12 素っ気ない公女と推し量る王太子②
答え合わせをするまでもないがそっと後ろを振り返り、その声の主を確認する。
そこには2年分以上も成長したルイスがいた。ルイスは精悍な顔付きをしていて表情には甘さがなく、子供らしさを切り落とした碧い眼には代わりに王の風格が宿っている。背はアリシアを優に超え、鍛えた身体は黒地に金刺しゅうを施した正装下でもくっきりと際立っていた。
どれほどの努力と我慢を重ねてここまで成長したのか、考えただけでも眩暈がする。きっと血の滲むような努力に違いない。
「で、殿下……」
ルイスの視線とぶつかると顔がパッと和らぎ、神々しい光が乱反射したように煌めいた。他の令嬢なら頬を紅く染めてその瞳に愛を刻むが、アリシアの瞳は眩しくて潰れそうだ。
ルイスは誰よりも先を闊歩し、完璧な存在になっていると見ただけで理解る。片や、アリシアは零性遺伝子持ちで「無限ハプニングを起こす呪い」持ち。バリバリの不幸体質で将来が不透明な状態だ。
アリシアは凍り付きそうな笑顔をルイスに返すだけで、精一杯だった。
「久し振りだな、変わりはないか?」
「ええ、特に何も……あ、私としたことがご挨拶を忘れておりました。ジュラベルト王国の聖星、ルイス王太子殿下にご挨拶申し上げます。2年振りにお会いしましたが、ますますご活躍の段、拝察いたします」
アリシアはスカートを抓んで、丁寧にお辞儀をする。
アリシアの挨拶言葉は、城館の本棚にある小説から真似たものだった。その小説はジュラベルト王国の王宮を題材にした話で、200年前の実話を基にして創られている。エステル王妃が当時の国王に送った挨拶言葉だが、それはただの挨拶ではなかったのだ。
聖星とは聖なる星、つまり王や王になる者を示す言葉だが、「手に届かないほど、遠くで輝いている」という意味も併せ持っている。これを訳すと、「もう貴方は、遠い存在になっている」という意味だ。当時の国王は愛妾ばかりに現を抜かし、エステル王妃をないがしろにした。その時にエステル王妃が発した挨拶言葉だという。
小説ではその言葉の下に、「気持ちも離れている」という意味も込められていた。大っぴらに文句の一つも言えなかった王妃は公の場で国王に挨拶をする時、最大限の嫌味としてそう言った。
今のアリシアはエステル王妃と全く同じ環境下に置かれているとは言い難いが、「遠い存在になっている」という点については共通している。むしろ今のアリシアには呪いの件が片付くまでの間、もっと遠い存在でいて欲しいという気持ちさえあった。
(ええっと……、どうやってこの場を切り抜けようかしら)
アリシアの知識は一般教養、作法やマナーと魔法学(初級)だけ。ローランドやリーサはアリシアの教育に力を入れてこなかった。病弱・短命を理由に2人は社交場にアリシアが出席することを許さない。また、茶会の誘いも全て欠席させていた。
そのため、失礼のないことが前提でそれでいて捻りのある切り返し方は、本以外では学んでこなかったのだ。
そんなアリシアの挨拶に対しルイスは無言だった。手を口元に添えて何かを考えるように固まってしまう。
挨拶言葉の意味に気付いたのではないかと不安が過ぎり、アリシアは内心冷や冷やしたが、すぐに別のことで頭がいっぱいになった。もうすぐハプニングが襲ってもおかしくない時間なのだ。
「あの、殿下。大変申し上げにくいのですが、用事がありますので――」
「まだ挨拶だけしかしていないが?」
「では、用事を終わらせてからまた――」
「その場所に向かいながらでいい。少し話がしたい」
「……は、い……」
ルイスの強引さに負けて折れたが、まだ策がなくなった訳ではない。歩調を速めて先を急げば、話の時間は短縮できるのだ。その間ハプニングが起こらないよう祈りながらではあるが、この方法に賭けるしかなかった。
アリシアの靴は高いヒール靴。その靴で綺麗に磨かれた床石の上を姿勢を正し、重心を真っ直ぐにして綺麗な速歩で急ぐ。だんだん息が上がってくるアリシアに対し、並行かつ同じ速さで歩くルイスは、呼吸を一つも乱さず終始何か言いた気な顔をしていた。
「……急ぐほどの用事だろうか?」
「はい。ですから殿下とのお話は、3年後くらいに改めてくださると助かります」
「3年後か……。2年でもきつかったが」
「気休めの言葉は要りません。私がハンカチと手紙をお父さま経由でお渡しした後、殿下から何も返事はありませんでした。仰らなくても分かっているつもりです」
「待て、それはどういう――」
急いだせいか、呪いのせいか、はたまた偶然か。
ピカピカに磨かれた床の一部がアリシアに牙を向く。
キュッとヒール靴と床の摩擦音がするのは、左足が滑ったせいだ。右足で踏ん張ったが先の尖ったヒール部分が折れた。ヴィヴィからの逆おさがりでもらった靴だが、比較的新しいものだ。ヴィヴィは『靴を新調するから、可哀そうなお姉さまにあげるわ。デザインに飽きちゃったし』と言い、アリシアに手渡した。1年前くらいの話だ。
サイズアウトしたアリシアの足にはその靴はもう小さいが、持っている靴の中で一番美しい靴だった。惨めでも足が擦り切れようとも、アリシアはその靴を履く。今まで奪ってきた側のヴィヴィが初めてくれたものだったからだ。
しかし幸か不幸か。そのヒール部分がポキッと折れてしまったがために、アリシアは王城の天井を仰ぎ見ることになった。
後ろに倒れる瞬間、
「アリシア!」
背中に力強い腕が触れた。恐怖に顔が引き攣るアリシアはそれがルイスの襟元だとも知らずに、縋る想いで引っ張った。ルイスはバランスを崩しアリシアと仲よく床に転ぶ。
アリシアは仰向けに倒れ、ルイスはそんなアリシアに覆い被さるようにして倒れた。
(……痛く、ない?)
そっと目を開けると、アリシアの頭にはルイスの手が添えてある。床に叩き付けられないように支えてくれた手だと、アリシアにはすぐに分かった。
「あ、あり……とうございます」
こういうハプニングに免疫がないアリシアの身体は、少しずつ熱を帯びていく。ルイスの整った顔が間近にあるのだ。アリシアの心臓は、華奢な身体を突き破りそうなほど音を立てていた。
「あ、すまない」
ルイスは顔色を変えずに淡々と返したが、添えた手は離れる気配がなかった。アリシアには今のルイスが何を考えているのか、さっぱり分からない。2年前のルイスは喜怒哀楽がはっきりしていて、読みやすかった。しかし、目の前のルイスは年齢以上に大人びていて、感情を隠すのが上手だ。
ルイスはアリシアの瞳を覗き込むと、「大丈夫か?」と聞いた。
「はい。おかげさまで――――殿下、上を……!」
廊下を煌びやかに飾るシャンデリアは、等間隔に吊り下げられている。丁度、アリシアの真上にはその豪華なシャンデリアが輝いているが、片方の留め具が外れていた。
「上?」
言われた通りにルイスが上を向くと、タイミングよくそれは落ちてくる。息もつかせないほどのハプニングの起こり方に、アリシアの顔から血の気が引いた。




