精霊祭の贈り物 前編
ある日リリアが帰宅すると、メリアが夕飯に誘ってくれた。なんだかそわそわとしていた彼女は、席に着くなりこう切り出した。
「もうすぐ精霊祭の日だけれど、リリアちゃん、どんな日か知ってるかしら?」
「お祭り、ですか?」
メリア曰く、精霊祭とは精霊に感謝をする日で、夕食のときに家族や親しい人たちと共に祈りを捧げるのだという。その日はどの家も外の蝋燭立てに火を灯すそうなのだが、何故かその日は遅くまで灯が消えることはないのだとか。
「不思議よねえ。きっと精霊のおかげなんでしょうね。小さな光がたくさんで、とっても綺麗よ。それからもう一つ、親しい人に贈り物をするのがメインイベントなの!それで、リリアちゃんは何か欲しいものはある?」
「ええっと……すみません、すぐに思いつきません」
リリアは眉を下げて答えた。メリアはこれが聞きたかったらしい。今のところ、これといって必要なものはないし、こちらから夫妻にたくさんの贈り物をしたいほど、良くしてもらっているからだ。
「そうよね……リリアちゃんならそう言うかもしれないと思ったわ」
メリアはひとつ頷くと、パンを一口分ちぎった。
「じゃあ、こちらで考えておくわ。楽しみにしていてね」
「は、はい……」
お土産のパンをにこにこと味わうメリアに、リリアはどんなものが用意されるのか、少し怖いような気持ちで頷いた。こちらも急いで考えなければならない。
仕事の後、夕方にくまのパン屋に寄ると、ちょうどお客さんはいなかった。
「精霊祭?」
「はい、精霊に感謝する日で、親しい人に贈り物をするんだそうですよ」
バナードはあっと声を上げた。
「そういえば年に一回、親方と奥さんと贈り物を交換してたな。あれはそういうことだったのかも知れない。俺が送ったのは大したものじゃないんだけど。靴下とか、ハンカチとか、あとエプロンとか」
「なるほど、参考になります。下宿先のシューマン夫妻に何を贈ったらいいか、思いつかなくて……それに、ミネタさんたちにも。とてもお世話になっているので」
「うん、それは悩むね」
一緒になって考えこんでくれたバナードを見て、リリアはハッとした。バナードにこそ、贈り物が必要ではないかと気がつき、内心で慌てる。でも何が欲しいか聞いてしまったら、きっとリリアにも贈ろうとするだろう。
「あの、ありがとうございました。もう少し考えてみます!」
「あ、もう閉店にするけど……」
「今日は、このパンを買って帰ることにします」
「そ、そっか」
真顔でパンを指差すリリアに、バナードは少々戸惑った様子でパンを包んでくれた。
夕方を過ぎると、大通りの店はどんどん閉まっていってしまう。リリアは何かアイデアは浮かばないかと、あちこち見て歩いた。風が冷たくて、コートの前をぎゅっと寄せる。
そこで、ひらめいた。マフラーはどうだろう。リリアは開いている店を片っ端から見て回ったが、どれもぴんとこない。シューマン夫妻への贈り物も考えなければいけない。それと、シュナイダー夫妻にも。リリアは頭の中がいっぱいで混乱してきた。
「今日は一旦帰ろう…」
精霊祭とは、なかなか大変な行事らしい。
「ミネタさん、相談があるんですが……」
リリアは悩んだ挙句、ミネタに相談することにした。メリアにはなんとなく聞きづらいし、夫のマイノは無口な人なのでなかなか聞けなかったのだ。配達のついでに小声で聞いてみる。
「あの、若い男性への贈り物って、何がいいと思いますか?」
「あら」
ミネタは口に手を当てて言ったかと思うと、微笑んだ。
「あなたがあげたものならなんでも嬉しいんじゃないかしら。ね、あなた?」
ミネタは少し離れたところにいたキーファーに話しかける。
「女性からプレゼントされるならどんなものがいいかしら?」
「うん、そうだね。何でも嬉しいけど……」
キーファーは心地よい声を途切れさせると、ちらとリリアを見た。
「マフラーなんてどうかな?」
「うふふ、いいわね、マフラー」
ミネタもにこにこと賛成する。
「ありがとうございます。マフラーにしてみようかと思います」
リリアがプレゼントが決まってほっとしたのも束の間、ミネタが言った。
