表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/47

番外編3-3



「お嬢さんに、見せたいものがあるんです」


 唐突にレナの部屋を訪れたアランは、そう言ってレナに一緒に庭園へ来て欲しいと告げた。


 外に出るのは気が引けたが、久しぶりに会いに来てくれたアランを冷たくあしらいたくなかった。レナはこくりと頷くと、大人しくアランに従い部屋を出た。


 アランに連れられて着いた場所は、いつもレナが窓から覗いているアランの畑だった。

 遠くからはずいぶん狭く見えていたが、こうして実際に足を運んでみるとレナの寝室ほどの広さがあった。


 畑に植えられた植物たちのおかげか、吹き過ぎていく風に爽やかで彩り豊かな香りが混じり、ぽかぽかとした日光の効果もあってなんとも居心地が良かった。


(素敵な場所……。どの植物も、皆活き活きとして輝いているようだわ)


 それがすべてアラン一人の手によって作り上げられたものだと思うと、レナは一層感動を覚えた。


 自分の畑を興味深そうに見回すレナの姿に、アランはほっと胸を撫で下ろした。

 少し強引だったが、やはりこうしてレナを外に連れ出してみて良かった。彼女には、薄暗い室内よりも、明るい日差しと温かな風が吹く、外の世界が良く似合う。草花に囲まれて、瞳を輝かせている姿の方が、ずっとずっと美しい。


 アランはレナを畑の一角に連れて行った。

 そこには根が麻布に包まれたままの小さな苗木が土の上に置かれていた。


「この間、初めてお給金を頂いたんです。今でも見習いって事には変わりないですけど……それでも、自分の仕事を認めてもらえたみたいで嬉しかった。自分がまっとうに働いてお金を稼ぐことが出来るなんて、少し前だったら考えられなかったから。今俺がこうしていられるのは、全部お嬢さんのおかげです。お嬢さんがあの日俺を助けてくれたから――。言葉なんかじゃ足りないくらい、感謝しています。あの時俺を助けてくれて、本当にありがとうございました」


 きっちりと腰を折り、低く頭を下げるアラン。

 レナは唐突に述べられた謝辞に驚きながら、アランの肩に手を添えてそっと頭を上げさせた。


 不安そうに顔を上げたアランの瞳が、柔らかく細められたレナの瞳を捉える。

 レナは慈愛に満ちた表情で、ゆるゆると首を振った。


『お礼なんていいのよ。あなたが今こうして元気に生きていてくれて良かった』


 言葉なんて無くても解る。

 自分に向けられたレナの愛情が嬉しくて、アランは急速に瞼が熱を帯びていくのを感じた。


(ああ、俺はこの方に拾われて本当に良かった――)


 心の底から、そう思った。

 自分がここに居ることをなんの衒いもなく喜んでくれる人。そんな人に出会えたのは初めてだった。生きていてもいいのだと存在を許されているような気がした。


 アランはこみ上げてくる涙をぐっとこらえると、誤魔化すように足元の苗木を再度示した。


「初めてお給金をもらって、もったいなくてすぐには使えなくて――それで考えたんです。今一番欲しいものは何だろうって」


(――それで、苗木?)


 レナは不思議に思いながら、アランに倣って小さな苗木を見下ろした。


 何の植物の苗かはわからないが、初めてもらった園丁見習いの給金などごくわずかなはずだ。おそらく苗木一本買えばほとんど残らないのではないだろうか。

 そうまでして苗木を買ったアランは、本当に植物を育てることに夢中なのだと思うとなんだか微笑ましかった。


「これ――桜の苗木なんです」


 アランの言葉を聞いた途端、レナははっと顔を上げた。


「――と、言いたいところなんですけど。バーグさんに見てもらったら、杏みたいなんです、これ。でも、市のおじさんは確かに『桜だ』って言ったんです……。俺も、ちゃんと説明したはずなんですけど……」


