第二十七話:アトラシア山脈
野営中の見張りは俺とアンリエッタが二人で行う事になった。クリスとジャックは二人で食事の準備だ。
盗賊として活動する冒険者はサバイバルのプロだ。カルマン村からエルダの街までの道中の食事の準備はこれまでクリスが一手に引き受けてくれていたが、ジャックはそれ以上の手際で食事の準備を進めており、クリスはジャックの指示を聞きながら右往左往している。
料理に関してクリスもそれなりの腕だ。カルマン村の屋敷では母やアリーシャに代わり台所に立つこともしばしばあり、彼女達と遜色ない料理を作る。
「戦闘と魔術以外なら大抵の事はなんだってできる」というのはジャックの談だ。見た目に寄らずかなりの女子力を誇っている。
あっと言う間に食事が出来上がり、ギーシュの手によって運ばれてきた。保存食用の硬いパンにスープ、それに保存食用に加工した棘土竜の干し肉だ。
この干し肉はジャックが持ち込んだものらしいが、彼に聞いたところ、食料品店に大量に売られていたとの事。認定試験のついでに切り出して売った肉だろうことが容易に想像できた。
パンと干し肉に関してはいつも通りの味だが、スープに関してはジャックが調味料となる塩や香辛料の実を持ち込んだり道中で確保していたらしく、木の葉亭の食堂のスープよりも旨く感じた。ジャックはその辺の女子よりも高い女子力を有していると思われる。
見張り中、時折、小鬼などの小型の魔物が数体近づいて来ることがあったが彼らは本能で力量差を感じ取ったのか、こちらを見るなりそそくさと逃げ去って行った。
陰の刻も四刻を回り俺はジャックと見張りを交代し、眠りに就いた。
四刻が過ぎジャックとアンリエッタが起こしに戻ってくる。交代の時間だ。
二人から特に異常は無いと報告を聞きクリスと共に見張り用の簡易櫓を登る。
何も無い時の見張りは暇な為、俺は剣の手入れをしながら時間を潰していた。クリスも旅立ちの際に置かれていた魔導書を難しい顔をしながら読んでいる。
結局、この日の野営は何事も無く終えた。周囲も明るくなり全員を起こして野営の片付けに取り掛かる。
ジャックの指示でテキパキと片付けを終え、旅を再開する。
ここからは道のない草原となっていた。草も背が低くせいぜい踝が隠れる程度のため歩きにくさも無く、視界は開けている為魔物がいても回避するか選択の余地がある。
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アトラシア山脈の麓に到着するまで大きな出来事は何も無かった。強いて挙げるとすれば三日目の道中に二体の血熊と遭遇するも俺とアンリエッタがあっさりと仕留め、肉と革に姿を変えた程度である。
漸く到着したアトラシア山脈は岩肌が剥き出しの岩山だ。出発の際に見えていたこの山は青く映っていた。
木も全くではないがぽつぽつと数本見えている程度だ。
「お、ありゃあもしかして!」
そんな中ジャックが山では無く麓に生えている目の前の木の枝を折り始めた。
ジャックが折った枝の断面を見ると短剣で均等な長さに切り揃え出す。
「ジャックさん、どうしたんですか?その枝がどうかしたんですか?」
俺が声をかけるもジャックはそっちのけで枝の匂いを嗅ぎだした。
「誰か火ィあるか?」
ジャックが枝を口に咥えて火を求める。クリスが小さな火を起こしてジャックが咥える枝に火をつけた。これは…この世界の煙草か。
火を灯した枝が燻り煙をあげる。煙草の様だが俺の知っている嫌な匂いではなくお香の様な匂いが立ち込めた。
「こいつはシガーウッドって言ってな、枝をこうして燻らせると気分を落ち着かせる煙を出すんだよ。世界中にあるんだが、野生のシガーウッドは少なくてな。あとこいつの匂いを嫌う魔物も結構いるんだ。特に四肢獣種とかな」
そう言いながらジャックは紫煙を燻らしている。
「あらジャック、私にも一本分けてくださいまし。久しぶりに吸いますわね」
アンリエッタもジャックのシガーウッドの火を分けてもらい紫煙を燻らせる。気がつけばギーシュもシガーウッドを吸い出した。
「セオとクリスはどうする?」
(この世界に於いて喫煙は成人する前でもいいのか?)