「今から編めば間に合うわね」
「編むんですか!?」
「そうよ。きっと喜ぶと思うわ。がんばってね」
ミネタは笑っているのに何故か妙な圧力を感じて、焦ったリリアは帰りがけに早速毛糸を買いに行った。色は深い緑色だ。バナードに似合う毛糸を選ぶのは楽しかったが、編み物は人並みか、少し自信がない程度の腕前である。リリアは精霊祭の日が来るのが恐ろしくなってきた。
バナード以外への贈り物をどうするか、リリアは決められずにいた。悩みながら帰宅して、夜は編み物をするのだが、度々失敗してやり直すのでなかなか進まない。
日がだいぶ傾いた頃、くまのパン屋に配達に来たリリアは、欠伸を噛み殺しながらドアに手をかけた。ちょうど、お客さんはいない。
「バナードさん、こんにちは。郵便です」
「こんにちは。リリアさん、ありがとう」
バナードが笑顔で迎え入れてくれて、リリアもほっと和む。
「贈り物は決まった?」
「それが、まだなんです。小物はいくつか候補が浮かぶんですけど、みなさんもう既に色々と持ってらっしゃるし、私が贈れるものなんて限られてますし……でも、感謝の気持ちはお伝えしたいんですよね」
ずっと悩んでいたので、ついぽろぽろと言葉が出てきてしまった。
「それなら、食べ物はどうかな?お酒に漬け込んだドライフルーツがたっぷり入った、お菓子みたいなパンがあるんだ。ワインにも合うし、日持ちもする。うちのパンを気に入ってくれているならと思って」
バナードの提案に、リリアは目を輝かせた。メリアとマイノはワイン好きだし、ミネタとキーファーも、バナードのパンが好きならばきっと美味しく食べてくれるだろう。
「素敵ですね!小物と合わせて贈ったら、喜んでもらえそうです!」
「よし、じゃあ、材料を買いに行こう」
「え?」
「リリアさんの手作りだったら、きっともっと嬉しいんじゃないかな。作り方は教えるし、手伝うから、一緒に作ってみない?」
手作りという言葉に、ぎくりとした。リリアはそれほど器用な方ではない。しかし、せっかくの提案だし、心なしかうきうきしているように見える彼は、きっとリリアが悩んでいたのを気にして、考えてくれていたのだろう。
それに、バナードと一緒に何かを作るのはとても楽しそうで、魅力的な提案だった。
「今日はもうパンも残り少ないし、閉店して、ドライフルーツを買いに行けたらなと思うんだ。今日のうちに漬け込んでしまえば、次の日曜日には作れる」
「……なるほど」
「時間は大丈夫?」
リリアは心を決めた。
「大丈夫です!」
「よし、じゃあ、行こうか」
さっと準備を終えると、上着を着ずに出ようとするバナードに、リリアが慌てて言った。
「外は結構寒いですよ?」
「そう?俺は寒さに割と強いから、今の時期はまだ大丈夫だと思うんだけど。手なんかいつもあったかいんだ。ほら」
そう言って差し出された手を、リリアは触ってみる。たしかに温かい。
「ほんとだ、あったか……い、ですね……」
手を乗せてしまってから、こんな風にバナードの手に触れるのは初めてだと、気が付いてしまった。
温かな、大きい手。リリアの手をすっぽり包めてしまいそうなほどで。
リリアの鼓動が跳ねた。思わず急に引っ込めてしまいたくなった手を、不自然にならぬよう、そろそろと離した。
「……ごめん、やっぱり上着を着ようかな。うん、外は寒いよね。ちょっと待ってて」
バナードは早口で言うと、ものすごい速さで上着を取りに行く。
彼が戻って来るまでに熱が冷めるように、リリアは自分の少し冷たい指先を頬に当てた。
バナードと二人、つかず離れずの距離で歩いて行く。バナードの唯一の行きつけだという店で、ドライフルーツや粉砂糖などを買った。粉や道具などはバナードのものを使わせてもらえるということなので、今回の材料費はリリアが負担することになった。会計の時に説得は必要だったが。買ったものをバナードにお任せして、リリアは帰宅した。
日曜日が怖いような、楽しみなような気持ちで、リリアはマフラーの続きにとりかかった。
お読みいただきありがとうございます。
前後編とお知らせしましたが、前中後編の3話となってしまいました。明日も投稿します。