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13話 最後の話



『──実はね、私と彼。同じ名前なの』


 女性の声が聞こえる。

 懐かしい、温かい声。


『だから、貴方にこの名前を付けたのよ』


 思い出すことはできなくても、感覚でわかる。

 この女性は心から、愛しているんだと。


『これだけでも、あの人に教えてあげればよかったな』


 きっと、羨ましくなって。大好きになって。

 貴方のことを、愛してくれただろうから。


 優しくて、柔らかくて。

 幸せの象徴のような、そんな声。


『ねぇ、──』


 そして、その先に続くのはきっと。

 彼女が、誰よりも愛した――。






「“(あい)”。明日卒業式だろ。もう寝ろ」


 雪解けの季節。

 早いところでは桜も咲き始めている。


「でも……」


 中学を卒業してしまえば、次は高校への入学。

 不安と寂しさが胸中をめぐるそんな夜。


「食器洗いはやっとく。お前の親戚も明日は来るんだろ」


 隈なんてカッコ悪い顔晒すなよ。

 言外の男の言葉を、少女は正直に受け入れた。


「それじゃあ、おやすみなさい」

「おう」


 春は、別れの季節。

 同時に出会いの季節とも言われる。

 二人にとって、それは圧倒的前者なわけだが、今この場では何も口にしない。


 少女が立ち上がり、自室の扉を開けば男はその背から意図的に目をそらした。

 そして扉が閉まった音を耳にして、男も一人立ち上がりキッチンに移動する。

 だいぶ片付き、物が少なったキッチンの様子に男は一瞬の間を置いた。


 明日、少女が中学を卒業しその証明書とともにこの家に帰ってきたら。

 同時に、この家を発つ。


 たった一季節いただけの少女は、何年もここに住んでいた男よりも存在感ある景色を残した。

 物の数が少なくなっただけで、こんなにも人を感傷的にする。

 それは少女にこそ、強い存在感があったことを表しているのかもしれない。


 少女と過ごした最後の夜に、男はそんなことをふと、感じた。





『ねぇ、あなた名前はなんていうの?』

『……………………』


 彼女が自身の名前を俺に教えてくれた後、そう聞かれた。

 言いたくなかったわけじゃない。でも、言いづらくなったのだ。

 俺の名前は、彼女ほど立派な意味でつけられたものでもないから。

 なにより、俺には合わない名前だったから。  


『…………?』


 それでも、小首を傾げて俺が口を開くのを待つ彼女に、教えないという選択肢もまた、選ぶことはできなかった。

 もしかしたら、その時俺が彼女に自分の名前を教えたのは、そこに意味を見出して欲しかったからかもしれない。

 まだ出会ったばかりで、そんな相手にみっともなく縋り抱き着いた後ではあったけど。

 母性溢れる彼女には、受け入れてもらえると思った。


 たとえ、それが彼女と同じ名前でも。






『──花言葉はね、“清心” “神聖” “信頼”。あと調べてみると、沈着とか休養とかもあるね。どれも、あなたのお母さんに良く似合う言葉よ』


 ゆかりさんが教えてくれる母は、確かにその言葉がよく似合っているように思う。

 まるで聖母様のような、母性溢れる母の話をこれまで何度も聞いてきたから。