前世の倫理と好奇心を天秤にかける。その間にクリスがシガーウッドを受け取り、煙を吸い始めるもクリスは涙目になりながら激しく噎せ返した。やはり未成年者の喫煙はよろしくない様だ。
「ハッハッハ!まだクリスにゃ早かったか!?どうする?セオも吸ってみるか?」
ジャックが問うも、俺は丁重に断る。それを聞くとジャックはシガーウッドの枝を大事そうに懐に仕舞い込んだ。
「さて、山に登るにゃ微妙な時間だな。今日は一度此処で野営にするか!」
現在の時間は陽の十刻。確かにこの時間からの登山では途中で日が暮れてしまう。それに、山中で野営できる場所を確保できるかも怪しい。あくまで「安全第一」だ。
ギーシュも目標が目前ではあるが命には代えられないと弁えている。
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その日の野営中の見張りは俺とアンリエッタ、ジャックとクリスのペアになった。どうにもアンリエッタがジャックとのペアは今回は断ったらしい。
俺達の見張りは後半だった。いつも通り見張り用の簡易櫓に登るが逆側の櫓にアンリエッタの姿がない。辺りを見回すと櫓の下で自分の荷物と共にいるアンリエッタを見つける。何をしているのか解らなかった為、暫く観察していると彼女は突然服を脱ぎ始めた。
色白の肌を包む服を次々と脱ぎ、下着だけの姿になった。そして荷物の中身を取り出す。中身は勿論、礼の鎧だ。俺は目が話せなかった。クリスの幼さの残る裸体ではなく、成人した女性の裸体だ。…胸は慎ましやかだが。
とは言え美女の裸体を前に肉体年齢十二歳、精神年齢二十九歳の健全な男子が目を離さずに居られるだろうか、否、離さずにはいられない。
アンリエッタは下着を脱ぎだした。全てを曝け出した姿を目に焼き付ける。慎ましやかな双丘ではあるが透き通った白い肌、美術品の様に滑らかな曲線、そして女神と見紛うかのような美貌。それらを全て曝け出しているのだ。その瞬間だった。
――彼女は笑った。
笑った、彼女は笑ったのだ。いや、気のせいか。以降、彼女は全く此方に気付いている素振りは見せない。一瞬の彼女の笑顔が俺を現実に引き戻した。
その後アンリエッタは何事もなかったかの様に鎧用の下着を身に着け、更にその上から全身鎧を身につけるが俺はと言うと悶々とした感情を押し殺して見張りに戻っていた。
翌朝、全員が起床した後、いつものように片付けを進める。
「セオドア様、見張り中に何か見つけられた様ですが、何を見つけられたのでしょう?」
「へあっ!?い、いや、気の所為ですよ!気の所為!」
アンリエッタが弄ぶかのような笑みで覗き込む。
「そうですか、まぁ何も起こりませんでしたし、そういう事に致しますわ」
彼女は敢えて問い詰めず、そう言って鼻歌混じりに隊列に戻った。
深夜の彼女は完全に誘っていたのだろう、だが俺はまだ未成年だ。まだだ、まだ乗ってはいけない。
俺は繕った無表情で隊の先頭を歩き出した。
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山の中腹ぐらいまでは登っただろうか。山頂まで登る訳ではないが気がつけばかなりの距離を歩いている。
遠くから見るアトラシア山脈は青く雄大な山脈で、美しい景色を映し出す。だが山中に入れば岩、土、砂のほぼ三つの要素で構成される非常に殺風景な場所だ。強いて言えばそれを賑わせているのが魔物達だろう。
アトラシア山脈の魔物の平均ランクはBだ。平原部で見られるような小鬼のような脆弱な魔物はまずいない。最低クラスで弾頭猪などのCクラスの魔物だ。彼らでさえ山脈の強力な魔物達に住処を追われることも稀ではない。草木の少ないアトラシア山脈の生態はまさにサバイバルだ。
そしてそこに棲む魔物の頂点に君臨するのがかつてカルマン村を脅かした巨躯蜥蜴のようなAランク帯の魔物達だ。彼らは捕食者だ。遠目から巨躯蜥蜴が弾頭猪を蹂躙し喰らう姿が見れた。
「あれはまだ巨躯蜥蜴の幼体ですねぇ。成体の巨躯蜥蜴ならあのくらいなら一飲ですし」
圧倒的強者が獲物を喰らう。痛ましい光景ではあるがこれこそが自然の摂理なのだ。これぞ弱肉強食の世界である。
いつしか弾頭猪を喰らう巨躯蜥蜴の周囲を突撃鴉が飛び回るようになっていた。
突撃鴉は単独でこそランクDだが奴らは群れを率いて襲いかかる。稀に哀れな新米冒険者が真っ黒な羽に包まれて体中を貪られて息絶えるというような事態もあるため決して油断はできない魔物だ。
巨躯蜥蜴の幼体が弾頭猪の群れを全滅させ、食べ残しを残したままその場を去った。その瞬間、周囲を飛び回っていた突撃鴉が一斉に食べ残しに群がる。数分と待たずに突撃鴉が飛び立つとその跡には血溜まりだけが残っていた。
その光景から目を離した瞬間だった。強い風が吹き荒れると共に巨大な影が頭上を後ろから通り過ぎた。影は此方に向き直り、ゆっくりと地面に降り立つ。
獅子の頭に鰐の躰、竜の前脚、象の下半身と大鷲の翼。禍々しく、その歪な姿は生物とは形容し難い。ただし一つだけはっきりしていることがある、この禍々しく歪な姿を持つ魔物は間違いなく俺達を敵視している。
「歪魔獣だ!やはりこの大陸にいたんだ…!」
ギーシュが感嘆の声を上げる。
「ジャック!ギーシュさんを!完全に此方を狙っていますわ!戦闘隊形!」
アンリエッタの号令で各々が配置に移動する。ジャックが歪魔獣に見惚れるギーシュの襟首を掴み後方へ下げ、俺とアンリエッタは歪魔獣の正面に躍り出た。
「ゴラララララ…グウォオオオオオォォォォ!」
喉を鳴らし歪魔獣が咆哮する。空気が震えるかのような咆哮だ。それと同時に弾頭猪に群がっていた突撃鴉が一斉に飛び立ち、黒い羽根を散らす。
アトラシア山脈、ランクA+歪魔獣討伐戦、開始――。




