第九十四話:金の日輪、銀の月輪
『間違いない…獅子の王、獅子の后…!』
タップは尻餅をついたまま、一対の光を放つ魔物の名を口にする。
双方共に美しさと力強さを兼ね備えたしなやかな身体、白金の様な輝きを放つ鋭くも強靭な刃物のような牙と爪、見える全てを見透かすような青く澄んだ眼、そしてその存在を誇示するかのような堂々とした姿はまさに自らを王と王妃と名乗っているかの様で、象徴となるたてがみは片や大地に降り注ぐ陽光の様に激しく輝き、片や闇夜を優しく照らす月光の様に静かに煌めいていた。
「くっ…足が…!」
「竦んで…!」
「無理…勝てっこない…!」
「セオドア様とクリス様をお守りしなければ…!」
砂埃の先にフォルク達の姿も見えてくるがやはり彼らもタップと同様に獅子の王と獅子の后の姿を前に立ち上がれずにいる。
「兄様!」
クリスが声を上げる。それに反応して振り向くと、クリスが立ったまま獅子のつがいを睨んでいる。
どうにか立っていられたのは俺とクリスだけで、獅子のつがいも俺達を睨みつけたまま仕掛けてくる様子はないが、美しい姿の内から放たれる突き刺さる様な威圧感は一年前に戦った赤龍のものとは比べ物にならず、威圧感だけで押し潰されそうな感覚を覚えていた。
「みんな手を出すなよ…!」
俺はそうとだけ全員に告げ、獅子のつがいと睨み合う。こちらを睨む二頭は大きく息を吸い始めると、その瞬間、双方ともに上を向く。
「グウルルルルルルゥッ!」
「ガアアルルルルルゥッ!」
二頭が同時にたてがみを揺らしながら咆哮すると、その咆哮は周囲を震わせ、辺りの岩に亀裂を走らせる。
もはや物理的な力すら持った咆哮に俺達は耳を塞ぐ事しか出来ずにいた。
「耳がっ…!」
「ぐああっ!」
あまりの大音量の咆哮に思わず俺とクリスも耳を押さえて膝をつく。そしてそれを見たつがいは俺達に興味を失ったのか咆哮を止めると、俺達が歩いてきた森林の方に向けてゆっくりと歩き出し、地面をひと蹴りするとあっという間に森の方へと走り去って行った。
その輝きは森の向こうからも見えており、つがいが通っている部分にだけ昼が訪れている様に見えていた。
「なんだったんだ…今の…」
「わかりません…ただ今の私達では敵わない…」
「ああ…圧倒的な存在だったね…」
「『獅子の王』に『獅子の后』、…だったかしら…」
「まだ…足が…」
「もし…襲ってこられたら全滅してましたわね…」
全員が草原にへたり込み、未だに残る圧倒的な威圧感に声と息を震わせていた。
「タップは…気を失ってるか。仕方ない、今日はここで野営をしよう」
そう言って俺は漸く立ち上がるも、クリス以外の全員が足を震わせており、とても歩ける様な状態ではなかった。
「ごめんセオ、まだ動けそうにないや」
「申し訳ありません…私もまだ…」
「私とした事が…セオ様、面目ありませんわ…」
「まぁ三人が動けないのに私が動けるはずは…ないわね…」
「ああ、みんなはそのまま落ち着くまでゆっくりしててくれ」
「兄様と私で野営の準備は済ませますので、もし魔物が来たりしたら教えて下さい」
そう言って俺とクリスは二人でテントを張り、野営の準備を始める。
クリスが魔術で火を起こし、食事の準備を始める頃には漸く四人も何とか歩ける程には落ち着いてきた。
早めに食事を済ませ、先に四人に寝てもらい、今日は途中までは俺とクリスで火の番をする事となった。
「…シャル、いるか?」
「あの魔物について、か…」
先程の魔物についてシャルディンに尋ねる為呼び出すと、質問するより先にシャルディンは話し始める。
「あれは…我々がこの世界を護る為に生み出した魔物の一つだ」
「そ、私達の感情の一つを具現化した存在ね」
メルティナもシャルディンの話に乗っかる形でクリスの声を借りて話始める。
