第十四話:初めての野営
俺達はカルマン村周辺の森の街道を抜け、森の近くで野営の準備をしていた。
「さて…こんなもんか…」
「兄様、焚き火の準備ができましたよ」
俺がターフ張り、クリスが食事の準備だ。
森を抜ける途中で森林狼の群れと遭遇し、今夜の食料を得ていた。
「流石に調味料なんかは無いから焼いて食べるくらいしかできませんね」
「まぁ保存食はいざという時に残したいからな」
森林狼の肉は結構硬く、それ程可食部も多くない。ただし遭遇時は決まって群れで現れる為、一度の戦闘でそれなりの量が取れる。
「ガイドブックに肉の燻製の作り方とかあったっけな…」
「そうですね。長旅になるなら保存食はある程度はあった方が良いと思います」
バックパックの中のガイドブックを取り出しパラパラとページをめくる。だが残念ながらそれらしき記述は見つからなかった。屋敷の書庫で見たような気がしたがどうやらこの本では無かったようだ。料理本か何かと勘違いしていたのだろう。
クリスが肉の焼け具合を確認する。
「そろそろいい塩梅ですね。んっ…」
硬く焼けた肉をクリスが食いちぎる。
「はふっ、はふっ。ん、セオ兄様、大丈夫みたいです。はい、どうぞ」
「お、じゃあいただきまーす。がっ…フンッ…あちっあちっ」
手を合わせて食料に感謝の意を示し、黄金色に焼けた肉にがっつく。硬くて匂いが強く、旨みも少ないがそれなりに食いではある。しかし自分が猫舌だというのも忘れており、舌を少し火傷した。
「ふふっ、セオ兄様ったらそんなにがっつかなくても…」
「いやぁ、美味そうに見えたからな。つい、なぁ…」
夜空を見上げると空には美しい星空が映る。これまで自警団の活動で野営する事はあった。俺達にとっては初めての森の外。一面広がる黄金色の草原に体を投げ出し夜空を眺めていた。
「こうしてると、何だか自警団の見回りで野営をした時を思い出しますね…」
「ああ、あの時外で寝るのが怖いって言って俺の寝てるテントまで入り込んできたっけな…」
「は、恥ずかしい話を掘り起こすのはやめてくださいっ兄様っ!」
クリスの恥ずかしい思い出をつつくと珍しくクリスが取り乱した。可愛い妹だ。
夜も更け、森の中から森林狼の遠吠えが聞こえる。当時はこの遠吠えに怯えていたが今となってはあいつらは貴重な食料だ。今では恐れるどころか子守唄のようにも聞こえる。
時刻は陰の五の刻、そろそろクリスは眠そうだ。
「クリス、先に寝てていいぞ。見張りは俺がやってるからさ」
「ふあ…ではすみません、兄様、先に眠らせてもらいます…おやすみなさい…」
「ああ、おやすみ」
ターフの下でクリスが毛布に包まる。俺は土壁で作った簡易櫓の上で見張りだ。
「さて、何も来なきゃ良いが…光球…」
淡い光が周囲をうっすらと照らす。強い光を放つと夜行性の魔物が寄ってくる可能性があるが、これぐらいの明かりであればそうそうやって来ることはない。
夜空には小型の鳥種の魔物が群れで動いていたが、此方に気付く様子はない。ただ静かに過ぎる時間と夜風に前髪を揺らしていた。
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陰の九の刻、見張りの交代時間だ。ターフの下のクリスを起こしに行く。
少しドキリとする。白金の美しい髪とその下から覗く純白の肌が月の光に照らされ妙に艶やかに見えた。
静かに寝息を立てる横顔を見ているともう少し寝かせてやりたくなるが、道中で俺がバテるわけにはいかない。
クリスの肩を軽く揺する。
「…んあ…おはようございます、兄様…」
クリスは眠そうな目を擦り、起床の挨拶をする。
「おはよう、クリス。交代の時間だ」
クリスが魔術で小さな水の玉を作り顔を洗う。
「ふあ~ぁ…じゃあ、陽の一の刻になったら起こしてくれ…お休み」
「はい、おやすみなさい、兄様」
思ったより眠気がヤバい。俺は寝床に就くと直ぐに眠りに落ちた。
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「…様、兄様、起きてください。朝です」
そこには天使がいた、違う。クリスだ。起こしたときには下ろしていた髪をリボンで結びポニーテールに纏めていた。サラサラの白金の糸束の様な髪がそよ風に揺れ、朝の光で煌めいている。
「…うーん…。おはよう、クリス」
大きく背筋を伸ばす。先程クリスがやっていたように水球を生み出し、顔に浴びせ、眠い目を無理やり起こす。
軽く髪をかきあげ寝癖がないかを確かめる。よし、大丈夫だ。今日もキマってる。
ターフの片付けを始めると、クリスが食事の準備を始めている。昨日余分に取れた森林狼の肉は念のため火を入れておき、氷魔術で凍らせておいた。
