第11話 1945年5月—帰郷
## 上
パリ。k
五月の午後。セーヌ沿いの駅。
連合国軍による解放から、三週間。パリは、少しずつ、新しい秩序へ向かっていた。
駅のプラットフォームは、人で溢れていた。
帰還列車。赤十字による保護下の列車。
その列車から、人々が降りていた。女性たち。衣服は、ぼろぼろ。髪は、短い。あるいは、禿げている。
目は、何か遠いものを見つめていた。
その視線が、何を見ているのか。パリジャンたちは、直感で理解していた。
地獄を見た者たちの目。
クリスチャンは、駅の人ごみの中に立っていた。
占い師の言葉を信じて。何ヶ月も。何ヶ月も。
「妹さんは戻ってきます」
その言葉を、繰り返し唱えながら、彼は待った。
列車が到着した時、彼の心臓は、激しく鼓動していた。
何か起こるだろう。妹が降りてくるだろう。
その期待と、同時に、恐怖。
もし、妹が降りてこなかったら。もし、妹が死んでいたら。
その可能性が、彼の心を占拠していた。
女性たちが、降りてくる。
その一人。その一人。
彼は、一人一人の顔を見ていた。
妹。妹ではない。妹。妹ではない。
その繰り返し。
そして、彼は見た。
一人の女性。髪がない。骨と皮だけの身体。目だけが、生きている。
その女性が、自分の方を見た。
視線が交錯した。
クリスチャンは、その瞬間、その女性が誰であるのか、確認する前に、わかった。
妹だ。
カトリーヌだ。
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## 中
言葉が出なかった。
クリスチャンは、妹に近づいた。
その歩みは、自動的だった。思考なく。
妹も、兄に近づいてきた。
その歩みは、不確かだった。足がもつれそうになった。
兄は、妹を支えた。
その時、初めて、彼は妹の体重の軽さに気づいた。
羽毛のように。白骨のように。
何も、そこにない。
「Catherine」
兄が、妹の名前を呼んだ。
妹は、答えなかった。あるいは、答えられなかった。
ただ、兄の胸に、頭を寄せた。
その接触。その温かさ。
二人の間に、言葉は必要ではなかった。
駅の人ごみ。パリの賑わい。
その中で、兄妹の再会は、静寂に包まれていた。
クリスチャンは、妹を抱いた。
その体が、どれほど傷ついているのか。その心が、どれほど傷ついているのか。
彼は、その時点では、知ることができなかった。
だが、彼は、妹が生きていることだけで、十分だった。
占い師の言葉が、真実だった。
妹は、戻ってきた。
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## 下
アパートメント。
クリスチャンの住まい。
兄が用意した、最高の部屋。最新の衣服。最新の靴。
だが、カトリーヌは、それらに、何の関心も示さなかった。
彼女は、椅子に座った。動かない。
「Are you hungry?」
兄が聞いた。
妹は、首を傾げた。その身振りさえ、エネルギーを要するようだった。
「I made something」
兄は、キッチンへ向かった。
彼は、仕事の傍ら、食事の準備をしていた。妹が帰ってくる日のために。
その日は、今日だった。
チーズ・スフレ。妹の好物。
かつて、妹が好んでいた料理。戦前。平和な時代に。
兄が、それを用意していた。
妹が食べるだろう。そう信じて。
スフレを、テーブルに置いた。
妹は、それを見た。
何か、彼女の目に、感情が浮かんだような気がした。
記憶。遠い過去への。
だが、その感情は、すぐに消えた。
妹は、フォークを取った。
だが、彼女はそれを、口へ運ぶことができなかった。
何度も、フォークを口に寄せた。だが、彼女の身体は、拒否した。
吐き気。彼女は、立ち上がり、トイレへ向かった。
その音。その苦悶。
兄は、そのすべてを聞いていた。
何も、言うことはできなかった。
妹が戻ってきた時、彼女の顔は、さらに蒼白だった。
「It’s alright」
大丈夫だ。
兄は、そう言った。
だが、その言葉は、誰のためのものだったのか。
妹のためか。それとも、兄自身のためか。
妹は、再び、椅子に座った。
スフレは、そのままだった。
兄は、それを片付けた。何の言葉もなく。
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## エピローグ—沈黙の言葉
その夜。
カトリーヌは、兄が用意した部屋で眠った。
清潔なシーツ。温かい毛布。安全な場所。
だが、彼女は、眠ることができなかった。
ベッドが怖かった。いや、違う。
安全さが怖かった。
収容所では、毎晩、彼女は危険の中で眠った。
その危険が、彼女の心を、何らかの形で支えていたのかもしれない。
今、その危険がない。代わりに、安全がある。
だが、その安全は、彼女を、より一層、不安にさせた。
朝。カトリーヌは、兄が寝ている間に、起きた。
彼女は、アパートの中を歩いた。
かつての自分の世界。かつての安全な場所。
だが、それは、もはや、彼女の世界ではなかった。
窓から、パリの街を見た。
セーヌ。ノートル=ダム。街路樹。歩行者。
すべてが、あまりに正常に見えた。
戦争はなかった。占領はなかった。
ただ、平和な街。
その平和が、彼女には、最も奇妙に見えた。
リビングで、彼女は、自分のドレス帳を見つけた。
かつて、兄が何気なく机の上に置いていた帳面。
その帳面には、カトリーヌが隠していた暗号帳が含まれていた。
彼女は、それを手に取った。
暗号。記号。その意味。
彼女の人生。彼女の選択。彼女の戦争。
それらが、そこに記されていた。
兄は、それを知っているのか。知らないのか。
その不確定性が、彼女を複雑な感情に包んだ。
クリスチャンが目を覚ました時、彼は妹がリビングにいるのを見た。
ドレス帳を持って。
兄は、何も言わなかった。
妹も、何も言わなかった。
ただ、目が合った。
その目の中には、多くのことが含まれていた。
兄妹の秘密。兄妹の沈黙。兄妹の理解。
言葉では表現することのできない、深い何か。
クリスチャンは、妹の側に座った。
何も言わずに。
妹は、ドレス帳を、兄に渡した。
そのジェスチャーが、すべてを語っていた。
「知っていたのか」
「知っていた」
そういう会話が、言葉なく、成立していた。
二人は、そのようにして、兄妹の新しい関係を始めた。
沈黙によって。理解によって。
言葉は、まだ、彼らの間には、存在していなかった。
あるいは、言葉は、この関係を毀損するだけだった。
だから、二人は、沈黙を選んだ。
その沈黙が、最も誠実な会話だった。
パリの五月。戦争は終わった。
だが、戦争からの回復は、まだ始まったばかりだった。
兄妹の。そして、フランスの。
その回復の道のりは、長く、困難なものになるだろう。
だが、その瞬間、兄妹は、互いに相手の手を握ることができていた。
言葉なく。でも、確実に。
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