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八甲田山転生 ~現代知識で雪中行軍を生き抜く。犠牲者は、出さない~  作者: 露李鈴
第二章 1902年1月23日(一日目)

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第十二話 夜の試練

 夜は、容赦なくやって来た。


 行李隊こうりたいと合流した時点で、

 空は、すでに暗くなり始めていた。


 雪は、なおも勢いを増し、

 陽が落ちると同時に、

 はっきりと寒さが変わる。


 気温は、氷点下十五度前後。

 だが、風がある。


 体感は、

 それより、はるかに下がる。


 立ち止まっていれば、

 数分で、指先の感覚が鈍る。


 昼の八甲田は、

 まったく別の顔を見せ始めていた。



「……ここで夜営だ」


 神成文吉カンナリ ブンキチ大尉の声が、

 風に流される。


 判断としては、妥当だった。


 最終目的地の「田代」まで、

 残り一・五キロ。


 目と鼻の先。

 だが、この猛吹雪と急斜面では、

 その僅かな距離ですら、命取りになる。


 さらに、問題は――

 夜営の準備が、まったく整っていないことだった。



――――――――――


 雪濠せつごうを掘る作業が、ようやく始まる。


 だが、遅すぎた。


 行李隊こうりたいの到着が遅れたことで、

 日没まで、ほとんど準備が進められていなかった。


 なにより、スコップが圧倒的に足りなかった。


 二十人に一本。


 順番を待つ間、

 兵は立ったまま、吹きさらしになる。



 ――足りないことは、事前に分かっていた。


 出発前、スコップの追加を申請した。

 だが、却下された。


 準備期間が短い。

 そして何より、「荷が重くなる」。


 確かに理屈は通る。

 鉄製の道具は重い。

 数を増やせば、それだけ行軍の負担になる。


 だが、雪中では――

 掘れないことの方が、致命的だ。


 掘る。

 待つ。

 冷える。


 この繰り返しが、体温を奪っていく。


 * * *

 ――史実では。


 この時点で、

 十分な雪濠は作れなかった。


 休めない夜。


 それが、後の崩壊を決定づけた。


 * * *



「酒井軍曹」


 俺は、声を落として言う。


「深さはいらない。風除けを優先しろ」


「全員分は作るな。交代で使う」


 酒井徳次郎サカイ トクジロウ軍曹は、

 一瞬だけ迷い、すぐに頷いた。


「了解しました」


 命令ではない。


 だが、現場は動く。



 出来上がった雪濠は、浅かった。


 お世辞にも立派とは言えない。


 だが――

 風は、切れた。


 それだけで、世界は変わる。



――――――――――


 次は、火だ。


 雪の上に直接置いた器具は、

 すぐに沈む。


 史実では、ここで火を起こせず、詰んだ。



火床ひどこを作る」


 俺は言う。


「まず、雪を踏み固めろ。

 背負子しょいこと板を下に敷け」


 即席の土台だ、完璧には程遠い。


 だが、沈まない。



 木村勇キムラ イサムが、

 黙って動く。


 火起こしは、彼に任せてある。

 周囲は補助に回る。


 火起こしの専任。

 それだけで成功率は上がる。


 俺の分隊には、事前に、

 最悪の場合の対処法として伝えていた。


 そのためか、俺の声を合図に、

 手際よく動いてくれた。


 * * *

 ――史実では。


 誰もが火を起こそうとして、

 誰も成功しなかった。


 豪雪という環境は、

 すべてを狂わせる。


 * * *



 火が、ついた。


 小さな炎。

 だが、確かに燃えている。


 一人が息を吐き、

 二人が手を伸ばす。


 それだけで、

 この夜は違うものになる。



 その様子を、

 周囲の分隊も見ていた。


 足を止め、

 こちらをうかがう兵がいる。



 俺は、木村を見て指示をだす。


「直接、手は出すな。やり方だけ伝えろ」


 木村は一瞬だけ目を丸くし、

 すぐに頷いた。


 道具の置き方。

 火床の作り方。

 雪の踏み固め方。


 部隊の誰もが訓練を受けている。


 この異常ともいえる環境下のおいての、

 やり方さえ、わかれば、あとは対応できるはずだ。


 言葉だけ。


 それで、十分だった。



――――――――――


 しばらくして、酒井が戻ってきた。


「木村が、他の分隊の火起こしを

 見てまわっていました。


 喜ばれていましたよ。

 やり方が分かるだけで、随分、違うようです」


「そうか」


 暗闇の中で、小さな灯りが、

 ひとつ、またひとつと増えていく。


 今夜は、

 火のない夜にはならない。



 食事は、簡素だった。


 炊くことはせず、

 温めるだけ。


 凍った糧食を溶かし、

 温かい汁を一口。


 十分じゃない。

 だが、ゼロではない。


 それが、大事だった。



 凍てつく夜は、厳しい。


 眠れない者も多い。

 休息は、十分とは言えない。


 それでも――

 この時点で、まだ凍死者は出ていない。


 それが、すべてだ。



 雪濠せつごうの陰で、酒井が小さく言った。


「また、少尉殿の言ってた通りですな」


「ああ」


 それ以上の言葉はいらなかった。



 火のそばで、

 誰かが小さく歌い始める。


 軍歌だ。


 命じられたものじゃない。

 寒さに追い立てられたわけでもない。


 ただ――

 生きていることを、

 確かめるような歌だった。



 ……見ているか、


 小林守コバヤシ マモル


 お前が守りたかったものは、

 これだったのか。


 俺は、

 ちゃんと、できただろうか。



 一日目の夜を、越えた。


 それだけで、

 史実とは違う場所に立っている。


 だが、

 試練は、まだ終わっていない。


 山は、こちらが油断する瞬間を、

 静かに待っている。


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