればただでは済まない威力だ。だからこそ、京は身構える。そうして、身構えることによって生まれた隙を補おうと、載と穣がフォローに入ろうと動く。
その載へと、俺は向かう。
ベルトに仕込んでいた鋼鉄のワイヤーを抜き取る。魔力を流し込み、固め、即席の硬鞭を一閃させる。虚を突かれたかのような表情を浮かべる載の脇腹へと硬鞭の先端がめり込む。
――軽量化してあるため普通に振るう分には威力が出にくいけれど、そこは膂力と遠心力でヘッドスピードを上げてカバーするだけだ。
金属が拉げる感覚が手を伝う。貫通して肉へと到達し、骨が割れることを指先から知覚する。
「がァッ」
載の口から鈍い声が漏れる。一瞬、その意識が明滅したことを見逃さない。
追撃する。途切れた意識が完全に戻る前に、裏拳を載の顎へと向けて振り抜く。
顎を激しく横揺れさせた載はそのまま気絶した。
「まず、一人」
横たわる老婆の顔近くに硬鞭の先を突き立て、残りの二人へと顔を向ける。
「――まだ、続けますか?」
穣の方は表情が読めないが、京は疲労の色がかなり見えている。
「いやはや、無理だな。我々では足止めが精々か」
穣が降参の意を示すように手を挙げた。
――え、あれ? 案外あっさりと……足止め?
引っ掛かりを覚えて、すぐに言葉の意味を理解する。周囲へと注意を向けて、場所がかなり変わっていることに気付く。
「……ずいぶんとまぁ動かされたようで」
ここどこ? と、小さく呟きつつも周囲をちゃんと見る。目立つのは神社の本殿みたいな建物で、自分たちがいる場所はその前広場みたいなところだ。かなり広く、参道部分は石畳になっており、それ以外の場所は砂利敷きだ。……玉砂利って足を取られるんだよな。
「――えぇ、ここまで来ていただきました」
声が通る。そこまで大きい声ではないのに、耳朶を打つ響きは確かなもので、その音源へと意識を向けてみればその先には奴がいる。空海玄外だ。神社本殿の扉が開かれており、そこから姿を現していた。俺のいる場所から距離があるというのに、ここまでしっかりと声が届いている。
そして、玄外は巫女装束を身に着けていた。純白の襦袢、無垢の小袖、彼岸の花を連想させる色の袴。神に仕えるための装い。神の言葉を聞くための姿。
――意外なことに、俺はその装いに違和感を覚えなかった。
体格が男だとは言っても、男にしては長めの髪や、衰弱によって身体の線が細いこともあって遠目から見れば女性と見紛うこともあるだろう。とはいえ、彼が男であること俺は知っているため、意識と認識に齟齬が生じて戸惑いが生まれる。その戸惑いによって思考が固まり、思考に付随して身体が硬直する。
玄外は動く。手を後頭部に回す。髪留めを外し、髪を下ろした。
瞬間、空気が重く揺らぐ。
玄外が何かを唱え、手に持っていた十掬剣を振った。
――アレはダメだ。完了させてはいけない。
そう直感し、踏み込んだ。踏み込んだ衝撃で足元の玉砂利が弾け、下の地面が砕ける。弾けた玉砂利よりも速く、地面に広がる亀裂よりも速く、俺は跳ねた。最速で接近し、その息の根を止めなければいけないと、そう思った。
だが、遅かった。
玄外に手が届くあと数センチの距離。振るった硬鞭ごと、俺は何かによって横から全身を殴られた。
◆◆◇◇◆◆
「『神降ろし』」
塀に激突し、倒壊した瓦礫の下敷きになった秦に向けて玄外は話し掛ける。
「私が呼び出したのは、いわゆる土地神と呼ばれる存在だ。学府の基準で言えば、神というのは天使や悪魔より上位の存在というものになる。ただ、あれは学府が定めたものであって、その指針は位階をわかりやすくするためでしかない。世界各国で古来より伝えられる神話や宗教といった考えには殆ど沿っていないと言っていい」
天使や悪魔、神といった言葉を選んでいるのもよく知られている存在を当て嵌めているだけに過ぎないんだよ、と、玄外は言葉を続ける。
「この地に根差した空海家はその魔術体系に神道をベースとして陰陽道なども取り込んでいるのだけれど、その神道における神とは八百万の存在とされている。ありとあらゆるものに神が宿るという教義だ。米粒、石、樹木、川、山脈、火や雷、風といった現象、果ては空、星にもまた神が宿るとした」
ただし、それは学府の提唱する位階分けとは明らかに異なる。
