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第十九話 対立の序曲

 一、将軍の書状には、必ず信長の添状を付けること。

 一、過去における将軍の命令はすべて無効とすること。

 一、天下のことを信長に委ねた以上は信長の意向の通りに政治を行うこと。


 書状を読んでいるうちに、義昭は指先が震えるのを抑えられなかった。翌永禄十三(1570)年正月、信長からのそれは将軍の誇りをズタズタにするには充分なものだった。


最後の、朝廷を敬い、この権威に服することというくだりはまだ納得できた。実質的な力がないとはいえ、天皇家がこの国における権威の頂点であることは連綿と受け継がれた伝統ではあるからだ。


 だが、それ以外はまったくといっていいほど噴飯物だった。側に細川藤孝が控えていなかったら、怒りにまかせて書状を破り捨てていただろう。


なんのことはない、信長は自分に傀儡かいらいとしておとなしく従っていろと露骨に干渉してきたのだ。結局義昭は、この5ヶ条の条書をしぶしぶ承知した。穏やかでいられるわけがない。

 

 思えば歴代の足利将軍は、力ある臣によってどれだけその人生を翻弄されてきたか知れない。父・義晴は三好・松永の軍に京から追い出され、近江で空しく没した。兄・義輝は姦雄松永久秀に謀られて殺された。


そして三好三人衆に担がれた従兄弟義栄も、信長が上洛すると力を失った三人衆と共に阿波へ逃れ一度も京へ入らぬまま病で恨みを飲んだまま亡くなった。


そう、彼らは皆将軍という権威を散々利用された末に非業の死を遂げた。自分もそうなるのか。


 朝廷は困るまい。天皇はもちろん、主だった公家が信長にすっかり手なづけられてしまったことは聞き及んでいる。金品を贈られ、収入源である年貢を取り立てるための先祖伝来の土地を取り戻せるよう働きかけてもらったりもしている。


信長は欲で物の見事に朝廷を己の意のままにしてしまった。


 庶民は更に正直だろう。将軍家がだらしがなかったために、都の人々がその時々の為政者による重税に苦しめられたことは恨みにすらなっていよう。


むしろ、将軍家などいらぬとさえ思っているはずだ。操り人形であるようにと言い放った信長にしてみれば、あるいはそれがせめてもの慈悲であるのかもしれない。



 (慈悲……慈悲…だと…)



 ふざけるなと床を力まかせに叩いた。平伏していた藤孝が、恐る恐る頭を上げかけていた。信長のゴリ押しに負けて、このまま引き下がれというのか。


己の無力さを自嘲しながら、この先の人生を生きていけというのか。


 嫌だ。父や兄、空しく倒れていった者たちのことを思い浮かべながら義昭はゆっくりと唇を噛み締めた。



 「藤孝、越前の朝倉に書状じゃ。いや、浅井にも……。上杉、武田、とにかくこれはという武将に書状を出す。急げ!」



 信長は、将軍の権威を真っ向から否定した。それならば見せてやろう。彼が一笑に付したものが、どれだけの力を持っているかを。


この瞬間より、将軍義昭は策謀の人として暗躍することとなる。

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