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動き出す

 灰色のフード姿。

 正確には灰色の修道士のような外套に取付けられたフードを深々と被っている。

 この世界であれば誰でも気軽に着用していそうな、何の代わり映えのない姿形であるはずなのに、私には一眼で分かった。

 スバルをいつも命の危機に晒す、あの謎のフードの男であると。

 フィールドを挟んだ向かいの観覧席である事を差し引いても、遠目だけではなくその人物の顔は見ることは叶わない。

 目深に被ったフードが影になり、口の形でさえ定かでない。

 そんな男の存在に、誰も気付かない。

 観覧席にはそれぞれに重要な役職につく貴族達で溢れている。もちろんその周囲を護衛する者たちも。

 それなのに、誰もフードの男を気にする様子もない。そしてフードの男もそれを当然と思うかのように、周囲を自然な速度でかい潜って行く。

 そして、男は観覧席から離れ、奥に続く階段へと姿を消した。

 奥の階段は、フィールド・出入り口・そして選手控え室等、様々な場所に繋がっている。

 選手控え室。

 それに思い当たった瞬間、私は立ち上がっていた。


「アンジェリカ?」


 アイリスとレオンが不思議そうに私の名前を呼んだが、私は返事もせず走り出していた。


「アンジェリカ!?」

「アイリスはここにいなさい。私が行こう」


 後ろのやりとりに気を配る事さえせず、私は一番身近の奥階段に飛び込んだ。

 この円形のコロシアム形状になったグランドと観覧席は、すべての通路が繋がっており、どの奥階段から通路に出ても目的地には辿り着くようになっている。

 私が向かっているのは選手控え室だった。

 フードの男がどこへ行こうとしているのか分からない。もしかしたらこれからただ帰るだけかもしれない。

けれど、もしスバルに会いに行こうとしていたら?


(なんで!? ゲームにフードの男が現れるイベントなんてなかった! 初めて会うのは神殿のはずなのになんで!?)


 赤い血で画面が滲み、BADENDの表示が脳裏で警告のように瞬いて見える。

 男がどこへ行こうとしているのか分からない今、私にできるのはスバルがいるであろう控え室に行って、彼の身を守る事だけだ。

 サポートキャラである私には、それなりの魔法が最初から使えるよう備わっている。

 フードの男からスバルを逃す時間稼ぎくらいはできるはずだ。

 控え室は地下にある。階段を3つ4つ飛ばすようにして駆け下りて、ようやく控え室のある通路にまで辿り付いた。

 全力疾走に肺が悲鳴をあげて、口からはゼイゼイと激しい呼吸が吐き出される。まともに詠唱出来るか少し不安になるほどだった。

 けれど一番大きな問題は、スバルの控え室がどこにあるのか知らない事だ。

 観覧席はともかく、控え室なんてそんなに長くいる場所でもないしと、正確な場所を確認してなかったのだ。


(本当にバカ! 爪が甘いのよ!)


 自分を罵倒してみても状況は何も変わらない。

 控え室が並ぶ通路は人がいるのか不安になる程静まり返っている。スバルを呼びかけるか迷う。もしかしたら、それがフードの男の耳に届くかもしれない。


(どうしよう……)


 行動を選択できず立ち尽くしていた時、扉の開く音にハッとした。

 音がした方角に振り向けば、遠くの十字になった通路を横切ろうとする生徒の姿が見えた。

 生徒にスバルの場所を聞けば良いんだ。

 そう思って走り出した瞬間、私はぎくりとして足を止めた。

 その生徒はウィンディアナ嬢の取り巻きの一人であり、スバルを叩きのめすと宣言したオッドウェルその人だったからだ。


(オッドウェル。一回戦が終わって勝ち進んだのね)


 選手控え室は試合に勝ち進んだ選手が、次の試合の書類手続きをするために一時的に通される。さっきアルが観覧席に戻ってくるまでに時間がかかったのも、ここで手続き作業を行っていたからだ。

 だからオッドウェルがこの控え室にいるということは、初戦を勝ち進んだということなのだ。

 スバルの2回戦の相手をこんなところで知りたくはなかったけれど仕方がない。

 けれど私が足を止めた大きな原因は、オッドウェルが浮かべる陰鬱な目付きだった。

 勝利したにも関わらず、オッドウェルの目は据わり切っていて、どこに視線を向けているのか分からない。


(様子が変……)


 もう少し近付いて様子を見た方が良いかもしれない。

 フードの男とオッドウェル。スバルにとって危険な男が2人もいるのなら、その危険は出来るだけ取り除きたい。

 オッドウェルが交差した通路を渡って、姿が見えなくなってしまいそうになる。

 慌ててその姿を見逃さない為に走って距離を詰めようとする。その時。

 オッドウェルの左の手の甲に小さな紫の光が煌めいた。


「紫の、光?」


 ドッと心臓が鳴り響く。

 紫の光。小さな輝き。宝石のような煌めき。

 それはまさか、もしかしたら。


「バイオレット・キーライン……?」


 今までの様々な事件にいつも存在してきた不吉の宝石。憎しみの言葉を付与された稀少なる石。


 先日神官が一人殺された。

 現場にはバイオレット・キーラインが落ちていた。

 スバルの護衛騎士が殺害された時にもその石が。


 脳裏にレオンの言葉が木霊のように鳴り響く。

 それがオッドウェルの手の甲に—————?

 見間違いならそれで良い。私が絡まれて終わりだ。

 けれど、もしも、もしもウィンディアナ嬢のうなじにあった物と同じ、バイオレット・キーラインがオッドウェルに取り付いていたならば。


(次の対戦相手はスバルなのよ!?)


 気温が1、2度下がったような、ゾッとするような寒気を感じた。

 すぐさま確かめなければならない。

 駆ける足に力を込めて、十字路に差し掛かった瞬間、私の体は誰かとぶつかって跳ね飛ばされていた。


「うあっ!」


 全速力でぶつかったのだ。私の体は受け身をほぼ取ることなく、冷たい通路の床に投げ出された。

 急に目の前に現れた床に意識が持って行かれたが、すぐに我に返る。


「す、すみません、よそ見をしていて……!」


 ぶつかった相手に謝罪をする為相手を振り仰ぎ、私は言葉を詰まらせた。




【読者の皆様へ】

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