 口を尖らせて不服そうに言葉を濁してから、アランはレナが驚いて目を丸くしていることに気が付いて慌てて弁明した。


「でも、桜ととてもよく似た花が咲くんだそうです! お嬢さん、前に好きな花は桜だっておっしゃっていたから――だからお嬢さんが桜を見たら、また笑ってくれるかなって、そう思って――。それなのに……」


 桜でないことに落胆しきっている様子のアラン。

 初めてもらった給金を大事に抱えて市へ行き、桜だと信じて苗木を買ってきたのに、喜び勇んで家に帰れば桜ではなく杏だと知らされたのだ。幼いアランはどれほどがっかりしたことだろう。


 桜は入手が困難だと聞かされていた。母の桜も、父が特別に取り寄せたものだったと。

 そのことを教えておいてやればよかったとレナは密かに後悔した。


(だけど……まさかアランが、わたしのために桜を買ってくれようとするなんて、思ってもみなかったから……)


 レナはがっくりと肩を落としてうなだれているアランの背中を撫でてやる。

 初めての給金という尊いものを、自分などのために潔く使い切り、その上偽者を掴まされてしまったと落ち込むアランを可哀想だと思う反面、いかにも子供らしく、無邪気で、愛しいと思った。


『ありがとう』


 思わず唇を動かして、音のない空気を吐き出す。

 レナはこの時初めて、自分が声を失ったことを哀しいと思った。


 こんなにも純粋な善意に、感謝を伝えることすらできないなんて。

 心の底から言葉を以て何かを伝えたいと思ったのは、本当に久しぶりのことだった。


 わずかに動いたレナの唇を見て、アランは何かを察した風ににこりと微笑んだ。


「『ありがとう』って言って下さってるんですよね。言葉にしなくてもわかります。お嬢さんの――その笑顔を見れば」


 言われて初めて、レナは自分が微笑んでいることに気が付いた。思わず自分の顔に触れて、表情を確かめる。


(笑っている……? わたし、笑えているの……?)


 理解した瞬間、表情と一緒に、硬く凝り固まっていた心までほぐれていくような気がした。


 目の前で、にこにこと嬉しそうにこちらを見つめている少年を見つめ返す。

 心の底から嬉しそうなその笑顔に、レナはじんわりと心が温かくなっていくのを感じた。

 嬉しいのは自分の方なのに。どうしてアランの方が、こんなにも嬉しそうな顔をしているのだろう。


(アランは優しい。いつだって、どんな時も、わたしの気持ちに寄り添って、そっと背中を撫でるみたいに、わたしに安らぎを与えてくれる……)


 アランの満面の笑みを見つめながら、しかしレナはすぐに罪悪感を覚えた。

 せっかくの給金を、苗木のために使いきってしまったのではあまりにも申し訳ない。靴でもシャツでも、必要なものはいくらでもあったはずだ。自分のものを買うことだって出来たはずなのに。


 居たたまれないような表情になったレナを見て、アランもすぐにその意志を察した。


「いいんです! 言ったでしょう? 今一番欲しいものは何だろうって、ちゃんと考えたって。……俺、金で買いたいものは特にないですから」


 言葉の最後が尻すぼみで、よく聞き取れなかった。レナがもう一度言ってと促すように見つめたが、アランは曖昧に笑って誤魔化してしまった。


(俺が欲しいのは、お嬢さんの笑顔です。また前みたいに、元気に笑った顔が見たいんです――)


