エピローグ
柏木は十七年前から欠かさず訪れている勝部家の墓に事件が解決したことを報告する為に訪れた。先客がいたようで沢村夫妻が並んで手を合わせている。こちらに気がついたのか立ち上がると頭を下げてきたので柏木も会釈した。
「ご無沙汰しております」
「お久し振りです、柏木さん。さっき芦田さんもお越しになってたんですよ」
「そうでしたか」
「こんなふうにいつもお参りしていただいてありがとうございます」
「いえ、御迷惑でなければ良いのですが」
「迷惑だなんて……」
こちらが手を合わせる間、夫妻は柏木の横で黙って佇んでいた。
「そう言えば、捺都が柏木さんのことを思い出したって言ってましたけれど」
「断片的なことだけのようですが」
立ち上がった時、沢村夫人が記憶のことを尋ねてきた。
「そうですか。失くした記憶の中に少しでも本人にとって嬉しいことが含まれていて安心しました。あの事件の後、私達が引き取るまでにも随分と辛い目に遭っていたようですから」
「それは一体?」
「捺都の記憶は七歳の頃、つまり私達の家に来た時からの記憶しかないんです。事件後の二年間の記憶も全く無くて……」
「あの後、確か山形の親戚の家に引き取られたと聞いていましたが」
まだ声を出すことが出来ないままの捺都が山形の親戚の家に引き取られると話してくれたのは、確かここのお嬢さんだったと記憶している。引き取りたいという沢村夫妻とは色々ともめたようだが、最終的に全く違う土地での方が捺都の心の傷も早く癒えるだろうとのことでそちらへと引き取られることが決まった筈だ。だから柏木もその二年間、捺都がどうしていたかは知らない。
「私達が知っているのは、山形に行った時に娘の葉月にしがみついて離れようとしなかった捺都だけです。それで連れて帰る決心をしたんですけれどね」
沢村夫妻はその直後、何か思い出すようなら知らせるつもりで捺都を連れて戻ったことを芦田と柏木に密かに知らせてきた。そして二人の刑事は十五年もの間、捜査の継続と称して彼女を見守ることとなったのだ。
「あの子は……このまま兄達のことを思い出せないままなんでしょうか……」
「それは私にも分かりません」
こればかりは本人次第で何とも言えないというのが医師の見解だった。彼女が中学校に上がる直前に我々と夫妻は一度だけ記憶を引き出そうと試みたことがあるのだが、その時の彼女の錯乱ぶりを目の当たりにしてに無理に引き出すべきではないと判断し今に至っている。
「捺都を、よろしく頼みますね、柏木さん」
「は……」
「事件が起きた後、一番最初に捺都が心を開いたのは貴方ですから」
「今まで通り、出来る限りのことはするつもりです」
その言葉に安心したかのように笑みを浮かべる沢村夫妻。
「できたらお嫁さんに貰ってくれると有難いんですけど……ほんとにそっちの方面には疎いと言うか興味を持たないと言うか……困った子だわ」
「いや、それは……」
ここ数年言われていることで夫妻の冗談だろうとずっと聞き流していたのだが、こうも何度も言われると本気なのか?と首を傾げたくなる柏木だった。
こちらがいつまでも独身でいるのが悪いのだろうなかと心の中で溜め息をつく。とは言うものの、先日の騒動で彼女を病院に連れていき暫く付き添っていた時に彼の中で妙な独占欲がわいたのも事実だ。これは些か厄介なことではないだろうか。
「いつかここに、捺都を連れてくることが出来れば良いんですけれど……」
そう言って沢村夫人は勝部家の墓石にそっと手を触れた。