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ヨークスにて

「陛下、ヨークスです」

 リューヌがシュクルに振り返る。シュクルは窓から外に群れる難民の群れを見つめる。

「これだけの人数、食料備蓄は長く持たないわ」

「はい。なるべく早い輸送が望まれます」

「リソレイユの食料は?」

「只今エトワミュール駐在特使がエルフと交渉中ですが……」

「そうだったわ。エルフ側は私の出席を要求しているのね?」

「はい」

「ならば一刻も早くリソレイユへ行かないと……」

泥に塗れた臣民の視線を受けながら、シュクル一行は街道を進んだ。

「あんなに泥に塗れて……私を恨んでいるのかしら」

「……。それはありません。臣民は不満を抱きませんし、苦しみも、心の痛みも感じません」

「それは残酷かしらね」

「私達には選択肢が与えられていました。義務教育を受けるか、軍人になるか、学者としてリソレイユに流れるか。選択肢が与えられていた以上、義務教育を選択した彼らに、後悔は……いや、後悔など感じません。それにもし、世界中全ての人間が英知を等しく得てしまえば、人口六億の我が帝国は崩壊します。それは神代の歴史を学んだものならば、誰もが行きつく結論です」

 リューヌは語気に力を込める。

「 〝民主主義〟だったわね。確かに我が国は帝政を布いている。臣民に啓蒙思想、民主主義の波がうねれば、帝政維持は難しいでしょうね。でも……」

シュクルは無表情の避難民の群れを眺める。

「陛下?」

「何でもないわ」

シュクルはただ静かに、窓を見つめた。


「シュクル陛下」

「御苦労」

ルリエが自動車のドアを開き、シュクルはヨークスに降り立った。

暗闇満ちた街中にはガス灯が灯され、通りには全て石畳が敷かれている。主だった通りにはレンガ造りの商館が軒を連ね、広場には噴水が湧く。正に帝国第二の都市として相応しき景観だった。

「シュクル陛下に敬礼」

ヨークスの兵士が一斉に敬礼する。

「陛下の御部屋は豪華客船アルメルトにご用意しております。近衛隊の御方も其方にてお過ごしいただけるようお願いいたします」

 ヨークス駐在軍司令官タカトミ少将が出迎え、シュクルを港へ誘導する。港へ続く大通りの両脇には兵士が一列に並び、銃剣を地面に突き立てている。

「しかし豪華客船とは何故だ?」

シュクルはタカトミに問う。

「アルメルト号は帝国随一を誇る高速船です。巨大な船体で嵐に耐え、神聖義勇軍の潜水艦に捕捉されても速度で引き離すことが可能です。既に兵員輸送用に換装済みで、一度に一万の兵員を輸送可能になっております。また、船団は高速巡洋艦六隻、アルメルト同型艦二隻を予定しております。一度に十万人の輸送が可能な編成です」

「分かった。アルメルト、同一隻には貴族、亡命貴族も乗せるが、大きな船だ、乗せられるだけ臣民も乗船させよ。避難民は若者、特に女子供を優先して乗せよ」

「かしこまりました」

「時間が惜しい。何時出発できるか?」

「物資の積み込みは完了しております。後は難民の乗り込みに一日掛かるかと」

「分かった。難民が乗り込み次第出発する。早急に準備を完了させよ」

「かしこまりました」

第四近衛隊を引き連れたシュクルは豪華客船の中へと消えていった。

 

シュクルが船室で休んでいる間、第四近衛隊は町外れの草原に軍馬引き連れ集った。馬の無いリリーはルリエの馬に同乗して来ていた。

近衛隊の皆は馬を降り、その背や頬を摩る。

「ルリエさんの馬は純白ですね」

「私が士官学校卒業祝いに、両親から貰ったの。この子が生まれるときから、私は一緒だった。騎兵にとって、馬は絶対の相棒で、家族。船には乗せられませんから、せめて、自由にしてあげようと……」

 ルリエが愛馬の背を摩る。

「さようなら」

ルリエが手綱を離す。近衛隊の皆も、馬をその場に残し、自動車に乗り込む。

軍馬は静かに草を食む。

数頭の馬が走り去る自動車を追いかけるが、それも地平線の彼方に消え去る。

 車内には兵士達の押し殺した泣き声が響く。

夕暮れの太陽が、地平線に沈んだ。


「貴族優先だ。臣民は下がれ」

「臣民はメリーランド号だ。メリーランド号に回ってくれ」

 夕闇が覆うヨークスの街に、兵士達の怒号が響く。

「リューヌ。帝国、亡命問わず貴族方全員と話をしたい。それと、官僚代表の方々とも」

アルメルト号の船尾甲板から街の様子を観察するシュクルが、背後に控えるリューヌに言った。

「甲板に呼んでほしいの。頼める?」

シュクルが肩を震わせ言った。

「無論でございます。……では行って参ります」

「待って。ルリエ、エミリ、近衛隊の皆、そしてリューヌにも、私の護衛。お頼みします」

シュクルはそう言うと、瞳を煌めかせた。近衛隊は敬礼を返すと、ルリエ指揮の下、配置に着いた。


「我ら帝国貴族、亡命貴族、招致に応じました」

帝国貴族首長のキリシマが挨拶をする。

スポットライトに照らされ、船尾甲板に立つシュクルは、静かに淡々と語りだした。

「御苦労だった。諸君には今、我より直接話がしたい。まず話をするに当たり、我より断りを入れておく。我は諸君の気高き血を守る用意があることを約束する。だがその為には諸君に痛みを伴わせることを覚悟してほしい。その上で、我の話を聞いてもらいたい」