「…どちらかと言えばアレに関してはメルの感情が大きく反映されていると思うがな」
「あ、ひっどーい!シャルだってあんな態度たまに取るじゃない!」
「必要に応じてな。カムイ、クリス、アレは我々の『傲慢』の感情を反映させているだ」
「まぁその結果が強そうな存在を見つけては脅かして回ってるみたい、結局ただのタチの悪い悪戯みたいな形になってるっぽいけどね」
シャルディンとメルティナは呑気な調子であの二頭を生み出した張本人である事を白状した。
「黒龍神様、感情を具現化したとは…?」
「もー、前にも言ったでしょ!メルでいいし、敬語禁止だって!私もセオドアくんとシャルみたいにクリスちゃんとお話ししたいの!」
クリスがメルティナに詳しい話を聞こうとするが、黒龍神様と呼ばれた事にメルティナは不満なようで、メルティナのわがままにクリスもたじたじだ。
「え、えーっと、メル、感情を具現化した、ってどういう事、なの?」
よくよく考えてみたら敬語じゃないクリスの言葉を聞くのは初めてだ。やはりクリスも慣れないのかどこかぎこちない。
「まだちょっとかたい感じだけど…まーいっか。あの子達はね、私達の感情を魔力で具現化した魔物でね、うーんと昔、荒れに荒れてたこのエーテルスクエアを落ち着かせる為に私達が生み出したんだ」
メルティナはあっけらかんとした様子でそう話す。とんでもない存在を生み出しておきながら、割とどうでも良さそうな雰囲気だ。
「この世界が生まれた時、まだまだ歪みだらけだった。その世界の楔としてあの魔物を生み出したのだ」
シャルディンはメルティナと異なり、やや沈重な雰囲気で話を進める。
「なるほど、傲慢か…、だとすればまだ他にもいるんだろ?」
「如何にも、あと他に八体いる。我々の持つ負の感情である九つの感情を元にメルが生み出した魔物で、各地の楔となっているのだ」
俺は凡その当たりをつけてシャルディンに確認する様に聞くと、予想より多い数字が返ってきた。
「先の魔物は傲慢の獅子、このガルムス大陸の楔となっておる。過剰な力を持ち、我々にとって変わってのさばる者が生まれぬ様にする為だ」
「力には力をって事か、じゃあ他の魔物は?」
八体の魔物、その存在はいつか重要な存在になると直感した俺は、その事について聞いておく必要があると判断する。
「ドラグネイアの地には憤怒の龍を、現在のデモンガルドの地には暴食の豚、ルミネシアの地には怠惰の雄牛、ハルモネシスの地には色欲の兎、ワダツミの地には強欲の狐、ドルマニアン諸島には憂鬱の熊、アトラシアには虚飾の孔雀、そして海には嫉妬の蛇がいる」
「で、その魔物達がその地の悪感情を魔力として吸い取ってる訳なんだけど…今のを見る限りじゃ結構パンク寸前ってとこかなー…」
「元々人の少ないドラグネイアやワダツミではそう言った事はまずないだろうが、アトラシアやガルムスは前回の輪廻の時に比べると人が増え過ぎておるのだ」
「次に私達が復活した時に何とかするつもりだから、あまり気にする必要はないわ。でももし遭遇してもくれぐれも手は出さないようにしてね?」
メルティナはクリスの身体で俺に向けて指を立ててウインクを飛ばす。
軽いノリでそう言う彼女だが、あの威圧感を目の当たりにして、手を出そうとは全く思えず、俺は首を縦に振る他無かった。
シャルディンとメルティナが引っ込むと辺りはまた静かになる。
傲慢の獅子が現れた所為か、辺りの魔物の気配も無くなった事で辺りは完全に静寂に包まれており、聞こえてくるのはテントで眠る五人の寝息だけだ。
「…あんなのがまだ他に八体もいるのか…」
「はい…、正直突拍子もない話で…私も混乱していると言いますか…」
話す言葉をお互いに失い、再び静寂が包む。
