第四十七話:アリーシャ・レッドスター
アリーシャ・レッドスターはかつてマクシミリアン皇国王家の末端の家の侍女であった。
マクシミリアン王家の侍女となる以前の彼女は冒険者の一家の生まれであり、生きるための技術として戦闘や生活知識を数多く身に着けていた。
七歳の頃より両親の手伝いという形で冒険者ギルドの仕事を受けていた。戦闘の才能があった為か8歳の頃には危険度C程度の魔物であれば一人でも問題なく倒しきれる程となり、周囲の冒険者からは一目置かれる存在となっていた。
八歳になると彼女は両親と別に単独で仕事を受けるようになる。ギルドでのランクもCとなり一人前の冒険者として認められていた。
九歳の頃、彼女は久しぶりに両親との仕事を行う事になる。他の冒険者を交え、初めての迷宮探索であった。
迷宮探索に赴く冒険者としてはかなり若いが迷宮での経験は彼女にとって大きな経験となり、迷宮探索の中で彼女は成長し、Bランククラスの魔物も単独で相手取ることもできるようになった。
彼女たちのパーティーは順調に迷宮の踏破を進める。そして遂に迷宮の最深部にたどり着き、迷宮を統べる迷宮守護者と対峙する。
結果は惨敗だった。迷宮内の魔物は白兵戦で戦える様な魔物ばかりだった。故に彼女たちのパーティーは白兵戦を得意とするメンバーばかりだった。しかし迷宮守護者である魔物は物理攻撃を受け付けない魔物、酸魔導人形だった。
両親はアリーシャを庇い、全身に酸性の粘液を浴び、全身を焼かれ息絶えた。残ったパーティーのメンバーもアリーシャを逃がす為、その身を魔導人形の酸に焼かれながらも血路を切り拓く。パーティーはアリーシャを残し全滅。酸魔導人形に仲間を、肉親すらも奪われアリーシャは途方に暮れていた。
気力を失い、フラフラと彼女は街を出た。その手には両親の遺した直剣を握りしめて。
独りとなった彼女は只管に力を求めた。仲間に、両親に守られ、抗う事すら出来なかった自分を後悔しなかった日など無かった。
彼女が旅をしている途中、魔物の群れが馬車を襲っていた。魔物との戦闘に慣れていない下級兵士達は次々と魔物の餌食となっていた。
魔物の群れが粗方周りの兵士を食い散らかし、今まさに馬車の中へと飛び込もうとしたその時、魔物達は次々と斬り捨てられ屍の山を築いた。
一人の少女が直剣と短剣を両手に持ち馬車に襲いかかった魔物を斬り伏せたのである。
馬車を襲っていた魔物はCランクの血狼の群れ、そしてその群れを率いるBランクの血猟犬だった。
大半の部下を一瞬にして失った血猟犬は群れを集め、少女に狙いを定めた。
しかし戦闘が終わってみれば結果は惨憺たるものだった。
血猟犬達は全滅、そこには無残に斬り捨てられた血猟犬達の屍の山、大きな青い血溜まり、返り血で青黒く身を染めた少女が一人佇むだけだった。
その少女は弱冠十四歳にてA+ランクの冒険者に名を連ね、常に黒の外套に身を包んでいたことから『黒染』のアリーシャと呼ばれる程の有名人となっていた。
そして彼女が救出した馬車、その持ち主はマクシミリアン帝国の家の者だった。
アリーシャは馬車の主に救出の礼の為、と屋敷に招かれる。訪れた先の屋敷の主はマクシミリアン家傍系のレイテの血筋の者であり、名をパウル・レイテ・マクシミリアンと名乗った。パウルは傍系とは言え、王家の端くれ。王位の継承権は下位ではあるが、帝国内でも一定の発言権は持っていた。ただし彼は自らが帝になるつもりは毛頭なく、また武力は大した実力では無いがその代わりに彼は切れ者であり、帝国内の大臣としての地位を固めていた。
パウルに招かれた彼女は薦められるがまま、レイテ家の侍従として登用される。幸い冒険者生活の中で戦闘・家事と多少の学を身に着けていた為、その家の末娘であるセリーヌ・レイテ・マクシミリアンの直属侍女に任命された。
王女の侍女に任命され実際に侍女として働き出す前に先輩となる侍女によって侍女のなんたるかを叩き込まれた。しかし彼女は覚えが良かった為、たった二ヶ月でその全てを習得、かつて迷宮で両親を失い自身を見失っていた彼女の姿はもうそこには無く、家事から戦闘まで全てをこなす優秀な侍女の姿だけであった。
アリーシャは当初、侍従などになる積もりは毛頭無かった。アリーシャは当時はまだ荒れたままの心で力を渇望する修羅だった。だが、その荒みきった心を氷解したのは他でもない、後の彼女の主となるセリーヌ・レイテ・マクシミリアン、その人だった。
実際に馬車が襲われた際にこの少女もその馬車に乗っており、セリーヌは自らの命を救ってくれたアリーシャを気に入っていた。
世間知らずの箱入り娘にとって、同年代の冒険者であるアリーシャの存在はまさに興味の尽きない相手だった。アリーシャも多少疎ましく感じていたが瞳を輝かせて話を聞かれれば無下には断ることができなかった。