「一応昨日の内に火を入れておきましたし、凍らせて保存していましたか問題なさそうですね…」
早々にターフを片付け、食事の準備が済むまで、少々離れた位置で周囲の見張りをしておく。肉の匂いに魔物が現れることも少なくない為、念には念を、だ。
そうしてる内にクリスが声を張って俺を呼ぶ。
「兄様ー、食事の準備ができましたー!」
「わかったー!すぐ行くー!」
同じように声を張って返事を返す。櫓にしていた土壁を引っ込ませ、直ぐにクリスの元に戻る。
あまり美味しくはない肉に齧りついていると目の前には朝の日差しで黄金に輝く平原が目に映る。
美しい風景を眺めながら肉に喰らいついていると、遠くに街道を疾走する三人の人影が目に映った。
その後ろには血熊が迫り、今当に襲いかかろうとしていた。
「…放っとくわけにゃいかんだろ…。クリスは此処に居てくれ!」
「兄様?」
クリスは真後ろの光景に気付いておらず呆気にとられていた。俺は肉を咥えたまま剣を抜き、血熊へと駆け出した。
「助けてくれー!」
三人の集団は周りに助けを求め、叫びながら走る。
三人は必死に走るが、小柄な人影が少しずつ引き離される。遂には転倒してしまった。
小柄なフード姿の旅人は腹を括ったのか右手を血熊に向け、火矢を放つ。だが悪手だ。血熊は四肢獣種ではあるが、数少ない火を苦手としない個体だ。
旅人は炎を物ともせずに迫りくる絶望を前に放心していた。
血熊が腕を振り上げ、旅人に容赦なく襲いかかる。しかし、その太い腕は冒険者には届かなかった。
「今の内に仲間を追え!」
血熊の丸太のような腕を受け止める。カルマン村にいた熊のような体格の男から繰り出される斧の一撃には遠く及ばない。血熊の腕を抑えつつ放心する冒険者に逃げるよう促す。振り返ってみると冒険者は震えて動けなかった。腰を抜かしてしまっている様だ。
他の二人も既に影は小さくなっている。
「チッ!」
血熊の顎を蹴り上げる。血熊の顔が仰け反った。
血熊が怯むのを確認し、旅人の来ているローブの襟首を掴み、勢いよく放り投げる。そのまま冒険者は転がっていく。
「グルルルルル…」
獲物に割り込まれた血熊が忌々しそうに此方を睨み唸り声を上げる。血熊の攻撃対象が俺に向いたようだ。
「ガオオオオオオッ!」
血熊が威嚇するように咆哮をあげる。だが俺は怯むことはない。血熊は村で聞いた話によると危険度はB程度だ。一人ではないが三年前に対峙したA+ランクの巨大な龍鱗種に比べれば遥かに弱い。このあたりでは確かにかなり強い個体だが所詮Bランクの魔物だ。
血熊が腕を振り下ろす。太い腕の軌跡を見える。振り抜いた剣が血熊の腕を刎ね飛ばす。
古びた鈍色の剣に血熊の青い血が付着した。
血熊も何が起きたのか理解できていない様子だ。そしてそのまま鈍色の剣で血熊の首を刎ねた。
「弱いっ!」
冒険者は顔を青褪めさせて呆然としていた。目の前で繰り広げられた一瞬の出来事と自分の命を救ってくれた人物の圧倒的な強さにまだ理解が及んでいない、と言った様子だ。
「おい、しっかりしろ」
剣を置いて冒険者の頭を掴み、頬をはたく。冒険者はまだ息を荒げていた。とりあえずは少し落ち着いたようだ。
「た…助かりました…」
漸くフードの旅人が一言そう言うと、奥から仲間であろう二人の男が走ってきた。
「はぁ…はぁ…、ああ、無事で良かった。…貴方が血熊を?」
長身の男が息を切らしたまま此方に声をかける。男の髪は黒の短髪。年齢は二十前半といった所で爽やかなイケメンといった所だ。
「はい、少し離れた所で血熊に追い回されてる貴方達を見かけたもので。この人が転んだのに気づかなかったんですか?」
少し眉間に皺を寄せ、男に問い質す。するともう一人の旅人の少年が前に出てくる。
やや赤みがかった茶髪の少年は俺の問いを聞いて、いかにも不服そうな顔をしていた。
「仕方ないだろ!どっちにしろ僕達の力じゃ戦った所で全滅してい…」
「やめましょう」
長身の男が少年が喚くのを制した。少年の答えは特に間違ってはいないがどうにも凝りが残る。
フードの旅人は少し俯いていた。
「とりあえず向こうへ。連れを残して飛び出してきたもので、心配しているかも知れません」
俺は三人を連れ、クリスの所へ戻った。
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「兄様、その人達は?」
クリスは既に野営の片付けを終えており、突然飛び出しては、人を連れて戻ってきた俺に首を傾げていた。
「ああ、さっきメシを食ってる間にクリスの後ろで血熊に追い回されてるのを見つけてさ」
「なるほど」
クリスはさも当然の事のように返事を返す。彼女もA+ランクの魔物を一緒に倒した魔術師だ。血熊という単語に対して特に驚く様子もない。
