スパイはやめられない
それから三日後、I国はF国への侵攻を開始した。
「ちょっと早過ぎるわ。まだ、何の準備もできていないのに」
麻子は侵攻状況を映しだすスクリーンを見ながらいった。
「この状態では情報操作くらいじゃ収まらないわよ。パワーバランスが傾き過ぎている。なんらかの実力行使が必要ね」
しかも晴美は、確率八十パーセント以上で、徹底した実力行使が必要だと告げた。
「つまり、大国あるいは国連が指揮を取り、I国の軍隊を制圧する。しかもこの時、I国に友好的な国をすべてを抑えられたとしての話だけど……。もし、抑えられなければ、泥沼の戦いになるわ。とくに大国がI国側につけば、ここだけでなく、世界のパワーバランスが崩れる可能性もある」
「悪い事に、I国は東寄り、F国は西寄り。その近辺の国々も複雑に絡み合って、全部を抑えるのは不可能。――こまったわ。できれば実力行使はさけたいんだけど……」
頬杖をついて麻子が考え込む。作戦立案と指揮は麻子の役目だ。だれもその重責を代われる者はいない。
「しかたないわ、武力介入しましょう」
長い沈黙の後、麻子は告げた。
「介入は早ければ早いほどいいわ。F国側を完全に制圧されたら、それこそ、相当な武力が必要になるものね。今なら最小限の武力で済みそうだし」
「でもどうやって? 一国と戦争するだけの武器なんざ、ストックしてないぞ」
武器が十分あったとしても、たった六人で何とかできるとは到底思えない。
「真澄の彼に頼んでみようと思うの」
「か、彼じゃありません!」
真澄は一生懸命否定するが誰も聞いていない。
「あら、慎吾くんとはキスした仲じゃないの?」
みちるが意味ありげに、真澄の唇を指差す。
「だ、だれがそんなことを!!」
真澄の顔が、一気に赤くなる。これでは告白しているも同然だ。
「あたしたちの情報網を甘く見ちゃだめよ。常に学園内の情報はチェックしているんだから」
人を通じての情報収集はみちるの役目だ。この情報も彼女がどこかからか手に入れたのだろう。
でも、このことを話したのはあの三人だけだ。いったい誰がもらしたんだろ?
後でとっちめてやらなくちゃ!!
「そういうわけだから、彼に連絡を付けてほしいんだけど……だめかな?」
麻子は真赤になりうつむいている真澄の、細くてきめ細やかな髪の毛をいじりながらいった。
「でも、電話番号知らないんです」
「家は知っているんでしょ? 直接そっちに行けばいいじゃない」
でもぉー。
「わたし、彼の事ひっぱたいちゃって、顔合せづらいんです。それに彼の方はどう思っているかわからないし……」
凶暴な娘だと思ってないかしら? わたしのこと好きなら連絡くらいくれてもいいのに、あれから全然ない。きらわれちゃったかもしれない。いや最初からそんなつもりはなかったのかもしれない。
「いいチャンスじゃない」
「ごめんなさい、ってあやまって、涙の一つも見せればいちころよ」
「そうそう。男なんて単純なんだから」
口々にはやしたてられ、真澄はとりあえず会ってみようという気になる。
このまま別れちゃうなんて、いや。
少なくとも、彼の真意を確かめなければ、夜もおちおち寝ていられない。
善は急げ|(?)とばかりに、真澄はお風呂に入れられるわ、お化粧はされるわ、着せ替え人形にされるわで、ほとんど先輩達のおもちゃにされてしまった。
真っ白なレースとふわふわのスカート。お姫様のようにきらびやかなアクセサリーを付けて、鏡の前に立つ自分を見つめる。
「これが……わたし?」
「思ったとおり。真澄ちゃんって、化粧ばえするのよねぇ。こういう服が絶対似合うと思って用意しといたんだ。どお? 感想は?」
みちるはそういって、満足そうに微笑む。
「自分じゃないみたい。お化粧するとずいぶん印象が変わるとは思っていたけど……」
「間違いなく真澄よ。さあ、いきましょ」
「ちょっと待って。この格好で外出るの?」