 恥ずかしそうに頬を掻くアラン。その邪気のない笑顔が、温かな灯火となって暗闇に沈んでいたレナの心の中をそっと照らしてくれる。


 眩しすぎず、熱すぎず、決して押し付けがましくなくて、さりげなくそこにある灯り。小さな灯りなのに、ほんわりと心を包み込むような、不思議な深さを持っている。


 いつもごく自然に傍に在り、静かに存在しながら、当たり前のように優しい安らぎを与えてくれる――それがレナにとってのアランという存在だった。


『あなたは、花みたいね』


 ゆっくりと唇を動かして、言葉にしてみる。声にはならなかったが、アランはちゃんと、聞き取ってくれた。


「俺が――花?」


 驚いたのか、素っ頓狂な声で繰り返すアランを見て、レナは思わず吹き出した。


「そんなこと、初めて言われました……」


 アランはぱちくりと瞬いてから、ふと頭上を仰ぐと、眩しそうに目を眇めながら蒼天に輝く光を指差した。


「俺が花だって言うんなら――お嬢さんはお日様です。花を生かして、輝かせる。お日様がずっと曇っていたら、綺麗な花を咲かせることは出来ない。花はやがて枯れてしまう。だから、早く元気になってくださいね。お嬢さんの元気が、俺にとっての元気の源。生きる意味で、絶対に必要な存在なんです」


 レナは優しく窺うように自分の顔を覗きこんでくる少年の瞳を見つめ返した。


 アランの紡ぐ言葉は一つ一つどれもとても優しくて、心の中にすんなり吸い込まれて沈んでいく。


『この苗木、一緒に植えましょう』


 ゆっくりと唇を動かせば、アランはちゃんと理解してくれる。焦らずに気持ちを伝えれば、ちゃんと相手には伝わるのだと、アランがこうして教えてくれる。

 案の定、唇を読んだアランが嬉しそうに頷く。


「でも――これ、お嬢さんの好きな桜じゃないんですよ……?」


 この様子だと、きっと次に給金をもらった時にまた桜の苗木を買ってくるつもりだったに違いない。

 そんな必要はないのにと、レナは柔らかく首を振った。


『これが良いの。わたしたちにとっての桜は、これが良い――』


「お嬢さん……」


 泣きそうな顔でレナを見つめるアランだったが、ふと思い出したように両手を胸の高さに持ち上げた。


 なぜかほんのり頬を染めている。どうやら緊張しているらしい。

 何が始まるのかと待ちの姿勢になったレナの目の前で、アランの日に焼けた細い指たちが、流れるように動き出す。


「『一緒に』、『植えよう』――『一緒に植えよう』。これで、そういう意味になるんですよ」


(これって……手話?)


 どうしてアランがそんなものを知っているのだろう。浮かんだ疑問に、すぐに答えが返される。


「これ、手話っていうんですよ。バーグさんの孫に聾者がいるらしくて、少しだけ俺も教えてもらったんです。筆談だと、すごく時間が掛かってしまうので……」


 恥ずかしそうに頬を掻くアラン。レナもまた、胸の中で小さな罪悪感が疼いたが、それを厭う間もなくアランの明るい笑顔が向けられる。


「ねえ、お嬢さん。俺と一緒に手話を学びませんか? もし先生を付けるのが嫌なら、俺が学んで、お嬢さんに教えますから」


 唐突な提案に困惑するレナを、アランは躊躇っているのだと思い込んだ。


 言葉を話す――すなわち心の内を明かすことを、レナはまだ恐れているのかもしれない。踏み出すことをせず、安全な部屋の中で一人静かに過ごしていたいのかもしれない。


 その気持ちをないがしろにするつもりなど、アランにはまったくなかった。

 レナが嫌がることを強制したいなんて、そんな風に思ったことは一度だってない。


「旦那様やオリビアさんが聞いたら怒るだろうけど……俺は別に、無理に話そうとしなくてもいいと思います。ゆっくりでいいんです。いつかお嬢さんが話したくなったら、そのときに話してくれたらいいんです。俺、それまで待ちますから。どんなに時間が掛かっても、全然待てますから」


 そう言って白い歯を見せて笑うアラン。

 自分の侵した罪とそれを隠そうとする体を、他の誰よりも自分自身が浅ましいと感じていたレナは、その衒いのない笑顔に救われた気がした。


(アランは決してわたしを責めたりしない。ありのままでここにいてもいいのだと、いつもわたしを肯定してくれる――)


