第0話
――できれば早く寝たい。
暗く足場の悪い道を、履くだけで蒸せるような軍靴で進む男女がいた。男は、さきほど歩哨の役を交代したあと、彼女に連れられて野営地を出てきたのだ。 蒸し暑い風が頭を撫でると、二人そろって脱帽しタメ息をする。たまった疲労とあいまって、じつに不愉快な気分だった。連れ出された男は、うらめしい思いで前を歩く女を見る。
女は、男の三歩先を、月明かりを頼りに歩いていた。とても華奢な体格だが、夜道を歩くには足取りは軽やかな様子だった。
この二人の共通点を挙げるとするなら、カーキー色の木綿でできた軍衣と膝下まであるズボン 略帽といった地味な服装で、おまけに汚れていることだった。取れかけた襟章が、かろうじて軍人の名誉を守っていると感じさせる。
つまり、この二人は軍人であった。どこの国の軍人かと二人に聞けば「大日本帝国だ」と答えるだろう。亜細亜の一等国の軍人だと、ボロボロの軍服で自身いっぱいに言うかもしれない。しかし食事の栄養不足のせいか、やせ細っており目だけがギラギラし不気味な雰囲気だった。お世辞にも栄えある大日本帝国軍人と思わせる格好ではない。
かくゆう『大日本帝国』も滅びるか瀬戸際だった。
「しっかし、えらく歩きにくいな。 少尉?」
足元の石や木片の破片を踏みつけながら男が女に言った。
「えぇ、ここは早い段階で破壊されたので」
少尉と呼ばれた女が簡潔に答える。
「……ここが、あの京都かよ」
改めて回りを見渡す。
二人が歩くこの場所は、京都の中心地だ。いや、もはや瓦礫の山と表したほうが良い。 月の明かりが露わにする光景は、胸の詰まる思いがする。一方、腰の高さまでの瓦礫の山が延々と続く様は広大で、京都盆地一帯を見渡している気分にもさせる。
この風景を作った『怪物』は今どこにいるのだろうか。
その『怪物』は 白神 白鬼 またはフルヒトと呼ばれていた。姿も容姿も人間と大差ないが、身体能力は文字通り鬼にも、神にも匹敵する。
この京都が大破壊されたのは今から二年前、大戦が始まって早々に化物の餌食になった。
それから今まで、日本の主要都市 軍基地 工場町が消し炭に変わっていった。
フルヒトとは、ドイツ語のfurcht(恐れ)からきている。ドイツ語の発音とは誤った読み方だったが、「降人」と当て字がされ定着してしまったらしい。なにより日本人には発音しやすかったのだ。そのフルヒトと最初に組織的に戦ったのがドイツだった。ヨーロッパでの戦争の決着がどうなったのか、ヨーロッパ諸国との国交が軒並み断絶した今では、分からない。
そして、それ以来ヨーロッパのある西からフルヒトが襲来するようになった。
そのせいで今度は中国大陸を舞台に大日本帝国とフルヒトの戦争が始まった。少人数ではフルヒトには到底敵わないので、帝国軍は大規模な軍団を編成し何度も決戦を行った。しかし度重なる決戦は日本国力の許す処ではなく、開戦当時は中国大陸の一部を有した勢力範囲も国力の低下と同時に縮小していった。
四年も続く戦争に国民の2割が死に絶え、国土の4割を侵略され、帝国海軍は壊滅し、東京を守るために陸軍のほとんどが関東周辺にいる今、帝都以外の国民は、いつ来るとも分からないフルヒトに恐怖しながら生きていた。すでに経済活動が瓦解しかけていて、フルヒトや戦争の戦火に合わせて、明日の生活すら成り立たない。とにかく人が多く死んでしまった。軍人や軍属ならまだしも、銃後の人間が大規模攻撃で逃げる間もなく殺されてしまった。人間同士の戦いであれば、こんな惨い事にはならなかっただろうに。フルヒトは血も涙もない、化物だというのが、向けられた感情だった。
とにかく生き残るには、戦うしかない。国が作った国家総動員法は戦死した兵士を補うために、女子供も戦争に駆り立てて行った。目の前を歩く少尉を見る。 彼女も国家総動員法で半ば強制的に軍兵をやっている。
「……なぁ、いつまで歩くんだ?」
すでに野営地から離れすぎている。あまり離れ過ぎると脱走したと思われるので、そろそろ戻りたいというのが男の心情だった。男は普段から軍隊では問題の多い人間とされていて、特段監視の目が厳しかった。もし脱走を疑われれば、上から鉄拳による制裁が待っている。
「まだです。 あと、もうちょっとですので」
どことなく、ただ彷徨っている様な彼女の進路は、ハッキリ言って頼りない。軽快な足取りも移動というよりは何かから逃げている様だ。
「なぁ、いい加減に――」
言いかけた瞬間、目が眩むほどに空が明るくなった。月の明かりなど、かき消したかの様に、白い光に塗り潰される。同時に辺りの蒸し暑さを吐き飛ばすかのような突風が押し寄せる。
少尉は、状況を理解すると俯き、静かに目を閉じた。
「あれは……流星?」
眩む目で上空を確認すると、白い線が5本。 ちょうど、頭の上を通過、落ちるところだった。白線が頭上を通り抜けると、轟音が耳を襲いたてる。
「……いかん、あの方向!」
――刹那。 5本の光の矢は、地に落ちた。凄まじい光、轟音、遅れてやって来た衝撃波で遂に転倒した。
二年前の京都も、突然このように光に包まれ消えていったのだろうか。