『…………でも、もっと似合う言葉もあるの。私があなたを引き取ってから、しばらくして気づいたの』

『なに?』


 ふと、それまで話していた声よりも小さく、忍ばせるようにゆかりさんは話す。


『“救ってください”、そして“離れゆく愛”』


 それを聞いて、私は不思議に思った。

 その二つは、話に聞いていた母とは真逆に思えた。それこそ、喧嘩別れをしてしまったという“父”のようだと。


『私もだけど、彼女に救われた人はたくさんいるの。その人の心に寄り添って慈しむように、母親のように接する彼女に。彼女と関わった大人も子供も、救われた』


 ゆかりさんが、何かを耐えるように、押し殺すようにそう語った。

 その続きが、私も気になった。


『でも、彼女は本当の母親でも、大人でもなかった。彼女が亡くなったのはまだ20代前半だったもの』


 ゆかりさんは惜しむように、それでも懐かしむように話す。

 事故で亡くなった母は、あまりに早すぎる死だった。

 そして、次にゆかりさんが口にした言葉で私は初めて、ゆかりさんの気持ちが分かった気がした。


『彼女に救われる人が多くいても、彼女を救える人は、……いなかったんじゃないかな、って』


 会ったことがない、わけじゃない。それでも顔も覚えていない母がどれほど優しく、温かい女性だったのを私は知っていた。 


『……ずっと、少しづつ。それこそ、花弁のように一片、一片ずつ』


 “離れゆく愛”


 “救ってください”


 本当に、母はその花に似合う人になってしまった。

 その花のとおりに、まるで導かれるように。



『でも、その願いは届いてたんだよね』

『…………え?』


 黙り込んでしまったゆかりさんに、私は言葉をかける。

 母は確かに、その名前が似合う人になってしまった。

 でも、ちょっと恥ずかしいけど、その二つは確かに母の言葉だ。


『私は、お母さんのこと憶えてないけど。本当に母が私を愛してたなら。母に死が迫るその瞬間、きっと母は願ったはずだから』

『……………………』


 残される娘を、私を、“愛”を。どうか、救ってください。助けて、って。


『ゆかりさんが、私を引き取ってくれた。ゆかりさんが、私を、母の言葉を救ってくれた』

『……………………』


 ゆかりさんが、母の願いを叶えてくれた。

 母の願いは、ゆかりさんに届いていた。


『ゆかりさんみたいな親友がいた母はきっと、幸せだったよ。母の娘である私を、こんなにも大事にしてくれてるんだから』

『…………っ、そ、っっかぁ』


 きっと、母は救われていた。

 未成年で子供を産んでも、忌避することのないゆかりさんという親友がいて。

 少し恥ずかしいけど、私が母にとって本当に“愛”だったなら。

 私に名付けた名前の通りなら。

 母の大事な愛は、救われているんだから。




 でも、この時私はゆかりさんの前だからそう言えたけれど。

 後から改めて考えると、やっぱり間違ってはいないけど、正解でもない気がした。


 母は父を愛していたわけじゃない。

 母は父に恋をしていた。


 母からそう言われていたと、ゆかりさんは言っていた。

 どんな相手でも、公平に慈愛を持っていた母。

 そんな母が、愛ではなく“恋”だと言った。


 “離れゆく、愛”


