第四話 ジャック・オ・ランタン
屋上の風は、夕方になると途端に乾く。
俺は柵に背を預けて、襟のピンを外した。かぼちゃの形をした、安っぽい細工物だ。その奥で、橙色の灯りが、ひとつ増えて脈打っている。
七十八。
千のうちの、たった七十八。数えるのも馬鹿らしい。
「かっー、ダリィな」
街の窓に、灯りが点き始めた。どの家にも事情がある。誰かの嘘と、誰かの沈黙と。あの母親は、子供たちに一生話さないかもしれない。それでいい。決めるのは、あいつだ。
「嘘をつかないでいてくれて、ありがとう、か」
舌打ちが出た。
「礼を言われるような上等な野郎じゃねぇっつの」
警察には平気で嘘を吹き込んだ。善人の顔をして、人の心に手を突っ込む。そうやって光を集めている。だが、俺の力で動かせるのは、頭の中の理屈だけだ。心から出る礼だけは、力ずくでは手に入らねぇ。
俺はジャック。人は俺を、ジャック・オ・ランタンと呼ぶ。
生前の俺は、嘘つきでずる賢く、乱暴者として知られる酒飲みだった。悪魔が俺の魂を奪いに来たときも、口八丁でまんまと騙し、「死んでも地獄に落ちない」という約束を取りつけた。
だが、寿命を迎えて死んだ俺を待っていたのは、天国からの門前払いだった。生前の行いが悪すぎたらしい。
仕方なく地獄へ向かったが、あの悪魔との約束が邪魔をした。俺の魂は、地獄にも入れなかった。
こうして行き場を失った俺は、蕪をくり抜いたランタンをぶら下げて、暗がりをうろつく哀れな悪霊になった。昔は蕪だったが、今はかぼちゃらしい。流行りには逆らえねぇ。
「心の欠片集めは順調なようですね」
背後で、声がした。振り返らなくても、誰だかわかる。
夕陽の届かない貯水タンクの影の中に、細身の男が立っていた。黒い礼服の裾が、風もないのに揺れている。光の当たる場所には、決して一歩も出ようとしない。メフィストフェレス。光を嫌う者だ。
「おい、メフィストフェレス」
俺は振り向きもせずに言った。
「なんでこんな、しちめんどくせぇ条件にしやがった」
「おや?」
メフィストフェレスは、楽しげに首をかしげた。
「生前、口八丁で悪魔を騙して、地獄行きを免れた貴方には、丁度良いでしょう?」
「……」
「それに、人間の光を回収してくれるなら、私にとって生きやすい世の中になるのですから。ウィンウィンの関係というものですよ」
手の中で、ピンの灯りが揺れた。影の中の男が、その光から、ほんのわずかに身を引く。
あの夜も、こいつはそうだった。ここ数年、かぼちゃのランタンの火だけを頼りに、真っ暗な道を彷徨っていた俺の前に現れた。光を避けるように一歩離れた場所から、笑って言いやがった。
「地獄にも行けず、天国からも門を閉められた、哀れな悪霊を私が導いてあげようと言うのです。嬉しいでしょう?」
嬉しいわけがあるか。だが、あの約束を曲げられるのは、悪魔の中でも、こいつくらいのものだった。
「……けっ」
「では、引き続き。お励みなさい」
声だけを残して、礼服の男は夕闇に溶けた。
俺は、ひとりでピンを握りしめた。千まで、あと九百二十二。扉の向こうには、あいつがいる。約束を律儀に守って、俺を地獄から締め出した、あの悪魔が。
自業自得なのは、わかっている。それでも、一発殴らなきゃ気が済まねぇ。
「待ってろよ。一発、ぶん殴ってやる」
俺は屋上の扉を押し開け、階段を降りた。足音が、風にまぎれて消えた。




