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負け犬のくせになまいきだ  作者: 石山 雄規
一章 ターン Where is my outlet ?
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1話「馬鹿はお前だ」

 連絡船を降りる。四年ぶりの故郷はどうにも古寂びていて、窮屈で狭い檻に映った。


 右手に広がる海は変わらない。海岸線の砂の細かさも、点々と水平線を塞ぐ島々も、梅雨時のどこか湿った晴天も。潮は塩素の香りとは違い、鼻にこびり付いて離れない。


 まだ昼近い。俺は島の外周をぐるりと一周する形で、今後の展望を眺めることにした。


「……思い出は」


 山道を登る途中、剥げた鳥居に白石の敷かれた神社を見かけ、手遅れの無病息災を祈る。そうして誰と出会うでもなく、ぐるりと島の裏側にある海岸へ抜ける。


「……行き詰まりか」


 三つある港のどこからも距離のあるこの海岸は滅多に人が来ない。訪れるのはルートを外れた観光客か、用がある奴か、あるいは本当に用がない奴だけである。


 そんな忘却と西外れの波止場にぽつんと、一人分の影が落っこちていた。


「……なんだあれ」


 近づくまでもなく、そいつは女だと分かった。しかも若い、おそらく女子高生だろう。

 

 なにせ真っ白の目立つセーラー服を着ている。本日は平日梅雨直前、太陽は真上にある。

 

 そんな青天の霹靂にボケーっと、体育座りで釣り糸を垂らしていた。


「………………」


 学校サボって釣り……おそらく常習犯と見た。周囲を伺う様子も罪悪感も欠片もなく、のんびりした時間を送ってやがるからな。放し飼いされた猫みたく退屈そうに欠伸をかく。


 そして、そのまま大きく息を吸い込んだ女子高生は、馬鹿でかい声で、海に向かって叫ぶ。


「ヒロ君の馬鹿ぁああああああーー!!!!」


 …………どうも、この島には俺以外にも馬鹿がいるらしい。


 そして声で分かった。彼女が誰か。物言わぬ海の代わりに深く息を吸い、叫び返す。


「馬鹿はお前だぁ! 今泉!!」


 突然の俺の声にビクンと背筋を伸ばし、彼女――今泉千秋はゆっくりと振り返る。


「サボるならサボるでせめて島出ろよ。バレたとき言い訳が」


「深見くん?……やっぱり! 深見くんだ!!」



 ――あぁ言い忘れた。俺の名前は深見柊吾。どこにでもいる、ごく普通の大学生。

 ……ありきたりな自己紹介だけど、そうとしか言えないんだ。


 普通ってなんだよと悪態ついて、そんな奴はどこにもいないと斜に構える感じの。


 平凡が嫌いで、非現実的な夢を持っていて、叶わずくすぶる。自分は特別だと信じて裏切られるような。けれど周りに置いていかれるのに焦るような。そんな中途半端な普通人。


 そんなどこにでもいる、負け犬だ。


   *


 俺の記憶によれば今泉千秋は、非常に物静かで大人しい、目に入れても痛くない女の子だ。


 人見知りの激しい恥ずかしがりやで、けれど懐いた人間だけに見せる元気いっぱいの頑張りや――俺の幼馴染は彼女をそう称した記憶がある。


 もっとも、彼女と目を合わせて喋った記憶はほとんどない。


 幼馴染と話す彼女にどんな声をしているかを知った。意外と高いんだなと思い、数えるほどの思い出だからこそ、その声の雰囲気はよく憶えていた。


 今思えば、いい思い出だった。


「なんで、どうして、いつどこでどうやって。ねぇねぇ! 帰ってきたの!? おかえり!」


 古きよき思い出が上書きされたところで、俺はそろそろ現状に向き合うことにした。


「いやぁ、深見くん、昔と全然変わらないからすぐ分かったよ」


「俺も同じことを思ったよ」


「あー! それ失礼、ゼクシャルハラスメントだよ!」


 結婚は迫ってねぇよ。


「学校サボって何やってんだよ」


「見て分からないの!?」


 なんて、自信満々に釣り竿をふりふり振り回す。なんで自信満々なんだろう。


「分かるから困惑してんだろうが」


「やれやれ。深見くんはテスト期間という言葉をご存知ではないのかな?」


 テスト期間なら勉強しろ、馬鹿。


「……それで、なんで帰ってきたの?」


 くだらない押し問答から離れ、彼女はもう一度同じことを聞き直す。

 

