139 来訪者2
大悪魔ネザーブラッド。それは邪神の眷族の中でも唯一名を名乗り、もっとも強力な悪魔である。
それがこの至近にあって、その場の空気が一気に張り詰めるのが分かった。
「お前が……? ネザーブラッド?」
「クククッ、ああそうさ。本当はもっとひっかき回してやろうと思ったんだがよぉ。こんなにすぐバレちゃしょうがねえなあ」
まったく惜しくも無さそうな声色である。
ネザーブラッドは一身に受ける敵意をむしろ心地良さそうに、ふわりと飛び退って俺たちから距離を取った。
そして着地と同時にその体がドロリと溶けたかと思うと、一瞬後には再び形を取り――
姿を現したのは、フェリシアの幽体の時のような半透明ではなく、赤紫の悪魔であった。
ブルーデビルと同じようなのっぺりとした体皮。体格は痩せぎすだが、身長は二メートル近く、長い手足とカギ爪、そして骨のような細い羽根を持っている。それは俺の想像の中にある悪魔と、そう遠くない見た目をしていた。
「ククッ、そんなにオレが怖ぇのかぁ? 気持ちの良ぃ感情だなぁ……お前たちはそうでなくちゃあ」
「ネザーブラッド、邪神の側近がこんなところに何の用だ」
全員の視線を浴びて嬉しそうに眼を細めるネザーブラッド。
俺が質問をぶつけると、奴はどこか面倒臭そうに肩を竦める。
「何の用? さっきの姿を見りゃあ分かんだろうがよ。クッククク……」
「さっきの……? お前、フェリシアに何かしたのか?」
「ハッ! 安心しろよ、殺したりなんかしてねぇぞ? ただ……オレの手の中にあるのは事実さ」
芝居がかった仕草で額に手を当て、ネザーブラッドは嫌悪を露わにする。
「主様を封印しやがった女ぁ……オレらの仇敵……。八つ裂きにして消滅させるなんて容易いが、容易い末路なんざ与えてやるかよ。あの女の目の前で、お前らを殺して、全員を殺して、テメェの存在は無駄だったって証明して絶望させてから殺すのさ。そうすりゃ主様もお喜びになるだろうよ」
最初不快げだった口調は、言葉を連ねるたびに上ずり始め、最後に邪神のことを口にして喜色へと変わる。ネザーブラッドは長い舌でベロリと口の周りのよだれをなめとり、嬉しげに笑みを浮かべた。
「だからよぉ、お前らを『招待』するためにわざわざオレが来てやったんだ」
「……その話を聞いて、俺たちがわざわざ迷宮に行くと思ってるのか?」
半ばハッタリ込みで、そう口にする。
実際のところは、迷宮に行かない限り事態を収めるのは難しいとは思う。
だが邪神の眷族たちの目的の一つが『フェリシアを絶望させたうえで消滅させること』であり、ヤツが『招待』と言った言葉通り準備が迷宮内で進められているのなら、正面からそれに乗せられる必要も無いだろう。
そうした意図で発した俺の言葉を受け、ネザーブラッドは拍子抜けしたように片眉を吊り上げた。
「なんだぁ? あの女を助けねぇのかよ」
「捕らわれたフェリシアを助けるために、全てを台無しにするわけにはいかないからな。フェリシアだって納得してくれるはずだ」
「ふーん、薄情だなぁ。……けど、お前は結局、封印の間まで来ることになるぜ?」
「どういうことだ」
俺の問いに、ヤツの口の端に嫌らしい笑みが浮かんだ。
「そもそも、お前らは詰んでんのサ。一度は白痴の神の力で主様を封印した。良かったなぁ、しばらく平和な時を過ごせてよ。我が主様もしばらく身動きが取れなくてそりゃあご立腹だったさ」
やはり芝居がかった様子で、ネザーブラッドが笑みを浮かべたり嘆き悲しむそぶりをみせる。
そしてバっと両手を広げるようにして、
「けど、それだけだ。主様は不滅の存在、そしてオレたちに寿命は無く、死んでも主様に何度でも復活してもらえる。長い年月? そりゃお前らの尺度での話サ。オレたちにとっちゃ暇だなあ、ってあくびをひとつ、そうすりゃもうお前らの術なんて擦り切れてゴミ以下だ」
嘲笑を浮かべながらそう言い、更に続ける。
「それじゃあ、お前らはどうするべきなんだろうなぁ……? 迷宮の外で白痴の神に力を借りる? だとして、それでどうなる? あの女が術を使った時でも封印にしかならなかった。もし同じだけの効果が得られたって……残るのは束の間の平和だけサ。しかもオレたちが何もしなくっても人間どもは勝手に争い、怒りや哀しみをたくさん生み出して、オレたちに力を与えてくれる。バカだよなぁ、人間は。実に愚かだ。実に下等だ。……だから、お前は封印の間まで来るしかないのサ。そこで白痴の神の力を、主様に直接ぶつけるしかもう術がない。そうすりゃ今まで以上の結果が得られる……かもしれない。その程度のか細い希望に縋るしかない。今のお前らはそういう状況なのサ」