特設で甲板に立てられた長方形の白い帆布に、プロジェクターの光、そして帝位と補佐官の証明書の透過紙コピーが投影された。

「既に聞き及んでいるはずだが、我は我が父上より帝位を譲られた。故にこの証明書にあるように、帝都以外の全ての管轄は我にある。また、我が父上の任命により、第四近衛隊長リューヌ=ルミエールは我の補佐官に就任した。そして現在、我の急務はファリランダの全貴族、官僚、臣民その他全民をリソレイユへ亡命させ、生き長らえさせることである」

透過紙が対エルフ外交文書に切り替わる。

「我らはエルフの要求に応じ、臣民より一足先にリソレイユへ赴くことになるが、本来は臣民の亡命を優先するべきであり、それが帝国政府の本心であると、此処で確認しておく」

シュクルはそう言って、貴族の背後に立ち並ぶ官僚を見つめた。

「我は此度の戦乱における責任追及はせぬ。それは、多くの官僚が唱えるように、一部貴族の臣民に対する過度な宗教洗脳が、戦乱の大きな要因の一つではあるが、それを黙認してきた帝国政府の責任も存在するからである」

透過紙が戦場の写真に切り替わる。

「だが、此度の戦乱で、我が帝国は国土の殆どを失った。多くの兵が命を散らし、臣民も巻き込まれ、世界人口は大幅に減少。畑は荒らされ、我が帝国は飢餓に喘いだ。これ程の犠牲、到底償わぬ訳にはいかない。よって諸君、戦乱の当事者たる我ら貴族、帝室が、この罪を背負う義務があると考えるのだが、異論はあるか?」

シュクルは貴族各々全てに視線を向ける。

貴族には低いざわめきが満ち、手が挙がる。

「発言の際は出身国、爵位、家名、名前を御発言ください」

司会役のルリエが注意を発し、シュクルが指名する。

「ルナミスト帝国、侯爵、エトワール家のレカードです。先ほどシュクル陛下が述べられた貴族、帝室が罪を負う義務があると仰せでしたが、罪を負うべきは臣民に過度な宗教洗脳を施した一部貴族のみであり、罪はその一部貴族のみに課されるべきなのではないでしょうか? 例えば、臣民の宗教洗脳の問題が表面化した際、シュクル陛下はまだ七歳で、当時の帝国政府に意見申すことは難しく、少なくともシュクル陛下は責任を負うべきではありません」

シュクルはレクトの目を見て返答する。

「確かに一部貴族の起こした要因が、戦乱の主要原因であり、戦乱を起こした本人らが裁かれるべき、その筋は通っている。無論彼らは他の貴族と一線を画した贖罪が必要であろう。だが我ら貴族、帝室はルナミスト帝国を代表するものであり、臣民に対し、責任を負っていることを忘れてはならない。我ら全員が贖罪するのは臣民の為なのだ」

シュクルは手元の水を一口飲み、甲板に集った全員を見渡し言った。

「我らは今まで臣民のことをあまり気に留めてこなかった。だが今後は違う。我らは帝国再建の為、最大限の努力をしなければならない。再建に必要なのは人、金、食料。そして熟練した兵士である。故に我らは臣民や兵士を見捨てるわけにはいかない。故に貴族諸君にも個室を与えることは叶わず、臣民と共に寝泊まりすることを強いなければならない。だがここは帝国再建の為を思い、歯を食いしばってもらいたい。

そして、我は今此処で新たなる政策を宣言する。我は愚民化政策の撤廃、武装中立、立憲君主国を目指す。領地を失った諸君には一律に貴族議員の地位を与えよう。洗脳官には外交の職を与える。我は血を見すぎた。例え領土回復という大義名分を以てしても、我らを望まぬ民を支配するための戦争は、もう一切行わない。今や最強ではないルナミスト帝国は、今後世界中で起こるであろう戦争を止める術は無い。だが我は、少なくとも我が〝帝国民〟の血は、見たく無いのだ。これは我の我儘だ。弱腰だと諸君は言うだろう。だが我は、血と鉄に支えられる豊かさよりも、平和と安寧に満ちた貧しさを望むのだ。

今後の帝国で我は、諸君らに今までと比べ、とても質素な生活を強いるであろう。理不尽もあるだろう。自尊心も傷つくだろう。だが、ここは歯を食いしばり、皆で力を合わせ、帝国の再建をお願いしたい。以上だ」

