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水密蓮華4


このクラストマスターは真木野五月だった。

人を溺れさせるクラスト、助かるために足掻く様子を何度も繰り返し観察した。


敗北を記憶できない等野静は、それを幾度もそれを味わった。


けれどある日、等野静はクラスト条件を達成した。

ガラスケースと床との隙間に気づき、脱出を果たした。


ケース外に出た瞬間にクリアとなるか、海面にまで行く必要があるのかは不明だ。

だが、どちらにせよ、多大な苦しさを越えて彼女は勝利し――真木野五月をノックアウトした。


敗北者の記憶は消える。

「このクラストのクリアに関する記憶」を失わせる。

何度も何度も無様に足掻く様子を楽しみたかったからこその設計だった。


敗北したマスターである真木野五月は、このクラストに関する記憶が消えた。

それは半ば記憶喪失に近いものだったはずだ。

僕が味わったのとは比較にならないくらい多大な喪失だった。


しばらく入院していたのも納得だ。


選択的な記憶消去は、それだけのリスクを背負うからこそ行うことができた。

そう、彼女は、友達が溺れ死ぬ様子を楽しんだ。


このクラストは、友人を、親しい人を溺れさせるクラストだ。

その苦しむ様子を耽溺するものだ。


一度ではなく、繰り返し、繰り返し、何度も、何度も。

毎日のように溺死させる光景をクラストマスターは見た。


日頃はただの友人として過ごしながら、クラスト内では痕跡が残るほど追い詰め続けた。


だからこそ――

うん、一度くらいは、味わっておくべきじゃないかと思えた。



  +  +  +



僕はガラスケース状の部屋を、外側から見ていた。

クラストマスターとしての視座だった。

二度目だけれど、あまり慣れない。


その中には、二人の人間がいる。

真木野五月と、等野静だ。


やけに騒ぐ真木野五月と違い、等野静は目を丸くしていた。

どうしてこのようなことが起きたか分からないという表情だ。


 「敗者は記憶を失う。だが、君が望めば、出られる」


クラストマスターのアナウンスとして、僕はそう告げた。

等野静の目が、さらに見開かれた。


失った記憶は戻らない。

勝利者は憶え続けることができる。


クリアした等野静は、倒れた真木野五月からキーを取り上げることができた。誰が犯人かを理解した。

主観的な認識としては、このクラストに入るのは二度目のはずだ。


いきなりクラストに入れられ、溺れ死にからどうにか逃げ出し、このキーを奪い取り、僕へと預けた。

キーに触れた際に、このクラストの概略そのものは分かったはずだ。


だが、自身がそこに幾度も繰り返し閉じ込められていたことには、気づいていなかった。

よほど注意深く観察しなければ、それは確認しようがないことだ。


今なら――二度目の挑戦の今回であれば、痕跡は見て取れる。


このクラストに関する一切の記憶を失った真木野五月。

元クラストマスター、ガラスケースの密室を作り出した者。

だが、心の奥底にこびりついている情報によって混乱し、狂乱している様子。


現場に立ち、確認すれば。

何をされたのかを、理解する。


「――」


僕は、「君が望めば、出られる」と告げた。

等野静自身が望めば、僕は敗北を宣言し二人を解放するつもりだ。

その際の僕のペナルティは酷いことになるだろうけど、その被害は飲み込んだ。


等野静に、リベンジの機会を与えるために、それは必要だ。


ひたひたと、海水は入り込む。

汚いものであるかのように悲鳴を上げて真木野五月は逃れようとする。


等野静はじっと見つめる。

しばらく前に抜け出した密室、そこを必要以上に、よく知っているかのように、酷く恐れてる友人を。


何度も何度も引きちぎろうとした跡の残る鎖を。

嫌な音を立てて空気が抜け出す天井の穴を。

打ち付けた手の跡が生々しく残るガラス、等野静の手とその痕跡は、大きさと形状がぴたりと重なる。


記憶は失われている、憶えていない。

被害者である等野静はもちろん、加害者であった真木野五月ですらも、このクラストの歴史については無知だった。


だが、それでも、痕跡は残る。

行われた事実が変わることはない。

物質だけではなく、脳裏にそれがこびりついていた。


「ありがとう」


等野静は、静かにそう言った。

目は真木野五月の様子だけを見つめ、口元だけが笑みの形を作った。


「機会を、くれて」


そう、等野静自身も、友達が溺れ苦しむ様子を見ることを望む人だった。

このキーを渡す時、そのような過去があると告げた。


二人は似た者同士だった。

水は、海水は、着々と入り続けた。


出どころの分からない恐怖を、真木野五月は絶叫として吐き出した。

最悪の密室に囚われたことを全身の震えで表現していた。


その頭を等野静は抱きしめた、なだめるように、あるいは、身動きを取らせぬように、強く、とても強く抱える――


彼女の手には、鎖につながれたトンカチが握られていた。



水密蓮華 了

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