ちょっと恥ずかしい。
「だいじょうぶよ。ちゃんと凄い車用意したから。その格好に見合ったね」
麗華がタキシードを着て現れた。
「先輩、それは?」
「今日は真澄のおかかえ運転手よ。彼のマンションまで送って上げるわ」
「でも、いないかもしれない。忙しそうだったし」
「いなかったら、鍵開けて勝手に入いっちゃいなさい。錠前破りは得意でしょ」
「それじゃ不法侵入です」
「今更なにいってるのよ。一回や二回増えたからってたいしたことないわよ」
まったくその通りだ。
もう、彼のところへ行かなくていい理由が見つからない。
真澄はおとなしく、外で待つ大きくて立派な外車に乗り込んだ。
「これ、なんて車ですか?」
「以前ミッションで使うんで、特別に作らせた奴よ」
「凄い高そうですね」
「確か十億円とか麻子がいってたけど、本当かどうかは知らないわ」
真澄は慌てて、シートから手を離す。汗で染みでも付けたら大事だ。
「やだぁ、そんなに緊張しなくてもいいわよ。アイスボックスにワインが冷えてるからそれでも飲んでリラックスしなさい」
麗華はそういうが、こぼしたら、と思うととてもできたものじゃない。
「わたしのことはいいんです。それより前をしっかり見て下さい」
「この車なんかたいしたことないよ。ドレスと真澄の付けているアクセサリー全部合わせたら、この車がもう数台買えるんだから」
麗華が事もなくいう。
それから、慎吾のマンションに着くまで、ずっと硬直していた真澄だった。
「帰る時には電話してね。すぐに迎えに来るから……がんばるのよ」
☆
マンションの前で車から放り出された真澄は、しかたなく中へ入った。外では余りに目立ちすぎる。
慎吾の部屋の前に立ち、真澄は一時ためらう。
いて欲しい。いないで欲しい。
わたしの気持ちはどっち?
真澄はふるえる指で呼び鈴をそうっと押した。
しかし反応はない。
いないのかな?
二度三度と押す。
すると、ばたばたという足音が近付いて来た。
「うるさい。新聞ならまにあっている!」
そういって足音が遠ざかっていく。
あっ!
「わたし『ますみ』です!!」
真澄は思わず、マンション中に響きわたるかのような声で叫んでしまった。
ドアが開けられる。
「あっ、わたし、先輩にいわれて……」
大声を出してしまった恥ずかしさと、慎吾に対する気まずさで、自分でも何をいっているかわからない。
顔が真っ赤になってるのが、自分でもわかった。
「まあ、入れよ」
慎吾は手を取り、ぐずっている真澄を引きずり込んだ。
「どうしたんだ今日は。やけにめかし込んでいるな」
慎吾の視線が全身に突き刺さる。
「これは、先輩に無理やり着せられて……似合いませんよね?」
「そんなことはない。よく似合っている」
真澄をソファに座らせ、自らもすぐ隣に腰を降ろす。わずかに肩がふれあうくらいの距離だ。
「仲直りしてこいって先輩にいわれて」
「仲直り? 喧嘩なんかしていたっけ?」
「この間、いきなりひっぱたいて、ごめんなさい……怒ってない?」
「ああ、あれか。怒ってなんかいないよ。あんな時に仕事の話持ち出した俺が悪いんだ」
慎吾はそういって笑いかけた。
よかった。怒ってないみたい。
「わたしの方こそごめんなさい。ついかっとしちゃって。今日はわたしの方が仕事の話ししなくちゃいけないんだけどいい?」
「かまわんよ」
真澄は、麻子が緊急に仕事を頼みたい由を伝えた。
「その気があるんなら、今日中に連絡してくれって」
「わかった。元々そのつもりだったから、好都合だ」
やっぱり、彼はわたしを利用しただけ。
「わたしの用事はそれだけだから……」
急に居たたまれなくなって、真澄は立ち上がりかける。しかしそれを慎吾はソファに引きもどす。
「せっかく来たんだ。ゆっくりしていけよ」
慎吾の顔が近付いてくる。真澄は自然と目を閉じてしまった。
なんで、なんで?