興の乗った長口上に満足したのか、ネザーブラッドはそう言い切って最後に長い息を吐き出した。
正直なところ、ネザーブラッドの言った内容の大半は事実である。
封印された年月が邪神側にとってただの暇な時間でしかない、というのは向こうの言い分ではあるが、封印は確かに保留であって解決ではない。それに人間が相争って奴らの糧を勝手に生み出してしまうのもそうだ。
そして、俺たちが封印の間で直接コールゴッドを発動させなければならないことも。
だが一つ、間違った認識もある。
恐らく向こうは、力の宝珠二個分の上位魔力を用いた神召喚の威力を見誤っている。
俺たちへの侮りか、虚神への侮りかは分からないが、フェリシアの身柄が押さえられたと言うこの状況で、数少ないポジティブな情報だった。
フェリシアの想定したとおりなら、力の宝珠二個分の出力で、かつ術者二人分の魔法力でのコールゴッドなら、邪神を世界から追い出すことができる。
術者二人分はフェリシアが居ないなら満たせない条件だが、俺の生命を賭ければ問題は無いだろう。
であれば、実はこの邪神側からの『招待』は、逆にチャンスなのではないだろうか。
俺が一番危惧していたのは、俺の能力が関与しないところでの策略を仕掛けられることだった。
実際出所不明の噂を流されるのは結構ストレスだったしな。
だが、ヤツらはそれをやめ、わざわざこちらに出向いて迷宮の底まで招待してくれると言う。
もちろんそれで、絡め手の可能性が一切無くなるという訳ではない。
だが、俺との正面戦闘を行いながら、他に回せる手がどれくらいあるのだろうか。
と、俺はそこで一度周囲を見渡した。
全員から、頷きが返ってくる。
皆が俺と同じ考えでいてくれるのか。
それは分からなかったが、戦いに臨む意志は読み取れる。
ならばよし。
「なるほどな……確かにお前の言う通りかもしれない。けどいいのか? 迷宮の底に俺たちを呼び寄せるってことは、俺たちにその束の間の平和を得るチャンスを与えてくれるってことだろう?」
「なあに、気にしなくとも良い。おもてなしの準備は十分整ってるからな」
「そうかよ、じゃあ遠慮なく行かせてもらおう。後悔させてやる」
俺の攻撃的な言葉に、ネザーブラッドは上機嫌に肩を竦める。
馬鹿にした仕草にイライラさせられるが、結果的にヤツの『招待』を受け入れる形になった訳だからな。
油断してくれるならその方が良いし、下手な反論は我慢だ。
「素直で良いことだ。お前らもめかし込んで来てくれていいが……あまり待たせてくれるなよ? もう一度呼びにくることになっちまう」
「すぐにでも行くさ。首を長くしてまってやがれ」
準備の時間を制限する言葉にそう返すと、ネザーブラッドは鷹揚に頷き、
「それじゃ用件は済んだぜ、またな」
と言って、自身の影の中に飛び込むようにして去っていった。
静寂。
音も無く去った来訪者の気配を確かめるように、沈黙が下りる。
敵対者の侵入、その立ち振る舞い、フェリシアの拘束、迷宮への突入……。
各々の頭に渦巻いているのはいずれだろうか。
ほんの数分の会話だったが、得られた情報は数多い。
そして同時に、いきなり不利を背負うことになったこの状況に対しての、ネガティブな感情が胸の裡に湧いていることは想像に難くなかった。
「ふぅ……袚魔」
呟くようにして、その呪文を発動する。
ネザーブラッドが居た場所に光が発生して、もちろんそこにヤツの余韻があったわけではないが、少し部屋の中が明るくなったような気がした。
「旦那……何を」
「いや、なんとなく汚そうだなと思って」
ズーグの質問に冗談で返すと、面々からも小さな笑いが起こる。
「確かに、いやーな気配のヤツだったからねぇ。クリスも一発浄化に協力しといたらどうだい?」
「そ、そうですね。こびりついて取れなくなったら嫌ですし」
カトレアが冗談に乗っかってくるのは予想の範囲だったけど、クリスもとは驚いた。
だが、皆の張り詰めた空気がこれで緩んだのは事実。
これなら気負いせず次の話に進めるだろう。
「準備を始めよう」
俺がそう言うと、皆一様に力強い頷きを返してくれた。
続きを書くのに苦戦しています。。。
またエタってもしょうがないんで、最低隔週日曜の投稿は維持したいですが、あまり期待せず待っていただけると幸いです。