「ルナミスト帝国皇帝、シュクル陛下に敬礼」

リューヌの号令で甲板の全員がシュクルに敬礼する。シュクルが壇上を去った後、甲板は貴族官僚のざわめきが満ち、シュクルへ鋭い視線が投げつけられる。貴族描く、戦争による領地拡大が否定され、貴族の発言力増強は困難になった為だった。

シュクルはリューヌと共に、ルリエら第四近衛隊に護衛され、船内へと戻る。

漆黒の空に浮かぶ朧月は、甲板を微かな光で照らしていた。

 

演説から三時間後、甲板の貴族も部屋に戻り寝静まった頃。シュクルは明かりを絞った執務室で一人、丸い小窓から流れ込む夜風と静かな波音に耳を澄ましていた。

 シュクルは今や皇帝という責務を負う身であった。故に人前で悲しむことは許されず。それ故にシュクルは職務が終わった今、執務室にこもり、静かに夜風に吹かれていた。

シュクルにとって今は、帝都を脱して初めての一人の時間だった。

艦内は徐々に溢れた避難民が廊下まで達し、シュクルと女性使用人は仕切りを通して相部屋。近衛隊の兵士たちは甲板を寝床にしていた。

「陛下。リューヌ=ルミエールでございます」

 リューヌの声を聞き、仕切りの向こうの使用人たちは小さく声を上げる。

「どうぞ入って」

涙を拭ったシュクルは窓を閉じる。開かれる扉、そこに立つのはワイングラスを持ち、ルリエを引き連れたリューヌの姿だった。


ランプの灯る執務室で、リューヌは葡萄酒の栓を抜く。

「陛下はこれから先、如何なさるのですか?」

「と、言うと?」

リューヌは葡萄酒をグラスに注ぐ。

「私は正直、エルフという者たちを、あまり当てにはしたくありません。森から出ず、出てきても常に全身を布で覆い、仮面を被るという彼らに、我ら帝国の未来を委ねるというのは、あまり気が進むことではありません」

真紅のグラスをシュクルに手渡す。シュクルは静かに半分ほど飲み干し言った。

「確かにそうね。……。ルリエ、貴女はエルフについて、何かご存じ?」

「いっいえ……。ただ、世界の源、世界樹を守っていると、そう聞いています」

「陛下、私は疑問を持ちえざるを得ません。何故帝国はエルフを大切になさるのですか? 世界樹の守護者など、過去に帝国に従えさせれば良かったのではありませんか。それに何故、トマス様はエルフが難民分の食料を提供する力があると思われるのでしょうか?」

リューヌが問うた。

「そうね。……。貴方は神人のことをどう思う?」

「神人……ですか。そうですね、とてつもない力を持つ者であると思います。大陸各地で発掘される古代都市はどれも目を見張るようなものばかりで、建物の壮大さと緻密さに驚かされます」

「そう。神人はあのような地下都市まで建設する、私たちの遥か先を行く技術の持ち主だった。そしてエルフは神人の片割れ、今も神人の技術を守り、世界樹を守る存在。神人の技術を持つものならば、五百万人分の食料など簡単に用意できるでしょうね」

「俄かには信じがたいです」

リューヌが呟き、ルリエが頷く。

「私だって半信半疑。でも今、帝国を救うにはエルフに頼るしかない。帝国を守るため、暫く、私に付き合ってほしい」

シュクルは頭を下げた。

「いえ陛下そんな……」

「そうです。シュクル陛下、我々は陛下の行く先、どこまでも付いて行きます」

「ありがとう」

シュクルは再び深く頭を下げ、そして微笑んだ。

「ところで、これはどこの銘柄?」

シュクルが尋ねる。

「エルランダ国、ルシテア産、ルナミルト農場のサンヴァッレ三千百十一年ものです。エルランダ産の葡萄酒は、これが最後かもしれません。心してお飲みください」

 ルリエが微笑む。

「そう言えば、ルリエはエルランダ出身だったわね」

シュクルは言う。

「はい。エルランダ国の降伏までは、エルランダ軍人でした。私のような敗残兵を雇ってくださったシュクル陛下には、感謝してもしきれません」

ルリエが頭を垂れる。

「えっああいや。ルリエを雇いたいと言ったのはリューヌで、私は印を押しただけよ」

 頬を紅色に染めたシュクルが言う。

「陛下。それはご内密にと」

「隊長が? 何故です?」

「いや何……副長の席が空いていたし、ルリエのエリン王女護衛は素晴らしかった。エリン王女もリソレイユで、陛下とルリエの到着を心待ちしておられることでしょう」

「でも私は、親友を叱ってしまったわ」

シュクルが項垂れる。

「王族は中々お叱りというものを受ける機会がございません。その面で、シュクル陛下のお叱りはエリン王女の為になられたと思います」

「ありがとう」

シュクルは柔らかく微笑んだ。


防音扉の内側で、葡萄酒一本の酒盛りは深夜までゆったりと続いた。

皆がそれぞれ寝静まった後、シュクルは換気に窓を開ける。夜空見上げれば星が煌めき、ヨークスは避難民の焚き火で爛々と輝いていた。

「お母様……お兄様……。私は……」

シュクルは母の形見である携帯音楽再生機を耳に、眠りについた。

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