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八甲田山転生 ~現代知識で雪中行軍を生き抜く。犠牲者は、出さない~  作者: 露李鈴
第三章 1902年1月24日(二日目)

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第二十一話 誰も、口にしなかったこと

 吹雪の中でも、隊列は崩れていなかった。


 号令は通り、

 歩調も揃っている。


 兵たちは黙々と足を運び、

 誰一人、声を荒げてはいない。


 だが、それが、かえって異様だった――



 規律が保たれすぎているのだ。


 思考停止に近い静寂。


 これこそ、八甲田の仕掛ける恐ろしい罠。



 『正常性バイアス』による、緩慢な、


 死への行進だった。



――――――――――


 俺は、列を横切り、前へ出た。


 少尉の身で、行軍中に隊列を乱す行為は、

 平時なら厳罰に値する。


 だが、今は、その規律ルール自体が

 部隊を殺そうとしている。



「大尉殿!」


 風を切って声を張る。


 神成文吉カンナリ ブンキチ大尉が足を止め、

 その鋭い眼光で振り返る。


「何だ、小林少尉」


 その傍らには、井上徳蔵イノウエ トクゾウ中尉が控えている。


 彼は、雪に煽られぬよう地図を押さえつつ、

 絶えず、後方の隊列へ視線を配っていた。



「現在位置について、上申いたします」


 俺は懐から羅針盤を取り出し、神成大尉に示した。


「進路は維持。歩数と時間も、

 計画値からの乖離かいりは僅かです」


 周囲の将校たちが、

 こちらを見る。


 井上中尉も、

 静かに視線を上げていた。


 数字の上では、何も問題はない。


 ……だが。



「ですが、地形が合いません」


 神成大尉が眉をひそめる。



「田代に至るはずの、

 緩やかな降斜面が確認できません」


 次第に、俺の言葉には熱がはいる。


「計算上、我々は、すでに

 目的地を通り過ぎているか、あるいは――」


 そこまで言葉を告げたところで――


「同じ場所を、円を描いて歩いている可能性ですな」


 俺の熱を、一旦、冷ますように。


 だが、冷静に、

 言葉を添えたのは井上中尉だった。



「小林少尉の指摘はもっともです」


 井上中尉は手帳を取り出した。


「先ほどから行李こうり隊の速度が、

 二割低下しています」


 井上中尉は、俺の報告を、

 単なる「不安」としてではなく、


 部隊管理の観点から、

 即座に数値化してくれた。



「雪の深さだけでは説明がつきませんな」


 手帳に記載されている内容から、

 その内情を説明をする。


「まるで、同じ斜面を、何度も、

 上り下りさせられているような徒労感が、

 兵たちの体力を、奪っている可能性も考えられます……」


 井上中尉は、手帳を閉じると、

 神成大尉へ向き直った。



 そこで、また、俺は口を開く。


「このまま、確信のない前進を続ければ、

 今夜の設営に、必要な体力を使い果たします」


 今夜、田代には到着できない。

 それを認める必要がある。


「今の我々に必要なのは、距離を稼ぐことではなく、

 確実な『拠点の構築』かと……」


 そこで、一拍のあと。


「態勢を立て直さねば、

 明朝までに、凍死者が出るかもしれません」


 俺は、ハッキリと言い切った。



 瞬間、八甲田が、

 激しいうなり声を上げた――



「……そうか」


 神成大尉は、白の彼方へ視線を投げる。



「私も、同じ違和感を抱いていた」


 誰もが感じていた。


 だが、軍隊という組織において「前進の中止」は……、

 それを口にするのは、敗北を認めるに等しい。



 普通なら、

 誰も、口にできない――



 それを、俺が現場からの視点を突きつけて、

 井上中尉が論理で裏付けてくれた。




「井上中尉、周辺の雪質と斜面はどうだ」


 神成大尉が口をひらいた。

 それは、次の行動に移るための準備だった。


「左手に、風を背にできる凹地があります」


 井上中尉の回答に淀みはない。

 

「雪も締まっており、雪濠を掘るには最適かと。

 確かに、今なら兵たちには『掘る力』が残ってますな」



 井上中尉も、歩きながら、計算していたのかもしれない――


 どこなら止まれるか、を……。



「……そうか」


 神成大尉は、列全体を見渡す。


 この猛吹雪のなかで、

 二百余の人影が亡霊のように揺れていた。



 進むか、戻るか、止まるか。



 この八甲田で、

 その正解を知る者はいない。


 それでも、指揮官は、

 常に答えを出さねばならない。



「本日の前進は、ここまでとする!」



 一度、声が落ちれば、そこからは早かった。


「周辺を探り、第二野営地を設ける!

 風と、雪を遮れる場所を選べ!」



 神成大尉の声が響きわたる。


 それに、井上中尉が即座に応じる。



「各小隊へ伝令、

 体力の残っている者から作業にかかれ!


 行李こうりの荷解きは後回し、

 まずは、風除けの構築を最優先だ!」



 慌てず、的確に――


 神成大尉の決断と、

 井上中尉の差配によって、


 破滅の縁に、足をかけていた部隊が、

 わずかな「生存」という道に再編されていく。



「少尉」


「はっ」


「お前の進言、

 それこそ、現場の目だ――」


 短い言葉だったが。


 そこには確かな承認と、信頼が宿っていた。



 * * *


 史実では、ここでの違和感は先送りされた。


 目的地を見失ったまま、

 前進か、後退かすら曖昧な状態で、

 彼らは歩き続けた。


 結果、残されていた、

 わずかな体力さえも「彷徨」の中に消えていった。


 * * *



 だが、今は違う。



 俺が石を投げ、

 井上中尉が波紋を広げ、


 神成大尉は決断した。



 生きるため、俺たちは――


 勇気を持って、

 立ち止まるのだ。


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― 新着の感想 ―
 一投!勇気isi! 広がる波紋(数値化後押し) トップの決断 (この世界線、新ルートが?!開い た?!) ハラハラ(^_^;)(人ω<`;) 皆様無事完了を祈り
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