第6話 私の名前
夫を亡くした私は、二人の子を抱えて、暮らしを立て直さなければならなかった。
ポーランドに残ることも考えた。けれど夫はもういない。王の都合ひとつで住む場所が変わる暮らしを、いつまでも続けるわけにはいかない。
私はザクセンへ戻った。
王に近い大臣、ヤーコプ・ハインリヒ・フォン・フレミング伯爵。
昔、顔を合わせた際にフランス語の発音を褒めていただいたことがある。フランス語やラテン語など多くの言語に堪能で、外国語の習得に関して一家言ある方だ。
何かあれば連絡をするように、とのお言葉に甘え、手紙を差し上げた。
手紙では、願いをぼかさず、それでいて相手の面目を潰さないよう気を配る。
書き損じた紙が、机の脇に何枚も積み上がった。
フレミング伯の助けもあり、ゼルヒェンの領地を先祖代々の財産として自由に売り買いしてよい、という証書を特別にいただけた。
アウロラ様の息子モーリッツ様は、もう若い軍人になっていた。
少年のころから戦場に出て、今では自分の道を自分で選ぼうとしている。
一七一一年には、父王からザクセン伯爵の称号を与えらた。
自分の子どもたちの行く末を考えずにはいられなかった。
一七一七年の冬の終わり、私はゼルヒェンの領地を売った。
買い手はテシェン公爵夫人。彼女も王の寵姫だった。買ったときより五千ターラーも安い。
市場で二番目に値切りのうまかった私も、公爵夫人には勝てなかった。
取引をするときは、しっかり調べないといけない。
その年、ドレスデンに家を買うことにした。
ランピッシェ小路の東の端、ザルツガッセとの角に建つ瀟洒な家。
元はヴァッカーバルト伯爵が所有していたもので、二年前に建ったばかり。
王の宮殿を手がける建築家の設計だと、仲介人は胸を張った。
銅の小鍋を台所に置き、子どもたちの荷物を運び込んだ。
新しい漆喰と、松材の床と、まだ誰の暮らしもしみこんでいない部屋の匂いがする。
「ここが、私たちの家よ」
娘は窓辺へ走っていき、息子は部屋を見て回る。
二人を眺めながら、アウロラ様から聞いた言葉を思い出していた。
――花が減ったら、どうすると思う。
――自分で花屋を買うのよ。
あの人は女子参事会の役職。
私は家を手に入れた。
◇◇◇
息子のフリードリヒ・アウグストは、学ぶためにパリへ行った。
私は、娘のアンナ・カタリーナとともに暮らした。
二人とも、まだシュピーゲルの姓のまま。
王の子なのに、王の子としての身分がない。
私は、信頼のできる人たちへ手紙を出し続けた。
そのあいだにも、ドレスデンの街は姿を変えていく。
城の西側には、王が祝祭のための広い庭を造らせていた。
砂岩の回廊と、塔のような門と、彫刻だらけの壁。
石工たちの槌の音が、毎日遠くから聞こえてきた。
エルベ川の向こう岸には、王の磁器を飾る館が建ちつつある。
権勢を誇ったコーゼル伯爵夫人は、寵愛を失い、シュトルペン城に幽閉された。
もう二度と出てこられないという噂もある。
プシェベンドフスカ夫人との会話を思い出し、なんともいえない気持ちになった。
◇◇◇
一七二二年、王は私との子をワルシャワへ呼び寄せ、新しい姓を与えた。
息子はルトフスキ、娘はルトフスカ。
そして一七二四年九月十九日、二人は王の子として正式に認められ、伯爵の身分を得た。
知らせを受けて、私は手紙の束を取り出した。
リボンでくくった束は、両手で抱えるほどの厚さになっている。
子どもたちのために、何通書いただろう。
フレミング伯へ、宮廷の役人へ、助けてくれそうな人々へ。
返事をくれた人たちの顔を、ひとりずつ思い浮かべた。
娘はポーランド貴族のビェリンスキ伯爵に嫁いだ。
婚礼の日の娘は、銀糸の刺繍の白い絹の衣装に、真珠の髪飾りをつけていた。
裾を引く長いマントは、侍女が二人がかりで持った。
娘の姿がにじんで見える。
私はアウロラ様に教えていただいたことを思い出し、背筋を伸ばした。
息子は白鷲勲章を受け、大佐になった。
肩から腰へ斜めに掛けた空色の綬の上で、白い鷲が光っている。宮廷画家の前に立つ息子は、大人の顔をしていた。
これからは軍人として生きていくという。まずはサルデーニャ王の軍に入り、トリノへ行く。
ランピッシェ小路の家は、急に静かになった。
私はカトリックに改宗していた。
ストックホルムで洗礼を受けてから、四十年近くが経っている。
ときどきワルシャワへ出かけても、もう王の近くで暮らしはしなかった。
ワルシャワでは、病人の世話をする修道会の病院へ通った。人と会うより、祈って過ごすほうが気が休まる。
それでも子どもたちからの手紙は、届いたその場で目を通した。
◇◇◇