「では、私が呼び出したこの土地神――天之綿津見常立神という名称を定められた存在は、どういうモノだと思う?」
玄外は微動だにしない秦に疑問する。
その背後には巨大な人型の光体が存在する。全長二十メートルを超える巨体。それ自体が発光しており輪郭は常にブレ続けている。今はただじっと立っており、呼び出した玄外の言葉を待っていた。
「気絶していないのはわかっている。答える気がないのなら、そのまま気絶するまで叩くだけだよ」
そう言って、握る直剣を動かす。それに連動するように、土地神は腕を振り上げた。
「…………精霊の類。もしくは、天使や悪魔の一部分を現界させた存在。少なくとも、学府が定めるような『神』に連なるようなモノではない」
瓦礫をどかしながら秦が立ち上がり答える。その足取りにふらつきはない。
「だいたい正解。それじゃあ、どうして私は君にそれを教えたのだと思う?」
玄外の言葉にすぐには答えず、秦は自身の手元を確認する。
――大丈夫、硬鞭はまだこの手にある。
そう安堵の吐息を漏らそうとして、秦は己が今一度叩き潰されたことに遅れて気付く。
全身が悲鳴を上げる。目の奥の方から殴られているかのように痛む。頭蓋は脈が打つ響きだけで痛みが駆け巡る。呼吸をするだけで吐きそうになるような疲労が身体を襲う。
霞む意識とは別に、まるで他人事のような思いが秦の中で吐き出される。
――生きていることが不思議な状態だな。
そして、秦は気付く。己が何も握っていないことを。
「理由は単純。君には諦めて欲しい。彼我の戦力差を理解して、大人しく投降して欲しいんだよ。学府の定義する『神』とは違うが、神を冠する存在を前にして、抵抗など無意味だと思い知ってもらう。その身体で――その器で、無茶をさせないために」
土地神が秦へと手を伸ばす。
崩壊した地面から掴み上げ、握ったまま玄外の前へと丁重に持ってくる。
「君がそういう方向に魔術を修めているのは理解した。だから頑丈なのも理解はしているけれど、それでも、加減をしたところで打ち所が悪ければ終わる可能性が存在する。だから、さっさと諦めて欲しかった。なにより――」
玄外は直剣を揺らす。それに合わせて土地神は腕を再度振り下ろした。その拳の先にあったのは秦が握っていた硬鞭。拉げて使い物にならなくなっていた金属の棒はその一振りによって消滅した。秦が携帯する武器の中で、投擲に使った短刀と同程度の経験が詰まっていた得物。
これによって、秦が満足な戦闘を行うために必要な武器は短刀だけとなった。
そして、その残りの武器は玄外が持っていた。
忌々しいモノを見る目で、玄外はその短刀を睨む。
「『経験憑依』とは予想外だ。魔力量だけが取り得の性能で、戦闘用の式神たちを一方的に捩じ伏せた仕組みとしては確かに納得できる。……だが、誰がこんな魔術を使っていると考える? 経験の流し込みなどという行為。経験として物質に刻まれるほど強い他者の自我、それを己の自我に被せて塗り潰すに等しい行為! 世界端末が精神への干渉を拒むとは言っても、他者の強力な自我が流れ込み続けていることに変わりはない! 引き出す経験が濃ければ濃いほどにその汚染も酷くなる! お前に廃人になられては困るんだ!」
経験憑依という魔術の使用者が皆無と言って等しい理由はいくつも存在する。高度な経験が刻まれた物品の収集。それを常に携帯し続ける必要性。起動し続けるにあたって要求される魔力量。それらの要素が絡み合い、あまりにも費用対効果が悪いためだ。それでも、経験憑依という魔術を有用だと信じ、極めんとした者も存在した。だが、経験憑依における最大の欠点は玄外が言うように、術者本人の人格に及ぼす影響が大きいからというモノだった。
――ただし、その事実は殆ど知られていない。
初期の段階では、人格に憑依元の影響が出る程度で済む。だが、次第に憑依元の人格が術者の自我を圧迫し始めることになる。そして最終的に、肥大化した別の自我は元から存在した自我との乖離した思考を吐き出し続け、使用者の精神を掻き乱して壊す。
憑依元の影響が多少出ることは知られているが、最後には複数の自我が常に同時に潰し合うことによって精神が壊れ、廃人と化すということを現在の学府で知る者はいなかった。
――極めようとした人間は、統一されることのない自意識に狂い壊れて身を投げたからだ。
