水島夏羽②/日常の終わり
その日、あたしはいつもの日常を過ごしていた。
「おーい汐倉! 保健委員会に提出する記録書ちゃんと書いてる〜?」
「書いてるよ上原。流石に期限が明日だからこれ以上サボれないし」
帰りのSHRが終わって担任が教室を出てから。
すぐに汐倉のもとに寄って話しかける上原。
あたしもすぐに駆け寄って言いたいのに……。
「一緒に部活行こう」って。
でも、恥ずかしくていつもその一言が言えない。
前に話してたのを聞く限り上原は汐倉と中一の時からの付き合いらしい。
あたしも汐倉と中学の時から出逢えてたら、何か違ってたのかな……?
「って、別に業務確認する為に話しかけたんじゃないんだよ!」
「うん。それで?」
「えーっと、明後日土曜で夏祭りでしょ? よかったらでいいんだけど……一緒に行かない?」
ピクッ。上原の発言に固まるあたし。
学内のみならず、学外でも一緒に? それも夏祭りっていうイベント事で。
それは、マズイんじゃないの……?
「明後日、絶対に、一緒に花火を見よう」
「……うんっ!」
明後日の二人は二人っきりで屋台回って、楽しんで、並んで空を見上げて花火を見てさ……。
夏祭りの良い雰囲気の中、どっちかが告白して……。
明後日、付き合っちゃうんじゃないの……?
…………モヤモヤする。胸が張り裂けそうなくらい、痛い。
自分から話しかけられないあたしが悪い。
いざ話しかけたとしてもツッケンドンな態度になっちゃうあたしが悪い。
普通に見てるつもりなのに睨んじゃってるらしいあたしが悪い。
でも、それでもあたしは汐倉が──好き。
汐倉が上原が好きで、上原しか見てない事は分かってる。
あたしが汐倉を好きになるずっと前から、ずっとずっとそうだったから。
それでも、好きになっちゃったんだから……ワガママかも知れないけど、少しくらいはあたしの事を見てほしい。
あたしはそんな身勝手な事を願うしかないあたしが──嫌い。
▽
剣道部の場所は格技場二階。
稽古開始時間になる前までに道着に着替える。
更衣室から出ると、道場で着替えていた男子組は皆着替え終わっていた。
女子の着替えを待ってる間、汐倉は他の男子と話してるか、竹刀を防具付けたマネキンに打ち込んでいる。
今日はマネキンに打ち込んでるみたいだ。
打突の綺麗な音。
同時に鳴る大きな踏み込みの音。
体当たりの鈍い音。
返し技の後の摺り足の音。
残心の間。
打突の綺麗な音。その繰り返し。
準備運動前はマネキンを移動させてる時間が無いから壁際に置いたままだ。
だから打ち抜けるんじゃなく、体当たりして返し技をするのを延々と繰り返してる。
その動きは基本に忠実で、部員の皆が手本にしている。
発声は出してる日と出してない日がある。
今日は出してない日だったみたいだ。
あたしはいつも、汐倉の動きに見蕩れている。
皆が着替え終わった。
三年の部長が整列を掛けて、全員が横一列に並ぶ。
特に順番が決まってる訳じゃないんだけど、男子が神殿側で女子が踊り場側に並んでいる。
そして同じ性別の中でも学年とか経験者とか試合で強い人が神殿側に並びがちだ。
特に誰かが何かを言った訳じゃないけど、そういう風になっている。
あたしは女子の中でも割と強い方だし、今の剣道部は二年が女子の最高学年だし、経験者だった事もあって神殿側に並ぶ。
それも毎回と言っていいほど男子の隣だ。
つまりは女子列の端っこ。
初めは並ぶ場所に物申したかったけど、今はこの場所にしか並びたくない。
なぜなら──。
「よぉーっし、今日は真ん中だ」
たまに……ホントにたまーにだけど、汐倉が隣に来る事があるから。
汐倉は順番に拘るとかそういうのは無いというか、逆に誰よりも拘ってるっていうか……別の意味でだけど。
さっきまではSHR後のモヤモヤが強かったのに、今じゃ胸がドキドキしてる。
汐倉が近くにいるってだけで……あたし、単純過ぎない?