休暇でドレスデンへ帰ってきた息子が言った。
「母上、コーヒーの淹れ方を教えてください。陣中で飲みたいのです。あちらでは泥水のようなものしか出なくて」
父親と同じ言い方をするので、私は笑いをこらえて銅の小鍋を出す。
豆の煎り方、挽き方、水と砂糖の割合を教えると、息子は真面目な顔でいちいち手帳に書きとめた。
「泡が上がったら火から外して、落ち着いたら戻すの。これを三回」
「どうして三回なのですか」
「三回目の泡が一番おいしいからよ」
「それは、主観ではありませんか」
昔、同じことを尋ねたアウロラ様の声が耳に蘇る。
あの人も、そう言って笑った。
「そうね。前にもそう言われたわ」
息子は首をかしげたが、それ以上は聞かなかった。手帳に三回と書き、その下に二重線を引いた。
◇◇◇
一七二八年の冬、クヴェードリンブルクから黒い封蝋の手紙が届いた。
アウロラ様の訃報だった。
私は手紙を膝に置き、長いあいだ窓の外を見ていた。踏み固められた雪が灰色に光っている。
あの人が最初に居候だと言ってくれなければ、私はどうなっていただろう。
言葉を覚えたら他所へ行ってもよいと言われたのに、私は残った。
彼女の手紙を代筆し、髪を結い、一緒にドレスデンへ。
モーリッツ様が生まれれば、そのお世話。
ワルシャワへ行ったのも、もとをたどれば、あの人の家にいたからだ。
最後には、二人の間に距離ができてしまった。
けれど宮廷の作法も、子どもを認めてもらうための頼み方も、みなあの人に教わった。
遠いウイヴァルの街を思い出す。あの街から連れてこられた四人のうち、ほかの三人は今どこにいるのだろう。
その日はコーヒーを淹れず、アウロラ様の好きだった甘いワインを一杯だけ飲んだ。
◇◇◇
一七三三年二月、ワルシャワからドレスデンの家に、王が亡くなったと知らせが来た。
王は最後まで、ドレスデンとワルシャワの二つの宮廷を行き来していた。
この数年、私は王とほとんど顔を合わせていなかった。
息子も娘も成人し、それぞれの暮らしを持っている。王の居場所も、宮廷から届く知らせで知ることのほうが多かった。
それでも、あの人がいなくなるとは思っていなかった。
使者は、王の遺体がクラクフへ送られると告げた。
ザクセンへ戻ってくるのは、心臓だけだという。
「そうですか」
私はそれしか言えなかった。
台所へ行った。
豆を煎って挽き、銅の小鍋に入れる。
百でも用意すると言われて三つ届いたうちの、最後に残ったひとつ。
磨きすぎて、縁の銅が薄くなっている。
いつものように三回泡を立て、杯を二つ並べる。
両方に注ぎ、湯気が薄くなるまで眺めた。
窓の外では、雪がまた降りはじめていた。
◇◇◇
しばらくして、宮廷で王を悼む記帳があると知らせがあった。
私は黒い服を着て、黒いレースの頭巾をかぶり、ランピッシェ小路の家を出た。
小路の西の突き当たりに、新しい聖母教会の石の壁が足場に囲まれてそびえている。
古い教会を取り壊したあと、何年もかけて白っぽい砂岩を少しずつ積み上げていた。
丸い屋根が載るのは、まだ先だという。
あの人は、その屋根を見ずに逝った。
城の広間は、黒い布で覆われていた。
燭台の蝋燭はすべて灯り、蜜蝋の甘い匂いが冷えた石の匂いと混じる。
帳面には貴族の名前が並んでいた。
私はペンを取り、マリア・アウロラ・シュピーゲルと書いた。
少し迷ってから、その横に小さく書き足す。
右から左へ、ウイヴァルの先生に習った、この宮廷の誰にも読めない字で。
فاطمه(ファティマ)、と。
この物語の主人公ファティマは実在の女性です。オスマン帝国の捕虜としてヨーロッパに渡り、ケーニヒスマルク伯爵令嬢アウロラのもとで洗礼を受け、のちにザクセン選帝侯アウグスト強王との間に二人の子をもうけました。
本人の言葉を伝える史料は限られており、生没年も定かではありません。物語の多くは想像で補い、アウロラとの関係など史実と変えたところもあります。
「史実をもとにした物語」として楽しんでいただければ幸いです。
青い瞳と高い教養で賞賛されたファティマは、穏やかで慎み深く、アウグストの好みとは違っていたともいわれます。それでも彼はたちまち心を奪われたそうです。
ちなみに伯爵令嬢アウロラは、多くの言語を話し、作曲やオペラの台本まで手がけた才女でした。アウロラのエピソードもたくさんあります。今回は脇役でしたので、書きすぎないように苦労しました。
何人もの愛妾をもち、子どもが三百人以上いたというアウグスト強王。だからこそこの物語では、愛妾の一人としてではなく、ファティマ自身として生きた時間を書きたいと思いました。