他者の意識を『そのまま別の存在に意識があるまま被せる』ことがどういうことになるかを理解しているからこそ、玄外は秦の自殺行為に等しい行いを止めた。
ただし、それは同情や憐憫などではなく、天木秦という器を十全の状態で手に入れたいからということに過ぎない。
◆◆◇◇◆◆
「――お前に廃人になられては困るんだ!」
玄外の怒声が脳を揺らす。揺れる脳はガンガンと金槌で殴られているかのようだ。
視界は霞むし、手足の感覚はない。そのくせ、何故か意識はしっかりとしているようにも思える。だから、ちょっと遠く聞こえる玄外の言葉も意味は理解できる。
――あぁ、やっぱアレってあんま良くないのか。
と、そんなことを冷静に考えている自分がいる。でもまぁ、それが一番というか、俺みたいな一般人が魔術師という異常と渡り合うにはそうするしかないという結論になるので、そんなこと言われても……となる。
「これも、お前が持っていていいものではない」
金属の塊が砕ける音が聞こえる。おそらく、短刀が破壊されたのだろう。
――これで、俺の可能性は潰えた。
逃げ道は断たれた。武器は失った。身体は動かなくなった。相手は俺を生かしたまま捕らえる必要があるという優位性があったにも関わらず失敗した。
反省点は多かったと思う。ただ、まぁ、後悔はそんなにしてない。
意識の混濁が始まる。声がざらざらと肌をなぞる。音が目を貫く。血の匂いが耳に染み渡る。見えもしない筈の己の内を知覚してその虚へと沈んでいく。
――さてここで忘れていたことを思い出そう。お前のポケットには何がある?
思い出す。全身の血流が沸騰し蒸発するかのようなあの感覚を。
思い出す。認識が融けて自我をかき混ぜられるようなあの感覚を。
思い出す。身の丈に合わない熱量が己の右腕を焼き焦し炭となった感覚を。
腕の焼ける音。肉の焼ける匂い。自身の一部から水分が消し飛び、感覚などというものがあることに後悔し叫び続けたくなるような一瞬の痛みが通過してそれを感じ取るための神経ごと焼き切れて、残った痛みの残滓に呻きたくなるような経験。
あの日から、焼肉などの『肉を焼く光景』を見るだけで吐くようになった。
肉を焼く音を「良い音」として認識できていたのはそれが味に繋がるからで、だからこそ人はステーキを焼く映像やその際に脂が弾ける音を聞いて唾を飲み、頬を緩ませるのだ。
けれど、俺がその映像や音から連想するようになってしまったのは自身の腕が燃え尽きて肘から先が炭の塊になる記憶だけだ。焼ける音に焦げる臭いに融ける痛み。
考えるだけで恐ろしい。考えたくなんてない。思い出したいなどとは決して思わない。ちらとそれを思考してしまえば幻の痛みが腕を駆け抜ける。腕が熱する。焼けた筋肉が縮んで思ってもいない方向に曲がろうとする。腕が熔ける。焼ける。燃える。融ける。脂や血液が蒸発して自身の腕とは思えないぐらいに細く黒くなっていく。熱い熱い痛い熱い痛い痛い痛い痛い。
――まぁ、いいや。
全てを認識から外した。
反省は大事だ。次を考えている証拠だから。
後悔は良くない。後悔は『したくない』と思うモノであって、するものではない。
反省はした。後悔をしたくないと思うべき場面でしないための選択はした。
だから、これもその一つ。
空間魔術の起動。予め座標は刻んであるから、細かい調整は必要ない。
ただ、魔力を流すだけだ。
粉末状に砕いておいた薬剤を血中へと直接飛ばす。
それらは一瞬にして血流に乗り、瞬く間に全身へと駆け巡り、脳へと到達する。
一つ。目の前にある扉のような何かを押して開く。
法外な魔力を引き出す。膨大な魔力を取り出す。ただ、これだけでは意味がない。霧散してしまう。方向性を与えなければならない。あの時のようにただ腕を通しては二の舞だ。継続することを考えろ。あのときよりも先を見据えろ。覚えたことを振り返り、見たモノを思い出せ。
何が良いかと考え、周囲を見やると不思議な文字があった。いつぞやの文字だ。俺の中に入ろうとして失敗したもの。こんなところにその欠片が残っていた。思い出す。彼女が行っていたことを思い返す。
文字をなぞる。そこから復元させていく。一枚の紙片を完全に再現する。
それを掴み、魔力を流し込んで形を与えていく。術式へと無理矢理に整える。
整えたモノを己の全身へと浴びるように流し込む。
『位階変転』