疑問が渦巻く。
もう、目的は果たしたはずなのに、なんでこんな、こんな優しいキスをしてくれるの?
唇がそっと触れ合うだけなのに、全身が包み込まれそうな、優しすぎてせつなくなってしまうような、そんなキス。
真澄の頬を知らず知らずのうちに、涙がつたい落ちる。
「なんでわたしにキスするの?」
長い口づけが終わった後、真澄は小さなかすれる声で尋ねた。
慎悟は真澄の事を見つめながら、逆に尋ね返した。
「なんで俺にキスさせた?」
あなたが好きだから。
あなたのそばにいたいから。
あなたとキスしたいから。
それが真澄の答え。
そしてそれは、彼の答えでもあった。
☆
ミッションを前にみな忙しくたち働く。麗華は飛行場ヘ、輸送機の整備をしに行った。みちると晴美はI国の情報収集と、他国の動きをとらえる。優子は武器や装備等を揃えていた。
「待っていたわ」
慎吾からかかってきた電話を麻子が受ける。
『俺のことは知っている様だから自己紹介はいらんだろう?』
「ええ、気に入った人物としか取り引きしない変わり者でしょ。こちらの自己紹介は必要かしら?」
『謎の組織ASCのことなら多少は知っている。真澄を見て謎が深まったがね』
「広いようで狭い世界だものね。手間が省けていいわ。こうして連絡をくれたって事は仕事を引き受けてくれるつもりがあるわけ?」
『仕事の相手としては問題ない。仕事の内容と金額が折り合えばすぐに物を用意する』
「契約書はいらないのかしら?」
麻子はちょっと意地悪っぽくきいた。
『いらん。俺の眼鏡違いだったとあきらめるさ。約束を守れない所は所詮二流だ。ほっといても潰れる。報復する必要さえない』
「あたしたちが一流かどうかは知らないけど、約束は守るわ。用意してもらいたい物のリストを読み上げるけど、いい?」
『どうぞ』
麻子はミッションに必要な物資の長いリストを読み上げる。
「五日でそろうかしら?」
『無茶をいうな』
「闇の手配士、山崎慎吾でも無理?」
『その呼名はやめろ。引退したおやじのものだ。俺は単なる貿易商にすぎん』
彼がその名を受け継ぐことになったのは、一年前。
取引先とのトラブルで、銃弾に倒れた父の代わりに。
父の持っていたいくつかの取引先は、若い彼に難色を示したが、多くの取引先は彼の後を継いでほしいと、要望した。彼は引き継ぐつもりなどなかったのに。
慎悟は幼き頃から父と共に世界中を飛び回り、商談をまとめてきた。だから初代闇の手配士の思想を彼ほどよく知る者はいない。
世界には多くの、迫害されている民族がある。
彼らにとって同情などなんの意味もない。
食べる物もなく、住む家もない。
彼らが持っているのは、自分の命。それだけであった。
そんな彼らの命を買い、武器や食料を供給する。それが闇の手配士の主とする仕事であった。
男なら傭兵や奴隷。女なら娼婦。そして産まれて間もない赤ん坊は、子供のいない夫婦へ。非道、と人はいうかもしれない。しかしそんな綺麗ごとをいっていたのでは、飢えと病で倒れ、道端にその死骸をさらすだけだ。
どちらが幸せかと問われたら、どちらともいえぬと答えるしかないが、少なくとも自分の人生をいく通りか選べる。飢えて死ぬ、闘って死ぬ、男に弄ばれ、疲れ果てて死ぬ。飢えて死ぬしかなかった選択肢が、いくつか増え、その選択により金を手にすれば、その家族が別の道を選択できる。
彼は決して強制しない。
命の値段がいくらであるかを提示するだけ。それで売るかどうかは本人の意志に任される。
だからどんなに辛くても、彼は闇の手配士を引き継がなければならなかった。やめることはできなかった。父に付き従い、現実を目の当たりにしたから。