「とりあえず、さっきの傲慢の獅子と…八体の魔物の話は一旦忘れるとして…えーっと…なんだ、その…さっきのメルと話してた時の話し方…普段もあれでいいんじゃないか?」
静寂が支配する闇の中で無理矢理口を開いた俺が口にしたのは冗談だった。
傲慢の獅子、その存在は俺達の自信を揺るがすどころかあっさりと打ち砕いてしまった。
俺達の前に現れたのは偶然か、あるいはほんの悪戯か、少なくとも今の俺達では歯が立たないのは明白であり、幸いにも襲いに来たわけではなくこうして俺達は生きている。
突然の冗談にクリスは目を丸くするが、すぐに小さく吹き出した。
「くっ、ふふっ…カムイさん、あんなのを見ておいてよくそんな冗談を…。そうね、今の私達では敵わない、だからあの魔物の事は忘れてしまおう。ーーこんな感じでいいですか?」
まさかクリスが冗談に乗ってくるとは思わず、今度は俺の方が目を丸くしていた。
「もう!言い出したのはカムイさんの方なんですから何とか言って下さい!」
「あ、ああ、ごめんごめん。まさか本気で乗っかってくるなんて思わなかったからさ…。えっと、うん、そんな感じでいいと思う、少し堅いイメージが丸くなったと思うぞ」
恐らくメルティナに言われて人知れず練習をしていたのだろうか、仕草も含めて敬語で話す時のやや大人びた雰囲気と比べてクリスが年相応の少女の姿に映る。
「でも、やっぱり慣れない…かな。今までああいう話し方しかしてこなかったから、どうしても違和感があります…じゃなくて違和感があるなぁ」
「まぁ焦る必要は無いんじゃないか?最初はメルや俺の前だけでもいいだろ。少しずつ慣れてけばいいさ」
傲慢の獅子との遭遇を忘れる為に話し始めた冗談は次第に談笑へと変わる。
俺もクリスも切り替えが早い方なのだろう、二人とも今は敵わないと割り切っており、いつか勝てる様になればいいと結論付けて闇夜に小さな笑い声を響かせていた。
ーーー
俺達は途中で目覚めたフォルクとアリーシャに火の番を代わってもらっていた。
「おはよう、セオ。よく眠れたかい?」
「おはようございます、セオドア様、クリスティン様」
目が覚めると既にテントの中は誰もおらず、クローディアとアンリも見張りの為に外に出ていた。
タップは言葉が通じない為、朝食の準備に勤しんでいるらしい。
見る限り、フォルクとアリーシャもとりあえずは昨日の事について整理できているのか、おかしな様子は無く、タップの朝食の準備を手伝っている様だ。
「昨日の事、二人とも大丈夫なのか?」
俺が問いかけると二人は少し反応を見せる。
「ん、あぁ、まぁ考えたってしょうがないからね」
「あんな魔物と出くわしておきながら五体満足で生きているだけ幸運だと考えるべきでしょう。敵わないものは敵いませんからね」
さすがに年長者だけあって彼らも既に切り替えは済んでいるらしい。
フォルクから朝食を受け取り、頬張っているとクローディアが見張りから戻ってくる。彼女も特に普段と変わりない様に見える。
「クローディアさんも問題なさそうですね」
クリスが何気なく呟くと、それまで澄ました表情のクローディアは突然冷や汗を大量に流し始めた。
「無理、無理だからね!? 今からアレ討伐とか絶対死ぬからね!? 全滅だからね!? 無理、無理無理、絶対無理!」
「いや、私も無理ですから。兄様、クローディアさんは駄目みたいです」
「ん、そうだな」
「私だけ!?あんなとんでもないのに出くわして動揺したままなのって私だけ!? 私が普通よね!?」
クローディアの過剰反応と俺の味気ない返事にフォルクとアリーシャが笑みをこぼす。
それから程なくしてアンリも見張りから戻ってくると、身につけていた鎧を外していく。
鎧を脱いだアンリは汗まみれになっており、手縫いを鎧と一緒に置いて、こちらにやってくる。
「おはようございますセオ様、起きてらしたんですわね」