 その二つの違いは、まだ私にはわからないけれど。

 それでも、もし本当にその二つが違う“もの”だとしたら。


 “愛”ではなく“恋”だったというのなら。


 本当に、母を救ったのは。母の恋を、“愛”ではない感情を受け入れたのは。


 間違いなく、その相手は“父”なのだろう。

 そしてだからこそ、母は、お母さんは、父を。“恋”を選んだ。




 なんて。そんなことを勝手に考えて、勝手に寂しく感じてしまうのは、あまりにも身勝手だな。と私は自分の思考を自嘲した。






「んじゃ、荷物はこれだけで、全部まとまってんな」


 無事晴れやかな卒業式も終わり、少女がアパートに帰れば、玄関前で待ち伏せていた男にあった。

 卒業式の保護者役は親戚に頼んでいたが、その親戚も式が終わればすぐに帰っていった。

 一時的な身元引受人だった男は、その式に参加することもなく少女がまとめた荷物を玄関先に運び出していた。


「何から何まで、ありがとうございました」

「ん」


 少女が高校に上がるための準備、それにかかる費用。

 未成年に変わりはないため、次に住む家の契約は主に男が行った。

 契約書、誓約書。あらゆるものにサインと判を押してくれた男に、少女は心から感謝を述べる。

 すべての荷物を完全に外に出し、男はこれ以上部屋には上がれないようにと扉を閉め、カギを挿した。


「次は高校に近いアパートだ。広さはここと同じくらいだが部屋の数が増えて部屋一つは狭くなってる。無駄に家具を増やすなよ」

「はい、気を付けます」


 事務的なやり取りだが、意外と二人の表情は明るい。

 未だこの近辺に桜の花は咲いていないが、少女の胸元に着けられた一輪の花が、この門出を祝福するようだった。

 あまりに細やかな、しかし存在感ある一輪の花。

 少女が男に対して一度深く腰を曲げた。体が傾いたことで花にも一度影が差す。


「本当に、短い間ですがお世話になりました。おかげで無事中学も卒業出来て、高校への入学準備も済ませられました」

「おう」

「本当に、ありがとうございましたっ」


 わずかだが、少女の声が震えた。心からの感謝だと、誰が見てもわかるだろう。

 気のせいか、胸元の花さえ萎れているように見える。


「…………、最後に、聞いてもいいか?」


 深く頭を下げる少女に気圧されたか、少々居心地の悪さを感じるように片腕で頭の裏をかきながら男はそう尋ねた。

 男の言葉にようやく顔を上げた少女は、首を傾げながら頷いた。

 その様子を視界の端に収めていた男は、これまでにはないほど聞きづらそうに口を開いた。


「…………んで、寮にしなかったんだ?」


 男の言葉に、少女は一つ息をのむ。

 そして、一度俯きその口元を男から隠した。

 男は男で、その様子の少女に「最後の最後に泣かせてしまうか」と危惧したが、それからすぐに少女が顔を上げた。


 まるで、かつての少女の母のような眼差しで。


「少しでも、貴方と一緒にいたかったから」


 唇は柔らかく弧を描き、優しく柔らかい、温かな眼差しを男に向けて。


「お父さんと、少しでも長く一緒にいたかったからです」


 その微笑みに、少女の父親は思わず息をのんだ。

 それはかつての恋人が見せた笑顔だからか。

 それとも、その表情の端々に感じさせる己の娘であることを証明する、面影が見えたからか。


 哀しいことに、言葉の最後に『(れん)』と、自身の名を呼んでくれる恋人はもういない。

 恋人が残した娘を、男はほんの一瞬眩く思えてしまった。

 それでも。


「…………じゃ、行くか」


 男は一度少女の頭に手を置いて、歩き出した。

 少ない荷物を両手に携えて。


「……ぁ、はい!」


 残った荷物を少女が持ち、その軽さにわずかに胸を躍らせる。

 少女の胸元の花も、駆け出した少女の動きに伴い弾むように揺れた。




 二人は肩を並べて歩いた。新居との距離はそこまで遠いわけではない。

 大家に挨拶をすでに済ませていると男が話せば、菓子折りの有無を少女が尋ねる。

 低い音で「あ」と唸る男に「やっぱり」と肩を落とす少女。

 荷物を新居に運んだあと、最寄りのデパートにでも寄らないと、と意気込む少女に男はチラと見つめた。


 年のわりにしっかりしていて、しかし時々危うさを見せる少女。

 未だ未成年なことも含め、不安・心配という感情をくすぶらせる。

 もしこれを少女に気づかれれば「お互い様」という言葉が飛んでくる気がしてならない。

 最近のこの少女は以前までの謙虚な態度が夢だったかと思えるほど、遠慮がなくなっている。




 はたから見れば、危なっかしい娘に心を配る父親に見えないこともないのだが、まだこの二人は親子と言い切れるほど知り合っていない。

 それでも、きっとこれから時を積み重ね、互いを知り、愛し合うだろう。




「お父さん、これからもよろしくね」




 親子として。家族として。

 血の繋がる、父とその娘として。


 喧嘩をするかもしれない。別れるかもしれない。

 不満に思って、不自由に感じて。



 それでも、大丈夫だろう。

 この二人は“愛”と“恋”を知っているのだから。


 まだ、二人は再会したばかりなのだから。




 まだ、片想いなのだから。




最後までお付き合いくださりありがとうございます。


無事完結できました。ありがとうございました。


少しでも面白いと感じて下されば、ご気軽に評価コメントしていただけると嬉しいです。

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