閑話「友人の話」
二章零話的な位置づけでもありますが、読まなくても特に支障はありません。男二人が喋るだけの話って需要あります?
回顧という言葉を使っていいのかと訝しむ程度には、積み重ねた経験も、積み上げた思い出も、まださほど色褪せてはいない。
また、密度という観点でも、それほどまでに連綿とはしていない。
それでも、高校生という、そこら辺にありふれていながらも羨望されて止まない肩書きが人生で適用される貴重な三年間、そのうちの一年と半分という時間。俺こと玖島哉と最も濃い付き合いがあったのは他ならぬ天木秦だった。
第一印象はあまりよろしくなかった。
そこらへんの死体から目の周辺だけを刳り貫いて移植手術でもしてきたのかと思わせるような目の死にっぷりと、周囲の一切を意に介さずに読書に耽る姿はまるで断崖絶壁のような奴だった。
あー、こいつは友達を作らずに三年間を過ごすタイプで、しかもそのことに後悔しない奴だ。
級友たちと談笑して交友を深めながら、なんとなしに天木を見てそんな評価を下していた。
そうしてふと、どんな本を読んでいるのか気になったのだ。
こってこての文学だろうか、それともオタクなラノベだろうか、もしくは意識の高そうな実用書だろうか、はたまた名前も知らない詩人の詩集などだろうか、それとも見た目に反して携帯小説じみた恋愛系だろうかと、興味が湧いたので覗き込むようにして本を見た。
フランス書院文庫だった、
俺は盛大にコケた。
覗き込もうとする姿勢が悪かったのも一因だろうが、動揺からバランスを崩して何もないところで転ぶというのは人生で初だった。
受け身は取ったが、強かに地面へと濃厚接触を試みた俺のことを天木は理解できないものを見る目で眺めていた。
なによりも真っ先に天木へと視線を戻したので、その目とかち合う。
「……あー、まぁ、転びたい日もあるよね」
「ねーよ」
と、そんなのが俺と天木の最初の会話だった。
◆◆◇◇◆◆
下手にも程があるフォローの言葉を切り捨てたが、天木は特に気にした風もなく言葉を続ける。
「頭大丈夫か?」
「喧嘩売っとんのか?」
「いやほら、結構勢いよく転んだからさ、強く頭打ってたりしたらまずいでしょ」
純粋な心配の言葉だったらしい。澱んだ目をして、あまりにも平坦な口調で言われたので煽られたのかと勘違いした。
「あー、そういう意味か。すまん。大丈夫だ。頭は打ってないぞ」
「そっか、ならいいか」
そう言って、天木は視線を手元の官能小説へと戻した。戻すな。
「なぁ」
「ん?」
「なんでそれ読んでんだ?」
「思春期の男子がエロスに興味津々なのは普通では?」
「時と場所を考えろ」
「保健体育の教材ということでここは一つ」
「……あー、まぁいいか。先生に見つかんなよ。あと、せめてブックカバーつけろ。裸はあかんだろ」
考えるのが面倒になったので、配慮を促す。
「それもそうだな。次からはそうするよ」
「んー、次は無いようにして欲しいんだよなー。もう俺から先生に言ってしまおうかこれ」
「なっ……!」
「今日一番の動揺を見せるな」
「これは親父の私物なので、先生に没収されると困る」
「その本が消失していることに気付いた親父さんも困ってそうだけれどな」
「いや、それはないぞ。ちゃんと一言断ってから借りてきた」
「親子で共有するな」
「ここは一つ、さらにこれをお前に貸すことで共犯にするというのはどうだろう?」
「いや、遠慮する」
「……なんで?」
「心底理解できない顔されても困るんだよなぁ」
「もっとハードな内容じゃないとダメなやつか?」
「俺の性癖を勝手に歪めるな」
そんなことを話しているうちに休み時間が終わったので、解散して席に戻った。とても消化不良だった。
◆◆◇◇◆◆
――始まりはこんなモノだった。
席について、日本史の授業を受けながらふと思った。アレは断崖ではないな、と。
パーソナルスペースへの立ち入りに対して、天木は一切の拒絶を示さなかったのだ。