冒険の事、街での生活の事、様々な事を話して欲しいとせがむセリーヌをアリーシャはまるで妹の様に感じていた。
セリーヌとアリーシャは話を繰り返す内に打ち解けてゆく。仲間を、両親を失って以降、修羅として生きて来たアリーシャにとって家族の様に接してくれるセリーヌはいつしか心の拠り所となっていた。
心のどこかで落ち着ける場所を探していたのかもしれない。居心地の良い場所を見つけた彼女はパウルの打診を快く受けた。
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俺とアリーシャは酸による火傷の治療をクリスとマリオンによって施してもらい、現在、六人で酸魔導人形を倒す手立てを考えていた。
治療を終えた後もアリーシャはまだ震えていた。治療の際にアリーシャは酸魔導人形と初めて対峙した時の事を話してくれたが、かつての仲間や両親の仇である筈の魔物と対峙することで当時のトラウマが蘇り、戦意を喪失してしまっていた。
「アリシア…じゃなくてアリーシャは…この戦闘にはもう出せねぇな。いくら実力者だろうが一度完全にビビっちまった相手へのトラウマってのはそうそう払拭できるもんじゃねえ。そうなったら足が竦んじまう。戦った所で犬死するのがオチだ」
ジャックは淡々とアリーシャの状況を把握した上で、アリーシャを戦線から外す事を告げる。少なくとも誰一人として反対する者はいない。
「で、あの酸魔導人形、どうしますの? 魔術も効かない、物理攻撃を仕掛けるにもあの酸の体はどうにもなりませんわよ?」
アンリエッタの言葉に一同が閉口する。倒す手立てが見つからない以上、そうなるのは目に見えていた。
だが、俺は一人、心当たりとなる物を前世の記憶から思い出していた。
(奴の体は硫酸だ。そして、小瓶の粉が奴の体に入ることで白い土の塊ができていた…。恐らくあれは石膏…。石膏は確か硫酸カルシウムか、ならばあの白い粉は炭酸カルシウムか酸化カルシウムだ…。ということは石灰だ。大量の石灰を調達できれば奴の体の酸を中和出来る…。それならば核にも近づけるはずだ…。ただどうやって奴の体に叩き込む?それにどうやって石灰を撹拌すればいい?それ以前にどこから石灰を調達すればいい?)
そこで俺はあることに気づく。石灰の原料は珊瑚や貝殻だ。貝殻ならばこの部屋の前にいた射手帆立から調達できる。生態などは前世の帆立とは異なるがこの世界の生物も前世の生物も原則的に性質は同じだ。だとすれば、あの魔物の貝殻を利用できれば大量の石灰を調達出来るはずだ。
あとはそれをどうやって奴の体に取り込ませ、撹拌させるか。
何にせよ奴を倒すにはまず射手帆立の貝殻を確保する必要がある。俺は全員にその事を伝えることにした。
「…恐らくですが、このまま挑んでも勝ち目はありません。ただ勝つ手立てはあります」
勝ち目がないという発言に一同が一瞬意気消沈するも勝つ手立てを閃いた事に再び顔を上げる。
「まず一旦前の通路に引き返して射手帆立を殲滅しましょう。酸魔導人形の討伐には射手帆立の貝殻が不可欠です」
射手帆立の貝殻が必要だという事に全員が首を傾げる。
「ちょっとちょっと!いきなりそんなこと言われても理解できないわ!射手帆立の貝殻とあの酸魔導人形とどう関係があるのか説明しなさいよ!」
マリオンが説明を求める。再三だがこの世界には科学の概念がそれほど浸透していないのだ。
「ええと…さっき投げた小瓶は見ましたよね?この迷宮に入る前に漁村でお婆さんから貰ったものです」
「それはわかるわ。それであれが何だったのか教えなさいよ」
「石膏の元、とでも言えばわかりますか?」
石膏と聞いて全員が訝しげな顔をする。「そんなものが何の役に立つというのか」とでも言いたげにしている。
「その石膏の元を使えばどうなる?」
ジャックが結論を急ぐ。勿論、魔物相手の場合では確信は持てないので明言はしない。
「もし、予測通りだとすればこの粉が酸魔導人形の酸の成分を中和して、さらに体の水分を奪って縮小まで出来るはずです」
全員が頷き、その上でジャックが改めて尋ねる。
「なるほど、だが貝殻をそのままって訳じゃないんだろう? どうすればいい?」
「十分に焼けば性質が変わって脆くなるのでその上で砕いて粉にすれば」
そこまで言うとジャックは「よし、解った」と、行動指針を固め始める。
「まずは射手帆立の貝殻の確保と加工だ。射手帆立の討伐と貝殻を焼く所まではクリスの仕事だな、あとは殻を砕いて粉にして…、問題はどうやってあいつの体に叩き込むか、か」
「それは追い追い考えましょう、まずは物を用意しないと。俺はクリスと、マリオンさん、三人で射手帆立の殲滅に行きます。ジャックさんとアンリエッタはアリーシャのケアをお願いします」
こうして「帰らずの迷宮」の守護者、酸魔導人形の攻略が始まった。