彼にできるのはただ、できるだけ彼らの命を高く買ってやるだけ。
金のあるところから、ないところへ、できるだけ流してやる。神ならぬ身では、それが彼のできる精一杯のことであった。
「呼名なんかどうでもいいじゃない。それよりできるの? できないの? できないとしたらどのくらいかかるかいってちょうだい」
『できないことはない。しかし、良心的な値段にはならないぜ。五日という日数では、物の値段はもとより、輸送料も一気に跳ね上がる。まっ、ざっとみて相場の三倍はかかるぞ』
「それでかまわないわ」
『さすがASC。太っ腹だな。あとで、明細を送る。真澄によろしくいっといてくれ』
電話が切れた。
麻子は受話器を置き、真澄の方を見る。みな忙しくしているなかで、一人だけ頬杖をついてぼーっとしている真澄。
しばらくほっとくしかないわね。
麻子は大きなため息をついた。
そうそう、もう一つ電話しなくちゃ。
麻子は再び受話器を取り上げる。
「ハロー、プレジデント……」
☆
九月最後の日曜日。真澄はなかば強引に、渋谷のある喫茶店に連れ込まれた。他ならぬ仁美の頼みであるため、どうにも断りきれなかったのだ。
「ほら、真澄の番よ」
仁美につつかれて、真澄ははっと気が付く。
「雨宮真澄です。趣味は読書と映画鑑賞です」
そうだ、自己紹介の途中だったのだ。
千佳子の彼の紹介で合同コンパが開かれる事になり、人数合わせのため狩り出された真澄だった。彼等は六人。こちらも仲良し四人組プラス二人だ。
元々、仁美の強い希望で開催された会合なので、彼氏のいる真澄と千佳子はホステス役に徹するようにいい含められている。
「あたしも機会さえあれば彼氏の一人や二人……」
そう、仁美はいう。
確かに女子校という環境に加え、近所にある寮との行き来しかしないのでは、男の子としゃべる事はおろか、見る機会さえない。
自己紹介が済むと席を移動したりして雑談が始まる。
真澄はよく冷えたアイスコーヒーをすすりながら、時々相づちを打つくらいで、積極的に話しかけたりはしなかった。対照的に彼氏のいる二人以外は目当ての男の子を離すまいとして一生懸命話しかけている。
まあ、どちらもお嬢様学校にお坊っちゃま学校のせいか、かなりぎこちないが、その一生懸命な姿はどことなくほほえましい。
「厳選してきた」
そう千佳子の彼がいうだけあって、男の子のレベルはかなり高いといえるだろう。その容姿ももちろんだが、女の子達を退屈させないだけの話題とユーモアを持っていた。
しかし、真澄はなんとなく物足りなさを感じた。男の子達はみな快活で、慎吾のような危険な感じや陰りのような所はまったくない。
そのせいか、この中にいると慎吾の事が余計に恋しくなった。そのくせ、慎吾といる時は、ピリピリとした緊張感に耐えきれず、逃げだしたくなるのに……
真澄はミッションの時にも同じような感覚に捕われる。平和な世界に逃げだしたいと思うのに、いざそこへ帰って来てみると、平和だが退屈な世界が耐えがたくなるのだ。
☆
「降下準備!!」
麻子が号令をかける。今度のミッションには彼女も直接参加する事になっていた。輸送機に残るのは晴美だ。I国ではネットワークがあまり発達しておらず、日本からのサポートはできない上、I国語を話せるのは麻子しかいないためだ。
いつものごとく床が傾斜し、滑り台のようになった。
「降下!」
さすがに悲鳴こそ上げなくなったが、この瞬間が一番緊張する真澄だった。しかし、この頃ではその緊張でさえ心地良い。なぜなら自分が生きている事をありありと感じられる時でもあるからだ。
赤道に極近いはずだが、頬にあたる風は驚くほど冷たい。