あまつさえ、アレは『心配』と『共有』の姿勢を見せた。
天木という人柄に対する情報を更新する。
アレは断崖ではなく木に近いと、そう思った。決して動くことなく悠然と立ち、寄るものを拒むことのない在り方。ただ、それはあまりにも不動で、立つことに誰かを必要としていないように見えて、それ故に誰も必要としないように見えてしまう。
あまり見ないタイプだ。
個であることに負い目がなく、それでいて個であることに執着がないタイプ。近づかれたら意識には入るし、意識内で何かされれば気にもする。話し掛けられれば答えるし、自分の言葉も伝える。
けれど、そもそも話し掛けられることを前提としていない。それが壁のように感じ取れる。だからこそ、それを知らないクラスメイト達はこいつに話し掛けようとしない。
――少し、勿体無いように感じた。
◆◆◇◇◆◆
「昼メシ、一緒に食おうぜ」
翌日の昼休み、弁当箱と本を取り出している天木の前の席を陣取り、天木の机の半分を自分のスペースとして強引にもらい、そこにコンビニで買った惣菜パンなどが入った袋を置く。
「…………」
天木は気持ち驚いているのか、その死んだ目を若干見開いてこちらを見ていた。
そして少しばかり瞬きをしたかと思うと、得心が行ったかのように頷き、机の横に掛けている鞄から一冊の本を取り出す。
『××××××の×××××、昼下がりの××』
ほぼ伏せ字が必要になるタイトルだった。
「玖島が満足できそうな本を親父に借りてきた」
「ブン殴るぞ」
俺は即座にその本を天木の鞄に叩き戻す。
「昨日のが不満で、もっとすごいやつを借りにきたんじゃないのか? 放課後に渡そうと思っていたけれど、昼休みに受け取りに来るなんてせっかちだなぁと」
「これ名誉毀損で訴えたら勝てるよな?」
「冗談だよ冗談」
「実際に持って来て本人に差し出しているんだよなぁ!」
「自分用だよ。差し出したのはノリだ」
「昨日、学校で取り出すのやめろって言ったよな?」
「……すまん、こっちのブックカバーは素で忘れていた」
「そういう問題かなー? そういう問題かー」
見ると、机の上に置かれた本はブックカバーがかけられている。一応、こちらの言葉通りに配慮はしていたようだ。
本は文庫より大きく、厚い。なんとなく手に取り開く。
『反脆弱性[上]』
……配慮の方向性を間違っていませんかねぇ。
著者を見て、あー、『ブラック・スワン』の人か。などと考えつつもとりあえず本は閉じる。
「本は関係ない。最初に言っただろ。一緒にメシ食おうぜ」
「そうか。まぁわかった」
昼食を一緒に取ること自体には、特に抵抗せずに頷いた。
「メシは一人で食う派だったりするか?」
手を合わせて、いただきますと言ってから箸に手をつけた天木に問い掛ける。
「いや、そういうのは特に決めてないな。誘われりゃ一緒に食べるけれど、そうでないなら一人。みたいな感じだ」
食べる順番は決まっているのか、ヘタが取られたプチトマトを箸で挟みながら、天木は答える。
「友達いないのか?」
「あー、そういやここではまだ一人もいないな」
なんでことのないように答えながら、プチトマトを口に運んで咀嚼する。
「同じ中学だったやつとかいないのか?」
天木みたいに積極性がないやつは、そういう些細な共通点があるやつと一緒に集まったりするものだ。
「どうだろ。探せばいるかもしれんが、とりあえず知っている奴はいないな。俺んところの学区からはまぁまぁ遠いしな」
「ほーん、どこよ?」
そう尋ねると、場所を端的に言われる。
「あー、実際遠いな。電車必須じゃねーか。なんでわざわざこっちに進学したんだ?」
「偏差値の都合かな。俺が頑張って入れる偏差値で、通学できる範囲内ってーと、ここだったんだよ。将来的にはとりあえず大卒でそこそこのところに就職を目標にして、その際にどこの大学からかってのを気にした方が良さそうだから、そういうところに少しでも入りやすそうな高校にしたかったわけだ」