「あ、あの……汐倉先輩」
「どうしたね斉藤君」
汐倉に話しかけたのは一年の斉藤快司。
引っ込み思案で人見知り。
先輩相手にはいつも怯えた仔犬のような接し方をする。
「汐倉先輩、ぼくの右来てくださいよぉ……」
震えた声の斉藤。
なぜそう訴えるのか、理由は一つ。
「斉藤、そうなると先輩はおれの右に来てもらう事になるよ。わざわざ先輩に動いてもらう気か?」
「だってぇ……恐れ多いよぉ……ぼくは後輩で、ぼくの方が弱いのにぃ……」
そう、誰から言い出した訳でもないのに列順を意識し過ぎてるからだ。
「だったら斉藤がおれの右に来るか?」
「ええ!? ぼく、郡君より弱いからそれもムリだよぉ……」
「まったく……大体、汐倉先輩が列をテキトーに割り込んでくるのはいつもの事だろ?」
「それは、そうだけど……」
斉藤の右隣に並んでるのは同じく一年の郡優宇。
真面目で実直。
先輩には結構素直な性格をしている。
「斉藤君、君が剣道部に来たのは今の自分を変える為だろう?」
「うっ……。それは、まあ……はい」
あ、汐倉の詭弁が始まった。
「俺はこういう小さいところから、形から入る事も大切だと思うんだ。いずれ先輩連中の誰よりも強くなる。誰よりも丁寧に稽古するのを心掛ける。何でもいいが色んな意気込みを日々の稽古で積み重ね、自信に繋げていく」
「は、はい……」
「成長した自分を想像してみるんだ。常に理想の自分を想像して、一つずつ現実との齟齬を無くしていく。斉藤君はまず、どんな理想の自分を思い描く?」
汐倉に問い掛けられた斉藤は真面目な顔で考える。
「ぼく、強くなりたいです……剣道で」
「よし、理想の自分を想像できたな。そしたら、一歩一歩理想の自分に近付く為には──剣道で強くなる為には何をしたらいいと思う?」
「いつも汐倉先輩が言ってる基本に忠実に稽古する事……あと、上手い人の真似……ですか?」
「大まかにはそうだな。それらも大事な事。だけど、まず胸に刻んでおく事がある」
「ゴ、ゴクリ……っ」
固唾を飲む斉藤。
というより、部員の皆が汐倉の話に惹き込まれていた。
あたしも汐倉の次の言葉を待っている。
「──千里の道も一歩から、だ。近道に頼るといつかしっぺ返しを受けるからね。何度も言ってるし、何事においても言える事だけど、持続する事が大切なんだ」
「持続する事……」
「問題は、何を持続するのか間違えない事だ」
郡は斉藤の隣で得意げにうんうん頷いてる。
反対の列では後輩の高田と筒井が真面目な顔して耳を傾けていた。
この子達、結構汐倉に懐いてるからなぁ……それにしても素直過ぎると思うけど。
「そして持続した先で理想の自分に近付けたのなら、それは剣道が強くなったから成長した訳じゃない。精神が成長したから心が強くなったんだ。それをよく覚えておいてね」
「は、はいっ!!」
決意の籠った顔で頷く斉藤。
返事はしなかったけど、斉藤に続いて神妙な顔で頷く郡、高田、筒井。
「じゃ、そういう事だから今日はこの列で頑張ろう!」
「あ、は、はぃぃ……あっ、あっ、あっ……あうあ……」
「頑張ろう!」
「は、はいぃいいいっ!?」
「よし、良い返事だ!」
最後、無理矢理言わせたわね。
「やっぱり汐倉先輩は凄い……。いつかおれも、先輩みたいに……っ!」
剣道の姿勢に憧れるのはいいと思うけど、今みたいなそれっぽい事言って丸め込むところには憧れないでほしいわね。郡には。