「先程お連れの方に血熊から仲間の命を救って頂いた旅の者です。感謝致します」
長身の男は丁寧に礼を言うと深々と頭を下げた。しかし、少年が場を濁す。
「何でバーナードが頭を下げてるんだよ!感謝するのはコイツだろ!」
どうにも煩い子供だ。まぁこっちも子供だが。クリスもその少年に顔を顰めている。
喚き散らす少年に引っ張られ蹌踉めいた旅人のフードが取れる。真っ赤な肩まで伸びた髪がふわりと揺れる。白い肌にまだ幼さが残る顔の美少女だ。
「さ…先程はっ、い、命を救って頂き…あ、ありがとうございましたっ…!」
少女は少しおどおどとした様子で此方に感謝の意と共に頭を勢いよく下げた。
クリスも先程まで顰めていた顔を緩ませ、優しく声をかける。
「ふふ、構いませんよ。お怪我はありませんか?」
「とんでもない!」とでも言わんばかりに少女は首をぶんぶん、と振るがローブの裾から覗く膝には転倒した際に出来た擦り傷が見えた。
「膝を擦り剥いていますね。失礼します。治癒」
クリスが治癒魔術をかけ、少女の膝の傷が塞がる。少女は肩の方も気にしていたがさっき投げ飛ばした際にぶつけでもしたのだろうか。だとすれば少しバツが悪い。とはいえ、血熊から引き離すための措置なので勘弁してほしい。
「命を助けて頂いただけでなく、治癒魔術まで…。重ね重ね感謝いたします」
黒髪の青年は改めて深々と頭を下げた。
「さて、どうして血熊に追われていたのですか?」
俺が男に問いただす。
「追われた理由は解りません。恐らく視界に入ってしまったか縄張りに脚を踏み入れてしまったか…」
「コイツが転んだせいだろ!それで食料を落としたから魔物がこっちに気付いたんだ!」
男が説明する途中で少年が喚く。クリスが顔を再び顰め前に出た。
「なんだよ!本当の事だ!理由はわかっただろう!コイツのせいだ!」
バシンッ!
高い音が平原に響く。クリスが少年の頬を平手で思い切り叩くと少年が横に吹き飛んだ。クリスも基本的には魔術を得意としているがこれでも七年間、あの父と鍛え、自警団として戦っていた。時には短剣一つで野闘牛を正面から仕留めるほどだ。そこら辺の力自慢の村人と比べても膂力は見劣りはしない。
「僕の頬を叩いたな!僕の…!僕は…」
クリスは喚く少年を無表情で見下ろした。
頬を真っ赤に腫らした少年はなおも喚き何かを言おうとしたが、クリスの間に男が割って入る。
「申し訳ありません、連れが失礼を」
男はそう言うと少年に耳打ちをする。少年はそれを聞くとすぐに喚くのをやめた。
少年が喚くのをやめたのを見て、男は小さく嘆息を漏らし此方に向き直る。
「…我々は現在、東の街、エルダを目指しています。ですが我々はあまり旅や戦闘には慣れていません。…貴方方の強さを見込んでお願いがあるのですが…。…街に到着するまでで構いません。我々の護衛を引き受けては頂けないでしょうか」
俺は腕を組み、少し考える。取り敢えずの目的地は一致する。引き受けても問題はないだろう。だが、旅も戦闘にも慣れていない彼らは正直足手まといだ。メリットは特に無い。むしろデメリットだらけだ。
「断らせて頂きます」
クリスが言い切った。俺は手を伸ばして制しようとする。すると男が少年の荷物に手を突っ込み指輪を出した。
「お金は持ち合わせてはいませんが、売れば幾許かのお金にはなるかと思います。是非、護衛を引き受けては頂けませんか?」
男が報酬となる指輪を出して食い下がる。少年が再び喚こうとするが男はすぐに手を伸ばして制した。
指輪はそれなりに上等なものだろう。艶のある金属に意匠を凝らした彫刻が施されており、大粒の真紅の紅玉が埋め込まれている。
「解りました、引き受けましょう」
「兄様!」
クリスが睨むが旅に資金は必要だ。俺達にとって脅威となるような魔物が少ない道程を護衛するだけでかなりの報酬だ。少々煩わしい護衛対象がいるのは面倒だが、この男を通して指示すれば幾分素直に動くだろう。
「クリス、俺達は宛のない旅の途中だ。この報酬ならむしろ割のいい仕事だ。この先の事を考えれば資金はいくらあっても困らない。それに俺達も東に進路を取ったばかりだ。この先にある街の情報を少しでも得られるなら十分メリットのある話だ。ここは引き受けよう」
「兄様がそう仰るのであれば…わかりました。
クリスは少し納得の行かない表情だが了承した。
「そう言って頂けると助かります。ご迷惑をお掛けしますが宜しくお願い致します」
「お、お願いしますっ!」
「…。」
「ハウトも頭を下げて」
男と少女は深く頭を下げる。少年は不服そうにしていたが男に促され遅れて頭を下げた。
こうして東の街エルダまでの五人の旅が始まった。




