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12話 恋の話


「これ以上勝手なことしたら、この家から追い出すからな」




 気が付いたら病院のベットだった。

 目を開けた瞬間ズキッと頭が痛みだしたが、訳が分からなくて周囲を見渡した。

 視界に“あの人”が移った瞬間、背筋が凍り付いたように感じた。

 目が合った瞬間、その冷たさに気が付かされた。


 初めてあのアパートで会った時からこの人は、それがずっと変わらない。




「起きたか」


 何かを呟いたかと思えば、その人はすぐにいなくなってしまった。

 その背中が視界から消える瞬間、止まっていた思考が強制的に引き吊り出される。


 置いて行かれちゃうっ!!


 焦って、視界が真っ赤に染まるように感じて慌ててベットを抜け出した。

 鈍い頭の痛みが抜けず、それでも足を止められなかった。

 その背中を見つけた瞬間、私は震える足に無理やり力を入れてその背に飛びついた。


「お、お願いしますっ!何でも言うこと聞くからっ……」


 一人にっ、……置いて行かないで。


 そう言葉を続ける前に、その人は私を振り向いた。

 迷惑そうに眉をしかめて、見返してくる。

 気怠そうに丸まったその背中が、思っていたよりも温かいことにその時初めて気が付かされた。


「…………いいから、離れろ」


 投げやりの言葉に、安心させられる。無意識のうちに、ホッと息をついていた。


 置いて行かれない。

 そう理解できれば、どうしてこれほど自分が焦ってしまったのかが不思議に思えてくる。

 ゆかりさんに置いて行かれたなんて、思ったことないのに。




 でも、無事ベットから起き上がれたことで退院許可が出たことから、私はその人の家に帰ることができた。そんなとき。

 玄関で靴を脱いでるところで後ろから声をかけられた。

 曰く、「勝手なことはするな」と。

 それからは、これまで許されていたことが全部禁止された。


 まず料理。キッチンに入ること自体、ダメだと言われた。

 次に外出。学校帰りの寄り道もダメだと言われた。買い物をしたければ一声かけろと。

 掃除も、身の回りにとどめろと言われた。

 そもそも、勝手に家事をするな。そう言われてしまえば、本格的に自分が何をしたらいいのかわからなくなった。


 この家に連れられてから、私は家事だけをしてきた。

 それ以外にできなかったから。それ以外にやることがなかったから。

 何をしたらいいか、わからなかったから。

 保護者となるその人が不摂生をしているとわかれば、それを補おうと思った。

 生きる上で、何事も健康であるに越したことはない。

 栄養のある食事を。清潔な空調を。

 ちゃんとした睡眠がとれているかは確認できなかったけれど、できる限り料理でそれを気遣ってきた。


 本当に最初のうちは、彼は働いてすらいないんじゃないかと思ってた。

 夜、外に出るのも、私が邪魔だから出て行ってるんじゃないかと思った。

 でも、くたびれた靴を朝のゴミ出しのときに玄関で見るたびに「違うのかな?」って思うようになった。

 学校に通う以外の間、何をしたらいいのかわからなくて、とにかく掃除をした。

 勝手に物を捨てて怒られやしないかと冷や冷やしたけど、どれを見ても食べかすの残骸やそのゴミばかりで逆に捨てていいか迷うようなものが一つもなかった。

 虫が湧いてないのが不思議なくらい、腐ったものが溢れたキッチンを見て愕然とした。

 虫よけの一つでも置いてるのかと不思議ながらも掃除を続ければ、そういった類のものは何もなかった。

 少し目にするのもはばかられるようなカビは多かったけれど、消毒すれば不思議なくらい何も気にならなかった。


 朝方に家主が帰ってくる音が聞こえてこっそり伺えば、普段よりも気怠そうな雰囲気で項垂れている様子が目に入った。

 そこから泥のように玄関で倒れこみ、ズリズリと体を引きづるように部屋の奥に進んでいく姿を見送って、ようやく出かけていたのではなく仕事に出ていたんだと察せた。

 ゆかりさんも、体力使った仕事帰りだと同じような感じだった。


