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-黒真珠の少女- エピローグ 彼女の願いを連れて

帝国聖遺物監理局の仮設調査拠点。


湿った風が天幕を揺らすなか、ヴァロは机に広げられた報告書に目を落としていた。


負傷した右脚には粗末な添え木が当てられ、軍服には乾いた泥と血がこびりついている。だが、その姿勢に崩れはない。


机の上には、神殿崩落の記録、被害状況、そして回収された聖遺物の破片が無造作に積まれている。


傍らに立つ記録官が、羽ペンをインク壺に浸しながら事務的な声を出した。


「――以上が、ネフェルティア神殿崩落に関する一次報告となります。最後に、対象者の分類ですが……」

記録官は報告書の末尾を指し示した。

「『黒真珠適合者』でよろしいですか。それとも『聖遺物反応者』として処理しますか」

「違う」

ヴァロの返答は、短く、静かだった。

「では、何と」

「貸せ」

ヴァロは記録官から羽ペンを取り上げると、自ら分類欄に文字を書き込んだ。

感情の波立たない、規則正しい帝国の書体で。


分類:黒真珠災害被害者

氏名:ユリア

備考:黒真珠災害に巻き込まれ、最後まで他者を救う意思を示した少女。


『黒真珠災害被害者』

それが、ヴァロが帝国の記録に残した彼女の名だった。



ネフェルティアの集落は、神殿崩落の余波からまだ立ち直りきっていなかった。


乾いた風が吹き抜ける集落の片隅で、ルシアンは黙々とクルルの脚に包帯を巻いていた。


クルルは痛みを堪えるように小さく鼻を鳴らしたが、その脚はすでに立ち上がれる程度には回復している。


ルシアンの腰の鞘には、ユリアが買って結んでくれた護符紐が揺れていた。

そしてもう一つ。

右の腰に残る剣は、刃の半ばから無惨に折れていた。

折れた剣は、もう使えない。

闘技場から逃げた時、ルシアンが拾った剣。

自由になるために握り続けてきた剣。

それは、ユリアの選択を守るために折れた。


掌を開けば、そこには白い貝殻の髪飾りがある。

ユリアは戻らない。

それでも、彼女が確かにいた証だけは、ルシアンの手元に残っていた。



「……逃亡剣闘士の件が、消えたわけではない」

背後からかけられた声に、ルシアンは振り返らなかった。


足を引きずりながら近づいてきたのは、ヴァロだった。

「でしょうね」

ルシアンは包帯の端を結び終え、立ち上がった。


「だが、今ここでお前を捕らえることは、私の任務ではない」

「便利ですね、任務って」

「面倒なものだと言ったはずだ」


ヴァロの表情はいつも通り硬く、そこには何の馴れ合いもない。

帝国将校としての冷徹な線引きが、二人の間には確かに存在していた。


「黒真珠に似た記録は、他にもある」

唐突なヴァロの言葉に、ルシアンは視線を上げた。

「……どこに?」

「帝国の記録庫に眠っているものもあれば、まだ記録にもなっていないものもある」

「教えてくれるんですか?」

「すべては無理だ」

ヴァロは少しだけ間を置いた。


「だが、何も知らずに歩くよりはましだろう」

ルシアンは小さく息を吐いた。

「……十分です 」


言葉少なに返すルシアンの指先が、掌の髪飾りをわずかに強く握りしめた。



砂混じりの風が、ネフェルティアの水路跡を吹き抜けた。

ルシアンは、白い貝殻の髪飾りを袋の奥へしまった。

左腰には水門守りの鉤剣。

右腰の鞘に結ばれた護符紐が、小さく揺れる。


ルシアンは足元に佇む相棒を見下ろした。

「君まで来る必要はないんだけど」

「くるるっ」

クルルは当然のように鳴き、一歩前に出た。

「……そう言うと思ったよ」

ルシアンの口元に、ほんのわずかだけ苦笑が浮かんだ。


『もし、他にもあるなら……この黒真珠のようなものが、まだ、どこかで誰かを苦しめているなら……探してください……私みたいな子を、もう出さないでください』


ユリアの最後の願いが、耳の奥で蘇る。

「黒真珠が、まだどこかにあるなら……」

言葉は最後まで口にしなかった。


ルシアンは踵を返し、歩き出した。

クルルが、当然のように身を沈める。

まだ脚は万全ではない。

それでも、その瞳は「乗れ」と言っていた。


ルシアンは小さく息を吐いた。

「……無理はするなよ」

「くるる」

クルルが短く鳴く。


ルシアンはその背にまたがった。

振り返っても、神殿はもう見えない。

ユリアも、戻らない。


それでも、進むしかなかった。


黒真珠が、まだどこかにあるのなら。

ユリアのような誰かが、また泣くことになるのなら。

その前に、見つけなければならない。



帝国歴143年。

サンシャーラ歴前403年。


朝焼けの中、ルシアンとクルルの影が、ネフェルティアの道を遠ざかっていく。


白い貝殻の髪飾りと、彼女の願いを連れて。



サンシャーラ神話物語

−黒真珠の少女− 完

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


『黒真珠の少女』はこれで完結です。

短い旅の物語でしたが、ユリアとルシアン、そしてクルルの行く末を見届けていただけたなら嬉しいです。


少しでも心に残るものがありましたら、評価・ブックマークなどで応援いただけると励みになります。

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