真っ暗な上に冷たい風。そんな中で真澄は暖かなものを感じる。それがなになのか、おぼろげながら見えてきた真澄だった。
今回のミッションには例外的に別動隊が存在した。一日だけ極秘に借り受けた部隊だ。それは真澄達が降下を開始した時とほぼ同時刻に行動を開始する。
☆
I国軍総司令部では、つい先程から始まった奇襲攻撃に対する作戦会議が開かれていた。
「いったいどこの国だ?」
大統領は補佐官に尋ねた。
「わかりません。国籍不明です。真っ暗な上電波障害が激しく、機種すら特定できない状態です」
「攻撃を受けた隊からの通信によれば、どうやらガスか生物兵器ではないかとのことです。今のところどこかが破壊されたという報告は入っていません」
補佐官に軍事顧問が続けて答えた。
「BC兵器だと! そんなばかな。我が国すべてを葬りさるつもりか!?」
大統領がそういった時、正面のドアが乱暴に開けられた。
「そのまま動かないで!」
自動小銃やサブマシンガンを持った一団の一人がそう叫んだ。もちろん麻子である。他のメンバーはI国語を話せない。
室内にいた大統領他六名は、凍り付いたかのように動きを止めた。
「おまえたち、何者だ?」
大統領は侵入者を刺激しないようにゆっくり話す。
「ASC」
麻子は一言で答える。
それを聞いて、軍事顧問が顔をしかめた。この名を知っているのは彼だけらしい。
軍事行動には必ず首を突っ込んでくる、ASCの名を。
「目的は何だ?」
「我々は戦争を望まない。ただちにF国より撤退してもらいたい」
「それはできん。いま我が国では戦争をしない限り未来はない。この国にあるのは軍事力の他は借金だけだ。たとえ私を殺そうと、戦争を止めることはできない。いくらでも私の後に続く者たちがいる」
「貴方を殺そうなんて思っていないわ。私たちの用が済むまでおとなしくしていればね。私たちとしても実力不足の後継者と交渉するより、貴方と交渉する方がずっとてっとりばやいから」
「私を高く評価してくれるのは嬉しいが、戦争を止めたくなるほどの条件があるかね?」
彼等の目的が交渉にあると知った大統領は、多少余裕を見せる。
「いい条件と悪い条件があるんだけど、どちらから聞きたい?」
「いい条件から聞こうか」
麻子は、バックパックから書類を取り出した。
「これは、アメリカと日本、ドイツ、その他十数国からの親書よ。内容は、和平交渉に応じるなら経済援助と技術援助の準備があるってこと」
先進国の多くは戦争反対者が多く、平和のためにおしみない努力をしたとなれば、政治的なポイントを相当稼げる。麻子はそれを利用して、各国から援助の約束を取り付けたのだ。
「いくらぐらいの援助がもらえるかは知らんが、とうてい足りないだろう。借金は膨大な金額だ。世界的に不況の今、我が国が立ちなおれるほどの援助はむりだ」
「はっきりいえばそうなんだけど、いい条件ってこれが限界。あとは貴方達の努力でなんとかしてもらう他ないわ。いつまでもおんぶにだっこでは、それこそ国際的に孤立してしまうわよ。どう? これで手を打ってもらえないかしら?」
「だめだ」
大統領はにべもなくいい放つ。
「まあ、そういうだろうとは思っていたわ。でも、悪い条件を聞けば、これで手を打つ気になるわよ」
麻子の合図で他のメンバー達が威嚇するように銃を巡らす。悪い条件を聞いて逆上しないように、あらかじめくぎを刺したのだ。
「今、攻撃を受けているのは知っているわね? あれは、私たちが雇った傭兵部隊なんだけど、いったい何を落としているか知っている?」
「BC兵器らしいことしか知らない」
