第一回カレーうどんパーティ
「決まったのはいいが、どこから作るんだ?」
最初に口を開いたのは陽介だった。
「そんなの、小麦粉からに決まってるでしょ」
何を言ってるんだ、とキョトン顔の文子。
「えぇ! めんどくさっ! スーパーで買ってきた方が早いだろ!」
まあ吉田のうどんについて熱く語られた後のカレーうどんだもんな。粗方予想はついていたけども……。
「吉田のうどんでなきゃ意味が無いの! ほら早く作業に取り掛かって! 私はカレー作るから!」
「んなこと言われたってどういう風に作れば吉田のうどんになるか分かんないし」
極力そのルートは避けたい俺と陽介に文子は溜息をつきながらある方向を指差した。
「あそこにあるじゃない。文明の利器が」
指の方向にはノートPC。先生にお願いしろってか。
「お前は分からないのか?」
「私は食べる専門だからね! 知ったこっちゃないよ!」
なぜか誇らしげだった。
このままではこいつ、カレーうどんを食うまで一生うちに居続けるのではないかと感じた俺は渋々陽介と作り方について調べることにした。いわゆる大人の対応である。
「とりあえず『吉田のうどん 作り方』で検索だな」
「おう」
陽介に言われるがままに検索バーに打ち込む。
打ち込みが終わり、さてエンターキーを押そうとした時だった。
「……おい『yoshidanoudonn tukurikata』になってるぞ。ブラインドタッチくらい出来るようにしておけ」
「え、あぁすまんすまん……って、もっと早く言えよ! なんで打ち込み終わるまで放置したんだ! 必死こいてキーボードとにらめっこしてる俺は滑稽だったか!? そうだろう!?」
情報収集開始早々から仲違い勃発。先が思いやられる。
「お、レシピがある。こういうのが見たかったんだよ」
数分後、なぜだか知らないが俺と陽介は座る位置を交代し、陽介がパソコンに触り俺が材料を確保する分担に変わっていた。すごく腑に落ちない。
「ええと、今回は三人分だから小麦粉が九百グラム、水が――――」
着々と調べていく陽介は流石と言ったところだった。悔しいが作業能率が倍近く上がったと思う。
「――――よし、材料は全部家にあったな」
「そりゃそうだろ。小麦粉と塩と水だけだぞ」
台所のテーブルには小麦粉、分量分の水、塩が置かれていた。さてここからこねる作業に入るわけだが。
「じゃ、ダイヤ頼んだぞ」
そっけなくパソコンを閉じる陽介に全力でツッコミを入れる。
「は!? なんで俺が!」
「いや、調べたの俺だし」
「俺だって調べられたわ! お前がその位置を強奪したんだろうが!」
「まあ別に俺がやってもいいんだけどさ」
そう言うと陽介はおもむろにカバンから筆記用具と問題集を取り出す。
「な、何の真似だ」
「俺はこれから明日提出の課題をやる。仕方ないから見せてやってもいいが、その代わりお前はうどんこねてろ」
「なっ……!」
こいつ、俺と取引をしようってのか。ふふふ、だが忘れてはいないか陽介よ。こっちは常にジョーカーを持っているということを。
「おい陽介、それで対等になったつもりか? こっちにはお前と学校で喋ってあげないという魔の取引が――」
「大哉、うどんこねなさい」
文子は俺たちには背を向け、一人カレーを作りながら即答した。
「えええええええええええええ!?」
「ここは私たちが上に出ても得はしないよ。だからうどんこねて」
「ちっくしょう……『うどんこねて』っていう言葉が馬鹿にされてるような気がしてならない……」
「ほら早く。中学の頃剣道部だったろ? 『メーン!』ってな感じにこねてくれよ」
「どんな感じだよ馬鹿にしてんのか! 分かったよ普通にこねるよ畜生!」
俺ってこんな立ち位置だったっけか? そんなにイジられるような性格では無い気がするんだけど。大丈夫、気にしない方が良い。気のせいだ。
そう自分に言い聞かせると俺は渋々うどん作りに取り掛かった。
「――ふんっ! ふっ! とりゃっ! せいっ!」
気合いを入れてこねる。こねる。こねる。
パソコンで見たがこねればこねるほど麺が固くなり美味しくなるそうだ。
「へへ、あいつらが土下座して俺に謝ってくるのが目に浮かぶぜ」
そう考えるとこねる手にも一層力が入る。こうやって体重を乗せて――
「うりゃぁぁっ!」
「ダイヤうるさい」
「大哉、陽介が勉強に集中出来ないって。静かにして」
「こ、こいつら……」
とことん肩身の狭い俺だった。
その後、俺は二人から塩の分量を間違えたうどんを散々に言われながらも完成したカレーうどんに舌鼓を打った。俺のうどんはともかくとして、文子の作ったカレールーはまさに絶品で、うどんに合うよう見事に和風っぽくアレンジされていた。麺つゆでも入れたのかな。今度自分で作ってみたいので聞いてみよう。