 簡単に説明をすると、簡単すぎて要領を得ないのか片眉を少し顰めて、じゃあと問い直す。


「しばらくはこっちにいるってこと……でいいの?」


 しばらくっていうか――言いかけて、それに続くであろう会話を想像し、止める。


「腰がよくなるまでは、しばらくな」


「なーんだよかった。これで島の人口減少に歯止めがかかるね」


「……にしても、知ってるか? 新見も三坂も上京組だって。沼田は?」


 今泉は竿を上げ、餌のなくなった丸セイゴに、打ち捨てられた小エビを咥えさせ、ポイっと糸を垂らす。それから、話の続きねと言わんばかりに小さく頷いて顔を向ける。


「沼田さんなら異世界転生したってさ」


 イセカイテンセイ。


 ……イセカイテンセイ?


 ……伊勢海……伊勢湾のことか?



 …………?


 伊勢湾なんて目の前に広がってるぞ。もろ地元じゃん。テンセイってなんだ?


「………………」


 だが俺は分からないことを聞かないことで有名な落第児である。聞かぬは一生の恥だが、聞くと俺のプライドが傷つく。不確かな生涯などより、今ある確かな一瞬を大事にしたい。


 そこで俺は、なるべく全てを理解したように達観した表情で頷く。


「……で、伊勢海でなにしてんの」


 それとなく聞き探る能力において、他の追随を許さない。特技である。


「噂だと、奴隷少女を買って孤児院で農業してるって」


「伊勢海で!?」


 県内に奴隷制が存続してることに驚きを禁じえねえ。


「まぁ、あくまで噂だしね。真偽の程は不明だよ」


「沼田、虐められてたんじゃないよな?」


 だがちょっと待て。何かがおかしい気がする。このままだと伊勢志摩が魔境すぎる。奴隷制を容認するほど行政も腐ってないはずだ。


 噛み合っていない。やはり、知能指数がかけ離れると会話が成立しないらしい。

 

 しかし、イセカイテンセイ、てんせい……転生?

 

 …………なにが?


「ワクワクするよね。あたしも行ってみたいなぁ、異世界」


「なぁ」


「なに?」


 プライド以上に守るべき物など俺にはない。それは確かだ。


 だが俺はもう一つの事実に気付く。


 この女に傷つけられるようなプライドは、捨てたほうがいい。


「イセカイテンセイって、なに?」


 マジかよ信じられねーぜ、ってな目つきだった。捨てといてよかった。


 彼女は順を追って話してくれた。舐め腐った赤ん坊言葉で。捨てなきゃよかった。


 それによると――イセカイテンセイは、異世界転生らしい。


 聞いて驚くな、異世界転生だ。


 話を聞いて、マジかよ信じられねーぜ、ってな心境になったのは言うまでもない。


 が、しかし、信じず冗談として切り捨てるには、彼女の語りは率直すぎた。


 どうも異世界転生は、あるらしい。


「………………」


 今泉は意気揚々と目を輝かせ、指をふりふり動かしながら楽しそうに話す。


「だからね、異世界はあるの。で、そこに転生するの。こんなの最近じゃオセアニアの小学生でも知ってるよ。常識だよ、常識!」


 テスト期間中に釣りしてる奴に常識を語られたんだが。常識ってなんだよ。


 彼女は再び体育座り、全てを話し終えたと言わんばかりに釣りを再開する。


「あるって言われても。どこに、どうやって、どんなところなんだよ」


「ググればぁ?」


 充電切れのスマホ画面を見せると、彼女はあーと顔を上げた。

 