「化学兵器よ。日数が少なかったから、大量に用意するのは大変だったけど」
もちろんこれを用意したのは慎吾だ。彼はその他にも、爆撃機や、電波妨害装置、傭兵等の手配をしている。
「いったい何をばら撒いた!?」
「安心して、人体に害はないから。害があるのは機械と電子機器だけよ」
「まさか……」
軍事顧問がつぶやく
「そう、糖質気化爆弾。通称『キャンディメーカー』。ガスに触れた物すべてに、糖質が付着し、まるで飴のように粘る。機械に付着すれば歯車や軸が粘って動かなくなる。しかも酸化剤が混ぜてあるから、早く洗い流さないと、さびだらけになっちゃうわよ」
糖質気化爆弾は、敵戦力を無力化するために開発された化学兵器だ。化学兵器は風当たりが強いが、小規模な工場で安価に作れるという利点があるために、今でも根強い人気がある。そのため、人道的な化学兵器という物が作られた。まあ、実際には、こんな無害な化学兵器もあるという宣伝効果のために作られた物で、あまり大量には出回っていない。
「ついでにこの情報をI国に敵対する国や、反政府ゲリラに流したらどうなるかしら? 私の計算では、八十パーセント以上の兵器が、数週間に渡って使用不可能になるわよ」
大統領とその側近達は声もなく立ちつくす。
「条件をのまなければ、今度はこの国が侵略される番ってわけ。選択の余地はないと思うんだけど、いかが?」
麻子は親書の入った封筒をぴらぴらさせる。
「――わかった。条件をのもう。すぐに撤退させる」
大統領はうつ向いたままいった。
「親書は置いていくわね。後のことは他の国と相談して決めて頂戴。でもできれば、自分達の国は、自分達の手で立て直しなさい。それができない限り、いつまでも一人前の国になれないわ」
「できるだけ努力する」
「もし、約束を破って撤退しなかったり、再び戦争を仕掛けたら、次は無条件に叩き潰すわよ。それだけはおぼえておいて」
麻子は封筒の束を近くの机に置く。
「撤収!」
麻子を囲む様にして整然と退出していく彼女等を六人の男達は黙って見送るしかなかった。
☆
真澄と仁美は寮の食堂でテレビを見ていた。
「なんかあっさり終わっちゃったね」
ニュースを見ながら仁美がいう。
「そうね」
真澄は、そう短くいった。仁美に今度のことを話したら一体どんな顔をするだろうと、真澄は思う。
「悪代官をこらしめる正義の味方みたいでかっこよかったですね、麻子先輩」
ミッションが終わった後、真澄はそういった。
「いやねぇ。そんないいもんじゃないわ。おかげで、ありったけのコネを使っちゃったから、しばらくは何も頼めないわ」
そう彼女はいうが、少し顔が赤くなっている。
「てれるなって。確かにかっこよかったぞ。次は、あたしにやらせてくれよ」
優子が麻子の首に抱き付きながらいった。
「今度のことは例外中の例外です。情報収集と解析を強化して、二度とこの様なことがないようにするから」
「ちぇっ、つまらん」
さも、つまらなそうにいうので、真澄は思わず笑ってしまった。
「きっと何か裏取り引きがあったんだわ。新聞だって長期化しそうだっていってたじゃない」
仁美がけっこう鋭いところを突いてくる。
でも、真相を知っているのは真澄達だけ。
「そうかもね。でも、そんなことどうでもいいじゃない。とにかく戦争は終わったんですもの」
「そうね」
いつの間にか話題は、いかにして先生達の目をかすめてお化粧するかに変わっていった。
真澄は、この平和でぬるま湯のような生活がいつまでも続けばいいと願いながらも、身体が震えるほどの興奮を忘れることができない。
無理やり入れられたスパイ同好会だったが、今ではもう、やめられそうもない真澄だった。