「ああおはようアンリ、汗まみれじゃないか、どうしたんだ?」
「ええ、昨日の魔物、私足が竦んでしまいまして…。重戦士でありながら不甲斐ない自分を律する為に見張りがてら少しばかり鍛錬を。クリスさん、水を浴びたいのですけれどお願いできますかしら」
クリスは「お安い御用です」と両手から雨雲を生み出すと雨を降らせる。
服を着たまま雨のシャワーを浴びたアンリは手拭いを取り、テントに戻って着替えを始めた。
アンリが着替えを済ませてテントから出てくると朝食の準備も整い、全員で朝食を済ませる。
朝食を終え、野営の片付けを済ませると、再びブルダーの村へと歩を進める。その途中で四人に俺とクリスで獣人語での簡単な挨拶や受け答えを教えていた。
ーーー
昼前程から肉食の四肢獣種の縄張りを抜け、草食の四肢獣種の縄張りへと入り込む。
タップの話によるとこの辺りは強力な草食の四肢獣種である甲冑犀の縄張りであり、彼らを刺激さえしなければあとは安全な旅路との事だ。
実際に甲冑犀達は近くを歩いていても何食わぬ顔でのんびりと草を食んでおり、あちらから襲いかかってくる様子はない。
遠目に群れからはぐれたサーベルタイガーの様な魔物が甲冑犀に襲いかかるのが映るが、その牙も強固な甲殻の前には歯が立たず、怯んでいる隙に突進を食らい、更に駆けつけた仲間達に引き摺り回され、あっという間にボロ雑巾の様になっていた。
タップも草食の四肢獣種の縄張りに入ってからは特にコソコソと動き回る事もなく、堂々と俺達を先導しており、その事からも既に安全と言えることが伺える。
結局、以降も何事も無く、日が沈み始める直前には遠目にブルダーの村が目視できる場所まで辿り着くことが出来た。
『お、見えてきたぞ!』
そう言ってブルダーの村に走り出したタップを追いかけて俺達も走り出す。
しばらく走ってブルダーの村の正門に着くと、二人の野牛種の青年が手に持つ棒を交差させ、門を通させまいと道を塞いだ。
『止まれ人族よ、我らがブルダーの村に何の用だ!…ん、そっちの鼠人種は見たことがあるな…プラットンのタップだったか』
『セオドアと言います。アトラシアからの旅の途中でエリウッドさんと知り合いまして、ガルムス大陸に着いたら頼るように言われていまして、通しては頂けませんか?』
門衛の二人にそう告げると俺達を見ながら相談を始めた。
『タップは通っていい。人族の旅人よ、戦士長に確認を取る、少し待て』
門衛の一人が村に入り、他より一回り大きな家へと走る。
しばらくして門衛の青年が黒毛の大柄な野牛種の男を連れて戻ってくる。エリウッドだ。
『ドルマニアンで別れて一年と少しか、皆よく来た。セオドア、クリス、少し背が伸びたようだな』
エリウッドはやってくるなりそう言って大きな手で俺達の頭を掻き撫でる。
『エリウッドさんもお元気そうで』
『背は少しだけだがそれ以上に随分と逞しくなった様だ。この一年で随分と鍛えてきたのだろう?』
エリウッドは俺の肩や胸に触れてそう言うと、今度はフォルク達と握手を交わす。
「フォルクハルト、アンリエッタ、アリーシャ、それとそちらの淫魔種の女もセオドアの仲間か、よく来た、歓迎する」
「ああ、久しぶりエリウッド。お世話になるよ」
「歓迎して頂き痛み入りますわ」
「お久しぶりです、エリウッド様」
「あ、えっと私はクローディア、よろしくね」
お互いに再会の挨拶を交わした所でエリウッドは門衛の青年達に『知り合いだ、通していい』と告げる。
エリウッドにそう言われ、納得した門衛の青年達も構えた棒を納め、俺達が村に入ると再び門衛の仕事に戻っていった。
「まずは俺の家へ案内する。付いて来い」
俺達はエリウッドに案内されるまま、彼の家に上り込む。
もちろんタップも俺達についてきていた。