 あんなにも疲れ切った背中を見てしまえば、無視はできない。

 インスタント食品のゴミが増えていたり、食べかすが床に落ちているのを見つけることはあったから、体に良くない食生活なことにはすぐに気が付いた。

 外に出て何を食べているのか、そもそも食べているのかもわからないので、ひとまず簡単なおにぎりを握って渡した。

 コンビニなどで見飽きている可能性もあるので、定番の具ではなくふりかけをかけたものや、ただ海苔を巻いたものや塩を振りかけただけのものを用意した。

 アルミにくるんだ後から具が何かわからないものを受け取ってもらえない可能性に気が付いて、ラップに包み直そうか迷っている間にあの人が部屋から出てきてしまった。

 せめてと、玄関で靴を履いているときに差し出すと不機嫌そうな表情で不可解そうな感情が見えた。

 そのうち二つを持って行ってくれたけれど、あまりうれしさは感じなかった。




 もともと、積極的に私を引き取ろうとした人じゃない。

 興味もなく、なんだったら忘れていたんじゃないかと思う。


 私だって、初めて会うこの人を“父”だとは思えないのだから。


 母の親戚だった人が、無理を言って私をここに置いて行った。

 行くあてなどないし、高校に上がればどうにか一人で生きていけるはず。

 ここにいるのは、ほんのひと時の間だけ。

 それ以上はきっと、許されないから。


 最低限の挨拶だけをすまし、コミュニケーションも取らない。

 ただ、場所と短い時間をお借りするだけ。

 関わらない。深く知り合わない。

 他人だとでも思っていれば、きっと何も気にならないから。


 …………それでも、やっぱり一緒に生活していくには無視などできなかった。




 掃除、料理。

 私が唯一、役立てられること。

 ゆかりさんにも「いつもありがとう」と言ってもらえたこと。

 流石に洗濯とかはできないけれど、できる限り頑張ったつもりだった。

 食器はゆかりさんと住んでいた家から持ってきたのを使った。

 いらないと言われれば、すぐにでも片付けようと思った。

 冷蔵庫はあっても中には何も入ってなかった。

 買い物をして、作り置きもするようにして放課後を過ごした。


 無理をしてるつもりはなかった。ゆかりさんと暮らしていた時と同じようにしていた。

 でも、それがかえって負担だったらしい。

 ゆかりさんと住んでいた時は当たり前だったとしても、新しい同居人がそうだとは限らない。

 気に入らなければ簡単に追い出せるだろうし、暴力だって振るえるだろう。

 常に相手の反応をうかがい、緊張状態であったのだと腕に包帯を巻いてくれた看護師さんにそっと教えてもらった。

 会話さえまともにしない相手なら、なおさら心が疲れると。


 まさか、ケガをしただけで病院に連れていかれるもらえるなんて思わなかった。

 何をしてるんだ、と嘆かれるか叱られるかだと思った。

 手のひらから腕にかけて巻かれた包帯を眺めて、不思議な気持ちになったのを憶えてる。


 ……でも、それも二回。

 思っていたよりも、私はこの人から大切にされているのだろうか。

 そんな淡い期待を、一瞬でも抱いてしまった自分に、戸惑った。


「おい、キッチンには入んなって言っただろ」

「え……、っ違います。水を、お水を飲もうとして」


 考え事をしていたら、つい癖でキッチンに踏み出していた。

 後ろから肩をつかまれ、驚いている間にその人は私よりも先にキッチンに入りこんだ。

 そして水の流れる音が聞こえたと思ったら「ん」と振り向いてコップ一杯の水を差し出された。


 どうして、ここまでしてくれるんだろう。


 勝手なことをしたら追い出すと、そう言った癖に。

 それとは反対の扱いに思えてならない。

 情け?同情?

 訳が分からなくて、戸惑ってしまう。

 どうしたらいいのか分からなくて、気持ちの整理がつけられない。

 考えが、まとまらない。


 期待を、してしまう。




 私は、ここにいてもいいのだと。


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