 アランの優しさは、こんなにも心を癒してくれる。自分に向けられた純真な愛情は、ここにいてもいいのだと、笑っていてもいいのだと許されている気がして安心する。


(本当は謝りたかった。だけど誰にどう謝っても、決して許されるような罪ではないから――償うなんて、到底できるような罪ではないから。それなら一生自分を責め続けて生きようと決めたの。この罪の意識を抱えたまま、苦しみながら生きようと――)


 レナは耐え切れなくなったように土の上に崩れ落ちた。

 突然膝を突いたレナを、アランが心配そうに覗きこむ。


「お嬢さん!? どうしたんですか!? どこか具合でも――」


 言いかけた言葉をアランはそっとしまいこんだ。

 泣いているのだ。

 レナは、膝を抱えて俯いたまま、子供のようにむせび泣いていた。


 しまいこんだ言葉を、別の言葉に変えてアランはそっと投げかける。


「……大丈夫ですよ。俺はずっと、ここにいますから。ためていた涙、全部吐き出してください。お嬢さんが泣き止むまで、ずっとここに居ますから。泣きたいだけ泣いて、そうしたら、今度は笑って、一緒に俺たちの桜の苗を植えましょう。二人で一緒に、花が咲くように祈りながら――」


 アランのゆったりとした声が、子守唄のように優しい調べを奏でながらレナの心の奥に届く。

 アランの声を聞いていると、不思議と心が凪いでいく。自分より年下の子供のはずなのに、どうしてかアランの言葉を聞いていると心が穏やかになってく。


(罪を犯したわたしには幸せになる権利なんてない。何事もなかったような顔で笑う権利なんてどこにもない。だけどもしかしたら、アランの前だけでは、素の自分でいてもいいのかもしれない。嬉しい時には笑い、辛い時には泣いていいのかもしれない。だってアランは、わたしがどんなふうになっても、絶対にわたしを責めたりはしないだろうから。きっといつだって、『大丈夫ですよ』と言いながらすぐ傍にいてくれるはずだから――)


 アランは恐る恐る手を伸ばして、小さく震えるレナの頭に触れた。

 指先の皮膚から伝わる熱い体温と柔らかな髪の感触。たちまち軋むような切なさが胸を締め付けて、激しい動悸を覚えて息が止まりそうになる。


 それなのに、心地良くてずっと触れていたいと思う。

 痛みを覚えるほど胸が苦しいのに、どうしてこんなに幸せな気持ちになるのだろう。


 初めて覚える甘やかな痛みに身を晒しながら、アランは切なく懇願した。


「俺、いつかまたお嬢さんと話がしたいです。そんなふうに、自分の世界に閉じこもっているのをただ見ているのは辛いんです。どうか、お嬢さんの世界から俺のことを追い出さないでください。俺もお嬢さんと同じ世界にいさせてください」


 答えの代わりに、レナの細い腕が伸びてきて、アランの背中を力強く包み込んだ。

 アランの肩が驚きに跳ね上がり、しかしすぐに囲い込むようにレナの身体を抱き返す。


 二人は互いに縋るように抱きしめ合った。

 それは決して大人の男女が交わす抱擁のような情熱的なものではなかった。

 二人の間にあるのは恋情とは違う――もっと激しい、本能に近い熱情で二人は必死に互いの存在を求め合った。


 アランはこのとき確信した。

 自分にはこの人が必要だ。そしてきっと、今のレナもまた、自分の支えを必要としてくれている。


 そのことが涙が出るほど誇らしく、生きていて良かったと――初めてそう思えた。




(あなたの世界の中心に置いてくれなくても良い。片隅に咲く、小さな花で構わないから――)




 ――お嬢さんの心を静かに癒し続ける、そんな花で居させてください。




  【「Snow White Land」番外編/完】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