自分の中で考えが纏まっていた部分なのだろう。淀みなく述べられる。
「へぇ、意外と考えているんだな」
「意外って言葉が使われるほど俺たち話してなくね?」
「第一印象だよ」
「なるほど」
納得しやがった。
「で、そういう玖島も友達がいないのか?」
「いるわっ。昨日だって男女仲良くスイパラに行ってきたところだよ」
「へぇ、青春エンジョイしているんだな」
死んだ目で言われると心なしか見下されているようにも感じるが、こいつの場合は皮肉とかではなく、マジで目が死んでいるだけっぽいんだよな。
「それで、そんな玖島はどうして俺と昼ご飯を共にしているんだ?」
「罰ゲームだよ」
「おいマジかよなにそれ泣きそう」
「……冗談だよ」
声のトーンが半分ほど下がっているあたり、マジでへこんでいる可能性があるなこれ。冗談でも言ってはいけないことだったと反省する。
「まー、新規開拓ってやつだ」
「性癖の?」
「友達のだよ」
「ほう、誰を狙っているんだ?」
「おめーだよ」
「……奇特なやつだな。まぁいいか。それじゃあ親友、この唐揚げいるか?」
「距離の詰め方雑過ぎるだろお前……」
気持ちテンションが上がっているように見える天木は、俺の総菜パンの上に唐揚げを置いた。
◆◆◇◇◆◆
そんな感じで昼食を共にする日々が続き、気付けば天木と俺はセットで扱われるような間柄になっていた。
放課後になれば俺の家に寄って頭の悪い会話を楽しむこともあるし、休日も極めて低確率ではあるが誘いに乗って興行場へ赴くこともあった。
その際、何故か天木の妹がついてきたこともある。
天木の妹は中学生なのだが、なんというか自身の幼い部分と成長途中の雰囲気を上手く混ぜ合わせている感じがあり、強かな印象を感じた。また、目は死んでおらず――むしろ目は大きく、顔立ちも整っており将来は美人になりそうな容姿だった。というか、現時点でも美少女と言っても差し支えなく、年齢が守備範囲ならば声掛け事案が発生しそう。
そんな天木妹には何故か目の敵にされているようだったが、クレープを奢ると素直に喜んでいた。
――ちょろい。
妹を買収したら兄がこちらを睨んできたので、そっちにはソフトクリームを奢ったところ素直に喜んだ。
――兄妹揃ってちょろくて、なんだか不安になった。
◆◆◇◇◆◆
趣味が合うかと言えば、そこまで合致しているわけでもない。
とはいえ、嗜好が似ているのだ。思考に近しいものがあったのだ。
そのため、不思議と天木との会話は面白いものだった。
打てば響くかのように、お互いに深く考えずに思い付きで会話をすることも多々あった。
――そうして一年が過ぎ、二学年へと進級した。同じクラスになり、お互いに笑った。
二学年となって少しばかり経過したある日の昼食時、天木がふと、こんなことを言い出した。
「最近、デイライトに見られている気がする」
スノウ=デイライトと言えば、俺たちが通う学校で数少ない異質な人間だ。
金髪碧眼の美少女。高嶺の花という言葉が似合う存在。
そんなデイライトさんに見られているなどと、自意識過剰も甚だしいことを天木が言い出したことに、俺は少しばかり驚いていた。
――そしてふと思ったのだ、こいつは人を好きになるのだろうか? と。
一年ほどつるんで、天木秦という人となりを漠然とではあるが理解したつもりになっていたが、こいつが誰かを好きになるという姿が見えていなかったのだ。
そんなこいつがもしも誰かを好きになったとして、それが可愛い女の子に目を奪われたなどというありふれた理由だったとしたら、それはそれで面白いなと、そう思った。
◆◆◇◇◆◆
「そういえば言っていなかったけれど、夏休み前ぐらいにスノウに告白されて、今は付き合っています」
「………………はい?」
夏休みが明け、すでに暦上では秋を迎えていたとある日の昼休みのことだ。
天木はしれっと、そんなことを宣った。