「ふっふっふ、先輩は凄いんです!」
「なんでミナちが得意げなのよ……まあ、汐倉先輩の事はわたしもごにょごにょ……」
高田の奴、最後『尊敬してるけど』って言ったわね。
しかも顔を赤くして……ちょっと危険ね。
筒井はまだ懐いてるだけだから見逃してるけど……。
それにしても理想の自分、か。
汐倉は今の言葉を斉藤に向けたんだろうけど、少なからずあたしにも刺さった。
好きな人には恥ずかしくて上手く接する事が出来ない。
そんな自分と反対の自分を想像しても、あたしは理想の自分との齟齬を無くす努力をちゃんとやってたかと言われると首を傾げるしかない。
よし。上原には悪いけど今日、汐倉に『一緒に下校しよう』って誘う。絶対に誘う。
それであたしの想いを伝える。
フラれて玉砕するのは分かってる。
でも、これから先、進学したり、就職したりした後、汐倉にあたしという存在を覚えててもらう為に告白する。
想いが通じ合わなくても、覚えてもらえさえすれば……それだけであたしは嬉しい。
もちろん付き合えたらそれが一番だけど、それが無理なのはあたしが一番よく分かっている。
だから、ね……汐倉。
成長したあたしを、ずっと覚えててね。
▼
稽古後、制服に着替えてから部長を除く皆で更衣室を溜まり場にしていた。
どのタイミングで二人きりで下校しようって誘うか機を伺ってたけど、松尾と筒井がずっと汐倉とゲームしてて誘いづらい。
やっぱり下校する時に誘うのがいいわね。
「松尾〜、部室の鍵持ったか?」
「ちょい待ち! えーっと確かこの辺に……おっしあったぞ!」
「じゃあ帰るか」
よし、そろそろ誘う……。
いーやっぱり格技場出てから誘う……。あー、正門出てから誘う……。うー、駅入ってから誘う……のはダメでしょ、いつもと同じパターンになるわ……。
いや、格技場出てから誘うのよ! 絶対!
勇気を出すのよ、あたし!
「な⎯⎯何だこれはっ!?」
困惑する汐倉の声。
それは部員全員の代弁だった。
当たり前だ。
突然、更衣室の床が不気味な光を発したのだから。
その光は真紅の輝きを放ち、幾何学模様が浮かび上がる。
同時に空気が振動して更衣室内に異様な雰囲気が広がる。
「せっ、せんぱ〜い……」
不安に耐え切れなくなった筒井が汐倉の制服の裾を掴む。
いつもなら嫉妬に燃えるけど、今はそんな余裕は無い。というか無理!
「ちょっ、よく見たら床のこれって魔法陣ってやつじゃねぇか!?」
「松尾! 魔法陣なんて馬鹿な事言ってないで早くドア開けな!」
「いや水島、それがさっきから開けようとしてんだけどドアが固まったように硬くて開かねえんだ! どうなってやがんだマジで!?」
緊迫した雰囲気の中──今度は蒼の輝きを放つ幾何学模様が床から浮かび上がった。
「もうっ、何なのホントにぃ!?」
耐え切れず頭を抱えながら叫ぶ高田。
それから間髪入れずに黄の輝きを放つ幾何学模様が床から浮かび上がってきた。
空気が上下に、それも不規則に震える。
あたしを含む全員が魔法陣から放たれる光が眩しくなり過ぎて目を開けられなくなった。
更衣室内は阿鼻叫喚に包まれる。
不安、恐怖、憂慮──ありとあらゆる負の感情が更衣室内を支配した。
ブツッ!
───瞬間、皆の悲鳴は家庭用ゲーム機のコードをぶち抜いた時と似た音を立てて消えた。
その日、あたしはいつもの日常を過ごしていた──はずだった。