後片づけに関しては、無駄に面倒見の良い文子が全てやってくれた。微妙に申し訳ない気分になったが、「おばさんに誓ったからね!」とわけの分からない使命感の下にせっせと動いてくれた。ありがとうございます。
そんなこんなで現在は陽介の課題を拝借して勉強している。うん、勉強。
「――で、こう書いて……よっし終わったー!」
「頑張り過ぎて指疲れちゃったよー」
「そりゃあ写してるだけじゃあ疲れるに決まってる」
軽くツッコみを入れる陽介だが内心少し楽しんでいるように見えなくも無い。
「さて、やることやったし、私たちはそろそろ帰りますかねー」
「そうだな。時間も時間だし」
思いのほかこの時間が楽しかったのか、気付けば時刻は九時を過ぎていた。
帰り支度を済ませ、玄関で靴を履く二人を見送る。
「……送ってこうか?」
自分自身思ってもみないことを言ってしまったと思った。今更心配することではないし、きっと満腹で思考が緩かったんだと思う。それとさっきの勉強で疲れてたのかもしれない。うん、勉強で。
おそらく向こうもこんなこと言われるとは思っていなかったようで、文子は目を丸くしていた。
「え? 私に言ってんの? なんで急に?」
「いや、もう完全に夜だし、なんか女子一人が歩くには物騒かなーって」
すると目を丸くしていた文子は吹き出しながら言った。
「ぷっ……今更何言ってるんだよー! まぁ確かに陽介とは真反対の帰り道だけど、五分も歩けば着いちゃうから心配ないって! それと近所の人は知り合いばっかりだし、もしもの時は適当に叫べば助けてくれるさ!」
「そ、そうだよな。何言ってんだろうな俺」
飄々と答える文子に気が抜けた俺は得も言われぬ杞憂を取り払った。
なお、これはフラグでもなんでも無く、その後文子はごくごく普通に家に到着した。『とうちゃ~く! 五分ぴったしでしょ?』みたいな感じのメールが来て吹き出してしまった。
「それじゃ、また明日朝来るねー」
「八時ぴったしな、陽介もちゃんと交差点にいろよー」
「もちろんだ。今更何を言っている」
こうして、第一回カレーうどんパーティ(今考えた)は他愛もない会話で幕を閉じたのだった。
今のひと時は素直に楽しかった。時間を忘れるほど何かに没頭したのは久しぶりだった。
中学生の頃、俺は剣道部に所属していた。小学校からの友人たちが中学でも続けるというので俺もとりあえず入部をしてみたのだ。小学校の頃は適当にやっていたが、中学に入るとみんな割と本気で部活に明け暮れていたので俺もその流れで気合いを入れて頑張っていたと思う。その甲斐あってか県の中では結構強い感じに見られていたような。ただの自意識過剰かもしれないけど。
要は、俺はその時以来時間を気にせず何かに没頭したことが無かった。高校に入っても剣道は続けようと思っていたが部活が坊主強制ということに抵抗があり、入部は断念した。文子や陽介からは非難轟々だったけれど俺には結構重要だったんだよ。だって今まであった髪の毛がごっそり無くなるんだぞ? 恐怖以外の何物でもないじゃないか。第一、髪の毛が無くなったところで強くなれるなんて決まっているわけじゃないし。
そういった過程があって現在俺はどの部活に入ろうか決めていない。自分でも分かる。俺の唯一の取り柄であり趣味でもあった剣道をしなくなったことは、必然的に俺を慢性的な無気力状態に陥らせた。この学校は部活動に入部が強制となっているため、何かしらの部活に入らなければならないのだがいかんせん気が重い。
「期間は四月いっぱいだっけか。めんどくさいなぁ……」
湯船に浸かりながらそんなことを考える。
「ま、その時考えればいいか」
そう適当に自己解決すると勢いよく風呂から上がる。高校生の朝は早い。もう寝ておかないと明日に響く。さっさと布団に入ろう。
そうして風呂から出た俺は軽くのぼせた体に鞭を打ちながら自分の部屋に戻り、明日の時間割を確認して床に着いた。
家の中は唯一動いていた俺が布団に入ったため驚くほど静かである。こんなことはもう幾度となく経験しているが、母さんが出張でいなくなってからの初日は未だに慣れない。自宅にいながらにしてのホームシックといったところか。
そう考えると寝つきが悪くなってしまうものだがこの日はそうでもなかった。おそらく文子や陽介とのやりとりが楽しかったことからの反動で疲労が溜まっているのだろう。
俺は静かに夢の世界へと沈んでいった。
これからおそらく、人生で一番疲れる夜が始まるとも知らずに。