 そして何か閃いたらしく、億劫そうな態度から一転。わざとらしくセーラー服の胸元を扇ぎ、


 さらにわざとらしく大きな声で「今日は暑いねー」と、


「暑くて、なんか汗かいて喉渇いちゃうなぁ。そう思わない?」


「そうか? 湿度も低くて風もあるし割と」


「いちごミルク。先輩、お願いしますね!」


「いいけど……」


「いいけど……なに」


「金は?」


「馬鹿!」


 もしかすると俺は察しが悪いのかもしれない。ラブコメの主人公に向いてるかもしれん。

手近な自販機でジュースを購入し戻る。なかったし、まぁおしるこでいいか。


 それにしても異世界とは、沼田もまた随分メルヘンチックなところに行ったもんだ。

 

 あれか、大長編で青狸が行くような地下世界だのパラレルワールドだの猿の惑星。

 

 中々面白そうだが、それで生計を立てられるかどうかは甚だ疑問である。


 波止場に戻ると、今泉はバケツに水を汲んでいた。釣れたみたいだ。


「ほい、おしるこ」


 睨みつけられた。唇もひん曲がってる。俺またなにかしちゃいました?


 結局今泉はおしるこを手に取り、缶を傾け豪快に飲み干す。


 そして彼女はキメ顔でこう言った。


「――細かいことは分からないの。誰も知らない」


「……さっき奴隷と孤児院で農業とか言ってただろ」


「あくまで噂。行き方とかどこにあるとかどんな世界なのかとか。色々と噂は聞くけど、誰も確かなことは知らないの。でも異世界があることはみんな知ってるし、実際に転生していなくなる人もちゃんといる。都市伝説よりかは信憑性の高い、友達の友達から聞いた話」


 知らないわけだ。なにせ俺に友達の友達はいない。


 それにしても、曖昧な噂だ。人攫いが神隠しってな尾ひれの付き方である。


「知ってるっていうか、信じてるって感じだな。UFOみたいだ」


「深見くん以外は、多分みんな知ってるよ」


「腑に落ちないなぁ……」


 金を払って聞く話にしては、ありがたみが薄い。漠然として信憑性の欠片もないくせに、どういうわけか絶対の自信をもって堂々と語られると、迂闊に否定もできやしない。


 だって、異世界だぜ? 現実とフィクションの区別くらい、誰だって出来るはずだ。


「いいとこらしいよ。椅子の使い方を知ってたり肉を両面焼けると、可愛い女の子に褒められるって。秘められた才能が開花して愛らしい女の子に褒められることもあるの」


 しかし、彼女の語る異世界は、俺の知ってる異世界とは少し違った。


 椅子の使い方? 肉の両面焼き? 秘められた才能? 褒められる? 可愛い女の子?


 なんだよそれ。そんなの……


「それってさぁ……最高じゃん!」


 ビバ異世界だった! 知能指数が低い以外取り柄がない俺でも肉くらいは焼ける!


 もっと聞かせてくれないか。毎日頼む。


「でしょ? 一夫多妻で、あと女の子はみんなおっぱいも大きいんだって」


「とんでもねえビッグドリームじゃねぇか!」


 アメリカ以外にも夢が掴める新大陸があったとは驚きだ。航海の価値はあるなぁ!?


 なんてことだ……なぜ俺はそんな素晴らしい世界を知らなかったんだ。涙さえ出てくる。


 そんな俺に、今泉はホーリーラブラブエンジェルの如く語りかけ、そっと肩に手をやる。


「泣かないで。これから知っていけばいいじゃん、異世界のこと」


「ふぐっ……あぁ、そうだ、その通りだ」


 もはや視界はクリーンだ。鮮明に映る景色は晴れやかに俺を迎え入れている。


 ならば悩むことなんてない。こんなクソみたいな世界より、大事な世界がある。


「教えてくれ今泉! 俺に、もっと異世界のことを!」


「うん!……えへへ」


 俺の記憶にある今泉の中で最高の笑顔。目元の泣きぼくろも笑ってやがる。


 俺もつられて笑ってしまう。俺の人生はこの日のために。いや、これから始まるんだ。


 俺の輝かしい栄光に満ちた、異世界ライフが!


「うぉぉおおおおおおおおお!!」


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