第2話 シナモン香る結び目のパン
今日は日が傾きかけた頃には配達を終えることができたので、リリアは遅めの昼ごはんを調達しようと、くまのパン屋を目指して歩き出した。
ところが、この前とは別の道から行こうとしたのが間違いだったのか、なかなか辿り着けない。先日は空腹のあまり匂いに敏感になっていたのだろうか。リリアは地図をもう一度広げた。
すると、突然びゅうっと強い風が吹いて、地図をさらって行ってしまった。
「わ、待って!」
リリアは慌てて追いかけた。狭い小道を夢中で駆けて行く。
息を切らしながら走っていると、風がふっと止んだ。落ちていく地図を掴もうと手を伸ばす。その手を避け、地図は右へ左へとリリアを弄ぶように舞うと、ふわりと落ちた。
「はぁ……あれ?」
地図を拾って顔を上げると、リリアの目の前にあのパン屋があった。
「……もしかして、また精霊さんかな?」
リリアは心の中で精霊に感謝しながら、開店中の札の下がったドアに手をかけた。
カラン、と軽やかな音が鳴って、大好きなパンの香りを思い切り吸い込む。
「こんにちはー」
店内は誰も居なかった。バナードの姿も見えない。
リリアはくまのぬいぐるみの頭をひと撫ですると、バナードに挨拶をしようとカウンターへ向かった。
「……。……」
話し声が聞こえて、リリアは足を止めた。
来客中なら邪魔をしてはいけないと、陳列棚に目を向ける。ガラス越しに、前回もらったものと同じくらいのパンが、ころころとカゴに入っているのが見えた。リリアはその中の一つ、結び目のような形のパンに目を止めた。可愛らしい形に目を細める。
ガタン、と音がしたかと思うと、慌てた様子のバナードが奥から顔を出した。
「あ、いらっしゃい」
「こんにちは。もしかして、誰か来てますか?出直しましょうか?」
「いや、問題ないよ」
「そうですか?じゃあ、このパンをお願いします」
「いいのを選んだね。ちょうどシナモンの味が馴染んだころだ」
バナードは明るい声で言うと、カゴごとカウンターへ持っていく。リリアが味を想像しながらうきうきと見ていると、彼はふと動きを止めてリリアに向き直った。
「突然だけど……クラインさん、絵を描けたりする?」
「描けるというほどでは。人並みに?」
バナードは頭の後ろに手をやり、言いにくそうに話した。
「ちょっと困ってることがあるんだけど、なかなか相談できる人がいなくて……」
「何ですか?」
リリアが笑顔で促すと、バナードはエプロンのポケットから一枚の紙を取り出した。
「実は作ってみたいパンがあるんだけど、なかなかイメージを形にできなくて。可愛らしくて、できれば小動物のモチーフがいいんだ。こんな感じの」
「……芸術的ですね」
その絵は、とても小動物には見えない、何か禍々しい生き物のように見えて、リリアはなんとか言葉を捻り出した。
リリアはバナードから紙とペンを受け取ると、カウンターの上に紙を広げた。思い浮かんだ動物をサラサラと描いてみる。可愛らしくて木登りが上手な、小さい動物。
「こんな感じですか?」
バナードは絵を受け取り、顔を近づけてじっと見つめた。そろそろ紙に穴が開くのではないだろうかと思ったころ、勢いよく顔を上げた。リリアはびくりと肩を震わせる。
「すごい!これだよ!ありがとうクラインさん!」
表情はほとんど見えないが、心の底から喜んでいることが伝わってきて、リリアは笑顔になる。
「リリアでいいですよ。お役に立ててよかったです」
「じゃあ、俺のことはバナードと。しかし、すごいなあ、こんなに可愛らしいリスをさらっと描けるなんて。羨ましいよ!」
手放しの褒め言葉に少々照れながら、リリアは言った。
「バナードさんは、かわいいものが好きなんですね」
バナードは一瞬動きを止めた。
「うん」
「私も大好きです、かわいいもの。このお店の雰囲気も、かわいくてあったかくて、すごく素敵だと思います」
「……そう言ってもらえると、うれしい」
バナードは静かに言って、絵をそっとエプロンのポケットにしまった。その途端、リリアのお腹から不満の声があがり、慌てて手で押さえる。
「ごめん。お腹空いてるよね?」
「いえ、お構いなく!パンを買ったら帰りますので!」
恥ずかしさに早口になるリリアに、笑いを含んだ声がかかる。
「よかったら奥で食べていって。せめてもの御礼に」
そう言われてしまうと断り辛い。バナードに手招きされ、リリアは戸惑いつつ店の奥に足を踏み入れた。
奥の部屋はパン工房らしく、パン焼きかまどや様々な大きさの容器、粉ふるいなどの道具が置いてあったが、綺麗に整頓されていて広く見えた。誰もいない。先程の話し声は気のせいだったようだ。
棚の上には切り売りするのだろう、大きなパンが置いてあり、リリアの胸をときめかせた。手前に小さなテーブルと、椅子が一脚置いてあった。
「コーヒーは飲める?」
「はい、飲めます。あ、でもお気遣いなく!」
リリアに椅子を勧めると、バナードは工房の奥へ向かった。そわそわと待っていると、香ばしい匂いが漂ってくる。
「お待たせ。どうぞ」
差し出された木製のトレイに乗っていたのは、先ほど選んだパンと、ミルク入りの温かいコーヒーだった。
「いい匂い……なんだかすみません、飲み物まで」
「いえいえ、こちらこそ素晴らしいデザインをありがとう」
そう言って、バナードも自分のコーヒーを入れると、少し離れたところに置かれた踏み台に座る。
「デザインというほどのものでは……えっと、では、いただきます」
ぱくりとかぶりつくと、シナモンの豊かな香りが広がっていく。甘過ぎない生地との相性が抜群で、リリアはうっとりと目を瞑った。
「幸せな味がします」
「それはよかった」
パンを食べ終え、息を吹きかけながらようやくコーヒーを飲んだところで、バナードがこちらを見ていることに気がついた。リリアは慌てて立ち上がる。
「ごちそうさまでした!あの、営業中なのに気を遣っていただいて、ありがとうございました。もう帰ります」
「ああ、うん、いいんだ。午後はほとんどお客さん来ないから」
「え?」
「……実はこの店、オープンしたばかりなんだけど、あんまり……その、お客さんが少なくて。午前中に近所の年配の方がちらほら来るぐらいで」
「そう、なんですか……こんなに美味しいのに」
「ありがとう。俺を見て帰っちゃう人もいるから、怖がらせちゃってるのかなあと思うんだけど。女の人なんか特に」
「……」
リリアも一度悲鳴をあげかけている。確かに、店の見た目の可愛らしさで入ってきた人は、バナードを見て驚くだろうとリリアは思う。しかし指摘するには、少々デリケートな問題である。
「ごめんね、こんな話。まだ始めたばかりだし、がんばるよ」
「あの、私も、この仕事を始めたばかりなんです。地図を見るの、まだ慣れなくて。お互いがんばりましょう」
リリアがなんとか励ましたくて言葉を紡ぐと、バナードはうん、と頷いた。
パンの代金をデザイン料だと言って受け取ってもらえなかったリリアは、他のパンをいくつか選び、下宿先のシューマン夫妻に買って帰ったのだった。
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