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八甲田山転生 ~現代知識で雪中行軍を生き抜く。犠牲者は、出さない~  作者: 露李鈴
第三章 1902年1月24日(二日目)

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第十三話 観測史上最低の朝

 気温、零下二十度。


 八甲田の空は、荒れ狂っていた。


 風は、昨日とは比べものにならない。


 雪は横殴りに吹き付け、

 視界は、刻々と削られていく。


 立っているだけで、

 体力と判断力が、

 静かに、そして確実に奪われていく。


 この天候。

 この距離。

 この疲労。


 どれを取っても、

 「帰営」の判断が妥当だろう――



――――――――――


「……寒っ……」


 雪濠から身体を乗り出した瞬間、

 俺の肩がびくりと震えた。


 肺に流れ込む空気が、

 痛い。


「八甲田山雪中行軍、か……」


 知識としては、

 分かっていたはずだった。


 この日。


 日本の観測史上に刻まれる、

 最低気温。


 そんな「最悪の一日」に、

 雪中行軍が重なってしまった悲劇。


 だが――


 理解していたことと、

 実際に立たされることは、

 まるで別物だった。


 昨日までの状況で。


 俺は「八甲田山雪中行軍」を、

 体験し、理解したつもりになっていた。


 勘違いも甚だしい。


 一九〇二年 一月 二十四日。

 雪中行軍、二日目の夜。


 本番は――


 ここからだった。



 目的地の「田代」まで、

 残り一・五キロ。


 目と鼻の先。


 だが、問題は距離ではない。

 この暴風雪である。


 * * *


 史実の通りであれば、

 ここで「帰営」の判断が下される。


 そして――


 その帰路で道を見失い、

 遭難し、歴史に残る惨劇が始まる。


 * * *



 だが、今回は違う。


 夜を越えた。


 火を起こした。


 最低限の食事と休息も取れた。


 凍死者は出ていない。

 地図もあり、道を見失っていない。


 それが、無言の「成功」として、

 隊全体を包んでいる。


 これなら戻れる。

 これなら帰路に耐えきれる。


 そんな、錯覚を、生むには。


 十分すぎる材料だった。



――――――――――


 神成文吉カンナリ ブンキチ大尉は、

 地図を見つめていた。


 その周囲に、

 山口鋠ヤマグチ シン少佐、井上徳蔵イノウエ トクゾウ中尉。


 他、将校たち――


 そして、軍医が続く。


 声は低く、

 だが、途切れることはない。


 進めば、予定通りの行程。

 戻れば、演習の意義は薄れる。


 どちらも、

 軍人としては正しい。


 だが、

 選ばねばならない。



――――――――――


 明治三十五年一月二十四日。


 午前五時。


 第五連隊、

 八甲田山雪中行軍隊。


 前夜ノ露営、

 特段ノ支障ナシ。


 予定通リ、

 行軍ヲ再開ス。


――――――――――



 本来なら――


 史実なら――


 風雪と寒気の激化を理由に、

 予定を前倒しで、


 午前二時半、

 「帰営」の号令が、


 出されてはずなのに――



 だが、

 今、目の前にあるのは――


 当初の計画書通り、


 午前五時頃、余裕をもって、

 出発の号令が下された。


「……馬鹿な」


 その言葉は、

 吹雪に紛れて消える。


 この歴史の皮肉。

 俺以外、誰も気付く者はいない。



 唸るような暴風雪の中、

 列が、ゆっくりと動き出す。


 一寸先も見えない。

 一歩踏み出すたびに、体が持っていかれる。


 それでも、

 進むという決断が下された。



――――――――――


 酒井が、俺の隣に来て、

 声を落として言った。


「……行軍ですな」


「ああ」


 それ以上、

 言葉を交わす余裕はなかった。


 誰にも気付かれないよう、

 唇を噛みしめる。


 隊を、立て直しすぎた。


 夜を越え、火を起こし、

 致命的な遅れを出さずに、


 ここまで、無事に来てしまった。


 その結果、

 行軍が「可能」に見えてしまった。



 なんて不条理だ――



 判断基準が、何だ。


 安全が、何だ。


 俺は、俺自身の手で、部隊を、

 さらなる死地へ押し出してしまったのだ。



 これは、もう戻れない。



 目的地の「田代」まで、一・五キロ。

 平時なら、歩いてすぐの距離。


 だが――


 これから始まるのは、


 日本観測史上、最低気温となる、

 八甲田山雪中行軍における、



 地獄の、一・五キロだ。



 そんな、俺を、嘲笑うかのように、


 はるか頭上では、

 今も、八甲田の風は荒れ狂っていた。


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― 新着の感想 ―
まぁ上手く行ってるように見えたらならそうなるよな・・・やめられんのは現代でもか。
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